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2020年05月07日

今回のコロナ禍でグローバル社会から共同体社会へ転換するのか? -4.既存ライフラインへの危機感とエネルギー自給への流れ

前回は食糧を中心とした自給自足経済への流れを紹介した。引き続き、エネルギーなどのライフラインの自給自足への流れを紹介したい。

これまでは、水道民営化と称して多国籍企業などの参入が画策され、南米ボリビア等では料金の高騰と維持管理が問題視された。また、日本でも自治体レベルで水道民営化が始まっている。今回のコロナ禍で自治体の公営企業だからこそ、特例措置として水道無料化などが可能となったが、グローバル化を推進するとこういう危機に対しては、住民のことよりも利益優先となり極めて脆弱となりかねない。

一方、電力関係では東日本大震災の経験により発送電分離が進められ、各地域における発電事業が参入しやすくなっている。官民問わず、地域に応じた発電ができる基盤が整いつつあり、100%自給自足を達成した地域も出てきた。コロナ禍による影響はまだ顕在化していないが地域密着の自給自足は加速されていくものと推察できる。

むしろ、コロナ禍ではテレワークを余儀なくされた企業が多く、情報インフラが一気に進んだ。そしてそれは行き過ぎた都市集中からの脱却が進んでいくことを示唆している。これについてはまだまだ検討の余地があるものの、ピラミッド型の組織統合、決済に一石を投じる意識が芽生え、合意形成のありかたが顕在化してきた。

社会にとっての自給自足という観点では、この合意形成のありかたの転換こそがもっとも重要である。かつて日本の村落共同体では寄合と称し、全員が合意に至ることで物事を決めていくスタイルがあった。上からのお仕着せではなく主体的な合意形成こそ共同体にとって生命線となるからで、必然的に社会統合のシステムを変えていく潮流を生み出していくこととなるだろう。

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■エネルギー自給に向けた技術はすでに達成可能であり、課題は利権構造からの脱却

2017年12月当時の記事
71市町村がエネルギー自給率100%超!

エネルギーも食料も自給可能
「永続地帯」は39市町村

この研究は、千葉大学倉阪研究室と環境エネルギー政策研究所が、10年ほど前から共同で進めている。今年3月末に、『永続地帯2016年度版報告書』として最新版が公表された。「永続地帯」とは、住み続けるために必要なエネルギーと食糧を域内で生み出すことができる持続可能な地域をいう。つまり、エネルギー自給率と食料自給率が、いずれも100%を超える地域のことだ。

今回の発表では、エネルギー自給率100%超の市町村が71、そのうち39の市町村が食料自給率でも100%を超える永続地帯であることがわかった。

ここでいうエネルギー自給率とは、「電力」と「熱」の両方を合わせたもの。地域内の家庭用と業務用、さらに農林水産用を加えたエネルギー需要に対する、エネルギー供給量の比率で表される。エネルギー供給量は、地域内の再生可能エネルギー設備が年間にわたって稼働した場合の総量から計られる。対象となる再エネは、太陽光・風力・地熱・小水力・バイオマスの5種類で、大規模な水力発電(ダム)は含まれない。

エネルギー自給率上位は
自然に恵まれた地方に多い

2016年3月末時点で、エネルギー自給率100%以上の市町村は、大分県玖珠郡九重町の1314.67%を筆頭に、全国で71市町村。この数は、55(2013年3月末)、59(2014年3月末)、61(2015年3月末)と毎年着実に増加している。今回の発表では、エネルギー自給率1000%、つまり域内のエネルギー需要を10倍以上も上回る地域が3市町村になったこともわかった。

 

再生可能エネルギーがメインストリームとなる時代

国際再生可能エネルギー機関(IRENA)の調査報告書は再生可能エネルギー源の急速な成長と化石燃料の消滅は、世界の政治に大きな変化を引き起こし、世界的な権力配分、国家間の関係、紛争のリスク、および地政学的不安定の社会的、経済的、環境的要因となっていることを明らかにした。

同報告書によれば、現在世界のエネルギー生産の5分の1を占める太陽光、風力、その他の再生可能エネルギーが急速に伸びている。この変化は化石エネルギーに依存してきた現在の地政学を根底から揺るがす変動となる。中国がアメリカをしのぐ強大国になり、石油依存の湾岸諸国の収入を減らし、貧しいアフリカ諸国がエネルギー自立を達成することになる。

「新世界」と題されたこの報告書は、アブダビで開催されるIRENAの第9回総会で発表される。化石燃料から再生可能エネルギーへの移行は、新技術とコストの低下によって促進され、再生可能エネルギーは従来のエネルギー源と同じくらい競争力を高めている(下図)。

 

