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2020年06月04日

これからの共同体社会はどのように創られていくのか

米国ミネアポリスで起こった黒人死亡事件に対する大規模抗議デモはジョージ・ソロスの息子が資金提供をしたらしい。いまだに社会を分断、対立を起こし、そこから利益を得ようとする勢力がある。そしてそれをたきつけるマスメディア。まさに今、時代の転換点であるから、繰り返される策略に嵌ることなく冷静に次代を見据ることが必要だ。

これまでと違い、普通の人にとっての現実をとらえる感覚、視点こそが普遍的で、持続可能であり、人と人とのつながりがベースとなる共同体社会にとってはこれが重要なことで、今後はその潮流を軸に社会の再編成が進行していくものと思われる。

現代市場社会を経て、江戸の村落共同体のようには一足飛びに移行できないし、また社会そのものの圧力構造が異なるのでそれを再生するだけでは次代に適合しないだろう。今回は、共同体社会の実現がどのように創られていくのかを探ってみたい。

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■社会的に分断している「場」が融合されていく

市場社会では、職場、家庭、学校、商店、病院、福祉施設そして官公庁・・・と、とにかく機能に特化した分断がなされてきた。それが効率という価値のもとで推進され、それが当たり前のように意識まで変容させられてきたのである。しかし、その価値も身近なカフェの在り方を事例にそういう分断された場の居心地が悪くなっており、より開放的で融合された場に変化していく兆しを紹介したい。

 

アフターコロナにおけるリアルな場所の行方を考える①:サードプレイスと小さな相互扶助的な共同体

 アフターコロナの街のあり方については、在宅勤務、遠隔医療、通信販売、オンライン飲み会などの情報技術の浸透により、オフィス、病院、商業施設、飲食店といったリアルな場所の役割が小さくなったり、場合によっては不要になったりするという予測がされることもあります。情報技術がさらに浸透することは間違いありませんし、それに伴ってリアルな場所の役割が変わっていくだろうと思います。しかし、人間が身体を持つ存在である以上、身体の置きどころとしてのリアルな場所が不要になるわけではありません。

(略)

 サードプレイス

アメリカの社会学者、レイ・オルデンバーグは「第一の家、第二の職場」に続く「第三の場所」としてサードプレイスという概念を提示しています。レイ・オルデンバーグは著書において、十九世紀のドイツ系アメリカ人のラガービール園、戦前の田舎町のアメリカにあった「メインストリート」、イギリスのパブやフランスのビストロ、アメリカの居酒屋、イギリスとウィーンのコーヒーハウスなどを例にあげて、「家庭と仕事の領域を超えた個々人の、定期的で自発的でインフォーマルな、お楽しみの集いのために場を提供する、さまざまな公共の場所の総称」をサードプレイスと呼んでいます。

サードプレイスはコミュニティ構築機能をはじめ豊かな機能を持つとされていますが、新型コロナウイルス感染症の感染防止のために休業が要請される場所とも大きく重なっています。

新型コロナウイルス感染症は、第二の職場から、第三の場所であるサードプレイスから、第一の家に様々な機能が回帰する動きを生み出している。言い換えれば、新型コロナウイルス感染症は第一・第二・第三の場所の境界に揺らぎを与えるものだと言えます。

 

サードウェーブ

サードウェーブ・コーヒーとはアメリカのサンフランシスコが発祥の動き。サードウェーブとは第三の波の意味であり、それ以前には次のような第一の波、第二の波があるとされています(茶太郎豆央, 2013)

ファーストウェーブとは、ネスカフェに代表される家や職場でコーヒーを気軽に飲めるようにした動き(19世紀後半から1960年代)、セカンドウェーブとは、スターバックスに代表される「均質な『おいしいコーヒー』と『コーヒーを楽しむ特別な場所』の価値観を作り上げることに成功」した動き(1960年代~2000年ごろ)。ただし、これらはいずれも「大量流通と大量焙煎を前提としたビジネスモデル」を前提としていたとされています。2000年以降のサードウェーブはこれらと一線を画すものであり、その特徴が次のように紹介されています。

「小規模な焙煎所が、生産者と直接、あるいはフェアトレードでオーガニックの豆を仕入れ、大切に焙煎し、新鮮なうちに地元の人たちにコーヒー豆やドリンクとして提供する。大量消費、大量流通とは一線を画した、持続可能でアース・フレンドリーなコーヒーこそ、サードウェーブの特徴です。」
※茶太郎豆央(2013)『サードウェーブ!:サンフランシスコ周辺で体験した最新コーヒーカルチャー』Amazon Services International, Inc