Credit: IRENA

メインストリームへの道

太陽光発電の電力コストは2009年以来75%減少したが、風力タービンの価格は同じ期間に半減した。2020年までに、すべての市販されている再生可能エネルギー技術は、化石燃料の競合他社と同等かそれよりも安価になると予測している。

2017年には、再生可能エネルギーから記録された168GWの電力が発生し、前年の2倍になった。IRENA委員会は、各国が化石燃料の輸出に大きく依存していることは「深刻な経済的影響」を回避するために適応する必要があると警告した。再生可能エネルギーはエネルギー供給の分権化を可能にする。

 

地政学とエネルギー新世界

再生可能エネルギーは地球上の国々の分配率が化石燃料に比べて遥かに均一である。そのため再生可能エネルギーは、民主化の強力な手段になると言われている。特定の国や地域が独占してきた化石燃料の時代は、産出国が独占によって強大国となったが、再生可能エネルギーは公平にどの国でも、誰でも利用出来るのでエネルギー独占が成立しない。

エネルギー利権を失う勢力は再生可能エネルギーの発展を阻止しようとするだろうが、結果的に安全で環境保全に優れることが認識され、スケールアップで採算性も化石燃料を抜き去ろうとしている。エネルギー革命で地政学的な変化が避けられない。

再生可能エネルギーの進み方が遅いのは、メインストリームの交替で利権を失う人たち、「反対勢力」、のためである。しかしクリーンで採算性の良い筈の原子力も、燃料採掘と精製、そして何より使用済み核燃料の廃棄と高騰する建設コストを含めれば、電力会社にとっても市民にとってもメリットの少ないエネルギー源なのだ。小型原子炉も規模が小さくなるだけで原子力のデメリットが払拭されたわけではない。スマート送電網に小型原子炉を組み込んでもらいたいと思う人はいないだろう。再生可能エネルギーと水素などの貯蔵エネルギーを組み合わせる方向に、IRENA報告書のタイトル「新世界」がある。この新世界はエネルギーを誰でも安くまた安全に利用出来る理想郷である。

 

■企業も労働者にとっても生産=働くことの意識が変わる

企業も労働者もその存在理由を深く探求せざるをえないほど、これまでの常識が通じなくなっている。

コロナ後に「脱東京」の本社移転を考える企業が増える可能性

(略)

◆バブル崩壊後は12年連続で転出超過

本社移転の調査結果を過去にさかのぼって検証すると、注目すべき傾向がある。バブル崩壊の1991年からITバブル崩壊の2002年まで、なんと12年連続で転出超過となっているのだ。

最多は1994年の328社で前年比40%の大幅増となっている。この年はバブル崩壊の後遺症が続く中、企業が投資行動を抑制し、金融機関の貸し出しも低迷。円高が加速して戦後初めて1ドル=100円を突破。消費税が5%に引き上げられ、完全失業率は3%に達していた。リーマンショック直後の2009年も前年比16%増の295社が転出している。

これまでの企業の本社移転は景況感の悪化とリンクすることが多い。景気が悪化する中で高コストの東京に本社を構えていられなくなる企業が増えることも一因か。

2020年に話を戻そう。4月の月例経済報告はリーマンショック後以来10年11か月ぶりに「悪化」の表現が使われ、「景気は急速に悪化しており、極めて厳しい状況にある」と強調した。日銀のさくらリポート(4月)も2009年1月以来11年3か月ぶりに国内の全9地域の景気判断を引き下げた。景気は明らかに下降局面を迎えている。

そうなると過去の動向からして、今年あたりから本社の地方移転が増えるのではないかとの見方をしたくなるが、専門家はどう見るか。「1都3県・本社移転企業調査」を担当した前出・瓦田氏の見立てはこうだ。

「注目しているのは足元の景況感です。最近の不動産業界の動きをみると法人、個人ともに流動性が低下して業績が悪化しています。景況感の急激な悪化で企業は守りの姿勢に入っています。

移転を計画していた企業も移転費用を手元に残しておきたいから計画を白紙に戻すといった心理が働くのではないか。コロナ感染の収束が見えない中で、攻めの経営に出られない状況です。そうしたことから今年に限れば、転出はむしろ減るのではないかと見ています」

バブル崩壊後やリーマン直後とはちょっと様相が異なる展開となるかもしれない。

 

◆テレワーク普及で「脱東京」なるか

「STAY HOME」状況が変わらない限り、企業も個人も身動きが取れない。コロナがいつ収束するかにもよるが、感染拡大が収まり、日本社会が平穏を取り戻す日が訪れれば、事態は大きく変わる可能性がある。そのカギを握るのがテレワークの急速な普及だ。

緊急事態宣言(7都府県)後のテレワークの実態について全国2万5000人規模の調査結果を発表したパーソル総合研究所によると、正社員のテレワーク実施率は全国平均で27.9%、1か月前に比べ倍増した。実施率は、7都府県に限ると38.8%、東京都にいたっては49.1%の高率だった。

コロナは企業活動、ビジネスマンの働き方を確実に変化させている。今はまだ試行錯誤の状況。テレワークが増えたからといっても、職種による実施状況は大きく異なるし、ハンコ文化が変わらない限り出社の必要性も出てくる。とはいえ、試行錯誤を経てテレワークが一段と普及していけば、企業とビジネスマンを取り巻く環境は大きく変貌するのではないか。

「場所を問わず仕事ができることが当たり前となっていけば、コロナ収束後に本社移転を本気で考える企業が増えてくる可能性はあります」(瓦田氏)

任天堂、オムロン、島津製作所といった「京都企業」、山梨県の富士山の麓・忍野村に本社を置くファナック、福岡県北九州市を拠点とするゼンリンなど、そもそも東京に本社を置かない優良企業や有名企業は数多くある。通信環境や交通網がこれだけ発達していることを考えれば、高コスト・高リスクの東京に本社を置く必要はないと「脱東京」を図る企業が増えてもおかしくない。

本社機能の移転だけではない。会社に行かなくても仕事ができるという状況が一般化すれば、自分自身や家族のライフタイルを見つめ直し、東京から離れて、地方に移り住む人々が増える可能性もある。

史上最強のウィルスとの闘い、巣ごもり生活を通して人々は熟慮を重ねていく。その一つの帰結として、コロナショックの体験が東京一極集中の是正に向けた一大転機をもたらすかもしれない。

 

新型コロナショックが加速する”思わぬ変化”と、その地方への影響とは?

(略)

ここから本質的・本格的な「働き方改革」が始まる。

この状況下で、先人を切って思い切った「テレワーク」体制を敷いたIT企業があります。それは従業員4000人を抱えるGMOインターネットグループです。その従業員の大部分を対象に、1月下旬の早い段階から自宅勤務に切り替えたことは、大きなニュースになりました。
(参考:朝日新聞デジタル「新型肺炎予防で在宅勤務に GMO、従業員4千人対象 )
またそれに呼応するように、クラウドファンディング大手のCAMPFIREなどのITベンチャーのみならず、Yahoo!JAPANや、KDDI、NECやNTTなどの数万人、数十万人を対象にしたテレワーク推進策が進んできています。

こんな状況の中、先のGMOの熊谷社長がTwitterで以下のような投稿をされて、それが更に話題になりました。

普段から影響力のある方だけに、自分もその熊谷社長の投稿をライブで拝見し、「ああー。これは大きな話題になるな」と直感的に感じました。…と思っていた矢先に、さらにさらに熊谷社長とも関係が強いホリエモンこと堀江貴文さんが、話題のご自身のYoutubeチャンネルで、更にこんな動画を流されました。

(略)

是非動画を御覧いただきたいのですが、ホリエモンはこの熊谷社長の論点からさらに深掘りして、「本格的なテレワーク導入は、企業の余剰人員をあぶり出す可能性がある」という、堀江さんらしい鋭くも過激な主張です。つまり、オフィス勤務を当たり前としている場合と、テレワークとの一番の違いは、「本当に成果をだしている人材が誰なのか」が、残酷なほど浮き上がらせてしまうことだということ。表現はともかく、我々のようなベンチャーでしかも地方にチームが分散している働き方をしているものにとっては、その指摘には全くもって納得です。役割と成果が明確になるテレワークの推進は、間違いなく能力があって貢献度の高い従業員にとって有利です。逆に、存在感や時間的なコミットメントで「働いている感」を出していた人にとっては、非常に厳しい環境となるでしょう。もちろん全ての業種や仕事がそうなるとは言えません。ただ、いわゆる「ホワイトカラー」的な仕事の大部分は、この影響を避けられないと思います。

また堀江さんの論点を逆から捉えて、従業員の側からの会社と関係性についても考えると、これも大きく変わるはずです。同じ場所や同じ仲間と常にリアルに接することで自然と生まれる帰属意識やロイヤルティは想像以上に強固なものです。一時的にせよ、そういう「引力」から解き放たれつつ仕事をするという体験は、これはまた非常に大きなインパクトを働く側にもたらすはずです。

即ち、今回の出来事は、想像以上に「自分と仕事」や「自分と会社」というテーマを改めて考えるきっかけにつながると思うのです。

こうした流れは、ともすると休暇のとり方や勤務時間などの”枝葉末節”にとらわれがちだった「働き方改革」を、より本質的なものに変質させるかもしれません。
「人生100年時代に、自分はどう生きていこうか。」「自分もそろそろ、先を見据えてライフ・シフトするべきタイミングではないか。」そんなことに思いを馳せる人が、より増えてくるはずです。