サードウェーブ・コーヒーのカフェを訪れると、ノートパソコンで作業をしたり、打合せをしたりと、仕事をしている多くの人々の姿が目に飛び込んできます。サードウェーブは第二の職場と、第三の場所であるサードプレイスの境界に揺らぎを与えるもの。

さらに、サードウェーブは効率化とは真逆の「ていねいな暮らし」を大切にするものであり、それは「家の中でのサードウェーブ体験」として、第一の場所である家を変えていくものであることが指摘されています。

 

 家事・命に近い仕事

サードウェーブ・コーヒーは効率化とは真逆の「ていねいな暮らし」を大切にする場所であり、それは第一の家、第二の職場、第三の場所としてのサードプレイスの境界に揺らぎを与えるもの。これは、新型コロナウイルス感染症への対応として生じている状況と重なりますが、「ていねいな暮らし」という点でも重なりを見出すことができます。

新型コロナウイルス感染症に対して、業種によっては在宅勤務になったり、各種店舗や施設が休業になったりという対応がなされています。家で過ごす時間が増えたり、これまでの外部サービスが利用できなくなったりした影響で、料理をしたり、掃除や洗濯をしたり、野菜や花を育てたり、大工仕事をしたり、介護や看病をしたりというように、家事、あるいは、「命に近い仕事」にあてる時間が増えたという方も多いと思います。

(略)

外部サービスを利用することに慣れた者には不便なことではありますが、家事、「命に近い仕事」がまず持って顔の見える他者を宛先とする行為であることは、新型コロナウイルス感染症によってもたらされた状況が、効率化とは真逆の「ていねいな暮らし」へとつながる可能性ではないかと思いますし、可能性へとつなげていくべきことだと考えています。

 

アフターコロナにおけるリアルな場所

(略)

アフターコロナにおいては、他者に対する信頼をどうやって回復するかが大きな課題になると考えています。ここで大切になるのが、「眼の前にあるものを手がかりとして、・・・・・・不在のものへの心のたなびき」としての想像力ではないか。「小さな相互扶助的な共同体」における顔の見える他者を宛先とする家事、「命に近い仕事」は、「他者の身体が経験する生理的な快適さを想像的に先取り」したり/されたりする機会となる。これが、他者に対する信頼を回復させる基盤になるのではないかと考えています。

「小さな相互扶助的な共同体」として、まず家をあげることができますが、先に見た通り、新型コロナウイルス感染症によって第一の家、第二の職場、第三の場所としてのサードプレイスの境界は揺らぎつつある。そのため、次のように第一・第二・第三の場所それぞれから、「小さな相互扶助的な共同体」へ迫り出してくる動きが必要とされると思います。

  • 第一の場所(家):住み開き、シェアハウス、宅老所、ホームホスピス、脱施設化、職住近接
  • 第二の場所(職場):コワーキング・スペース、ファーマーズ・マーケット、個人経営のお店
  • 第三の場所(サードプレイス):まちの居場所、コミュニティ・カフェ、地域の茶の間、コミュニティ農園
  • →それぞれの場所から「小さな相互扶助的な共同体」へ

実はここであげた動きは、日本では2000年頃から同時多発的に生じていたもの。今回の新型コロナウイルス感染症はその動きを加速させたと捉えることができるかもしれません。

 

■共同体が重いと感じるのは共感できる力の差があるから~まずはゆるいつながりから始まる~

本来は、信頼できる濃厚な人間関係で共同体は成り立っているが、その関係を創っていくにもいきなりは無理である。さまざまな課題を協同したり、共感したりすることを積み重ねて醸成されていく。いろんなしがらみを取り去り、まさに子供がゼロから友達を作っていく感覚に倣うほうが楽なのかもしれない。

 

【公開インタビュー】佐々木俊尚さん vol.2 今どきの共同体作りにフィットするのは、“ゆるゆる”したつながり方

拠り所がない時代に、昭和のアウトサイダー像は響かない

––人のつながりを表すキーワードとして、佐々木さんの著書『そして、暮らしは共同体になる。』でも登場していたのが「ゆるゆるとしたつながり」です。佐々木さんが考える“ゆるゆる”とは、どんな状態を指すのでしょうか。