 

この変化が地方にもたらす影響

こうした状況は、関係人口を増やそうとしている地方にとっても、大きな転機になるはずです。
もちろん、だからといっていきなり地方移住が増えるわけではないでしょうし、この病災に”乗じて”直接的に何かを仕掛けるべきというわけでもありません。
しかしながら、仕事の仕方や、会社との関係など、人生を俯瞰した様々な命題をそれぞれが捉え直す人が増えることは、少なくとも「関係人口」を増やしたい地域にとっては、今まで出会えなかった人たちとの接点が増える場となることは間違いありません。言ってみれば、特定の場所や組織に縛られてきた多くの人たちが、世の中との「新しい関係性」を追い求める時代になるということです。その「新しい関係性」の中に、「地方」という選択肢は必ず入ってくるはずです。

もともと、時代の大きな流れ自体は、人生100年時代を意識した人々によって様々な価値観が変化し、こうした変化の方向に入っていました。しかしこうした思いがけない社会的なインパクトのある出来事は、往々にしてその流れを加速することがあります。思えば、東日本大震災はもちろんそうでしたし、大手代理店で起こったあの悲しい事件もそうでした。今回の新型コロナウイルス・ショックも、テレワークの普及とセットで、将来振り返ったときに、こうした価値観の大きな岐路となった出来事として語られるのではないでしょうか。

 

■未来の原型は江戸時代の寄合にあり

寄合にみられる社会の基本構造には 全員が納得することにより決定する原理があり、おおよそ効率とは縁遠いように見えるが、長い目で見れば、信頼関係ができてしまえば逆に合理的であるといえるのではないか?

 

江戸時代:村の寄合と議定(1)~全員一致まで、時間をかけてでも寄り合った

 江戸時代の村の寄合について、生々しい事例があったので投稿します。

全員で意思統一できるまで、三日四日かける。そのくらい、江戸時代の村落共同体は、皆が自ら考え、皆で共有していたのだと思います。だから、寄合で決めたことは皆で守り、村落共同体は安定していたと考えられます。

「日本社会史の現場からグローバルスタンダードを見る」
リンクより抜粋します
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「個が集団に埋没し主張が曖昧なムラ社会」と、よく言われます。村の構成員というのは、集団というものに属していて、何もいえない。そして、集団のボスというのがいる。あるいは、それをまとめているお上がいて、そのお上の上には、いわゆる、公儀、公儀公権、さらに言うと、戦前までは、いわゆる天皇的なものというか、天皇制的なものというのがその上にかぶさっていて、これは、絶対的なものでした。

こういったものが集団を統括し、それに皆従順であったといった形で理解されてきているわけですが、政治的にといいますか、強圧的にという意味で、従順にされていた部分はもちろんあるのですが、しかし、江戸時代というのは、村社会が、本当にそのようにただ従順なものだったのかということをもう少し考えてみたいのです。

寄合ということについて申し上げていきます。百姓が、村の中で寄合う行為をします。ここで、会議をします。総会みたいなものですが、村の最終的な意思決定機関となります。これは、全員参加型が基本でありまして、そこでの決定は基本的には、全員一致です。要するに、そこで、意思統一をするのです。

これは、一人でも何か違う考え方を述べますと、それを取り上げて延々と議論します。強行採決というのはしません。諄々と説得するとかというような形でやります。私がある資料で見た限りでは、3日、4日ぐらいずっと一つの事を議論しているというのがあります。その間、ご飯を食べに家に帰って、もう一度、寄合の会場であるお寺に戻ってくるというようなことは、いくらでもあったのです。

村は、そのようにきちっと考えを詰めていくということをやっていました。これは、大変民主的な手続きで、全員一致というのが民主的かどうかは、ちょっとおいておきますが、少なくとも、誰かが、強引に何かを決めるというものではないという感じがします。

寄合での取り決めというのは、集団は当然遵守します。百姓たちは、その村で決めたことは、村の法律“村法”と言ったりしますが、“村法”みたいなものも作ります。それを遵守して、組織化されて、集団行動を行います。

ですから、集団行動というのは、最初から、集団的に全部訓練されていたというわけでもなく、寄合って決めたのだからやるんだという形で進みます。ただ、そういう寄合で、みんなで決めたことをやっていくということが、相当に日本社会が近代化するにあたっては、いい訓練になったと私は考えております。そういう意味で、近代化の準備ということが言えるのだろうと思います。

 

 

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