佐々木俊尚さん(以下佐々木):共同体って息苦しくなるものなのです。僕なんか昭和の人間なので分かるのですが、あの頃企業に属して終身雇用の会社に勤めていると、そこにいられることの安逸さよりも、ここから逃れたいっていう気持ちのほうが強かった。おそらくそれは他の人も同じで、昭和のコンテンツって、歌謡曲でも映画でも“逃げる”モチーフが多かったのです。今は、共同体がなくなって、逆に「共同体が欲しいよね」っていう感覚がすごく溢れてきているけれど、とはいえ昔のような息苦しい共同体を復興させたいのかっていうと……。

––今を生きる人々に、古いタイプの共同体を再生産したい気持ちは、なさそうですね。

佐々木:そうですよね。では、どうやって息苦しくない共同体を作れるのかということを考えないといけません。そのひとつの事例として『そして、暮らしは共同体になる。』のなかであげたのが、熊本のエコビレッジ「サイハテ」という25人ぐらいが住んでいるコミューンです。

70年代にも、同じようなヒッピーコミューンはよく見られました。当時は学生運動をやっていた団塊の世代の人たちが運動に敗れて、「じゃあ新しい村を作ろう」と、九州とか四国とかの山奥に移住して自給自足の生活を送るのが流行った。日本だけじゃなくてアメリカでもヨーロッパでもそういう動きがあったんです。でも当時のヒッピーコミューンは、実は大抵失敗しているんですよ。そのひとつの原因が閉塞感です。当時はろくに電話もなければ、もちろんネットもないなかで、限られた人数の人が山奥に暮らすと、すごく狭い世界になってしまう。だいたいそれで1年か2年でケンカ別れするか、変な宗教団体になるかして、終わってしまうわけです。

 

今どきの共同体作りにフィットするのは、“ゆるゆる”したつながり方

––現代のエコビレッジを運営する「サイハテ」は、かつてのヒッピーコミューンと何が違うのでしょうか。

佐々木:圧倒的に外に開かれています。まず、インターネットを使いまくっていますね。僕も彼らのイベントに呼ばれたりするのですが、ものすごくFacebookにタグ付けしてきますよ(笑)。情報をどんどん出しているんです。人の出入りも多いですね。ゲストハウスを運営していて、いつでも誰でも泊まりに行けるので、どんどん新しい人が見に来て、継続的に新規の参入者がいる。一方で出て行く人もいます。そして内部の人も村の中だけで暮らすのではなく、東京や福岡を行ったり来たりしています。その出入り自由なつながりが、継続性を保つ秘訣ではないでしょうか。共同体のなかに縮こまらないで、外とゆるやかにつながっている感覚。それを“ゆるゆる”と表現したのです。

––閉塞感のないコミュニティを作る「サイハテ」のスタイルは、SNSなどのインターネットテクノロジーが支えている。きっとマインドセットもかつてのヒッピーコミューンとは違うのでしょうね。

佐々木:70年代のヒッピーコミューンは、“普通の人”にはできないことをやろうという文化的エリートの集まりでした。一方で、いま共同体を必要としているのは、“普通の人”です。1970年代終わりぐらいには日本社会は「総中流社会」といわれていました。国民意識調査をやると9割の人が「私は中流です」と答えるような時代だったわけです。ところが、現在は総中流社会そのものがひび割れて壊れ始めています。非正規雇用が増えて、2000年頃には約450万円あった平均年収が今は300万円台になったように、収入もどんどん下がっていく。

––昔は中流に属して居た人々の、暮らしの拠り所がなくなってきているのですね。

佐々木:そうです。だから社会の中心にいる普通の人たちが、お互いの存在を確認しあい、「われわれはここに居るんだ」と感じられることを必要としています。新しいかたちの“ゆるゆる”とした共同体が生まれるのには、そんな背景があると思うのです。

 

“普通の人”が手を取り合い、お互いを認め合うことの大切さ

著書『そして、暮らしは共同体になる。』のなかで佐々木さんは、“普通”に背を向けてアウトサイダーになる人たちを“反逆クール”と名付けていた。

体感的に東日本大震災前ぐらいまでは、そういったアウトサイダー達はクールな存在だったし、彼らの活動には今でも触発される部分がある。ただ確かに、YADOKARIも含めて現在活動している人たちには、アウトサイダー的なスタイルの人が少ないように感じる。

トークで佐々木さんが紐解いてくれたように、今は多くの“普通の人”……つまり“私たち”は、拠り所を失くしつつある。そのなかで、何かに背を向けるのではなく、手を取り合って大きな変化に立ち向かおうとするのは、ごく自然な流れだ。

変化の波は大きく簡単には乗り越えられるものではないかもしれない。だからこそ“ゆるゆる”とつながりながら、前に進んでいこう。佐々木さんのお話から、そんな思いを新たにした。

 

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