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2020年06月02日

言語の進化過程(5) ~より正確に考える必要から文言が2語以上になり、語順規則が出来ていった~

日本語は、名詞のあとに「て・に・を・は」などの助詞をつけることで、名詞を主語にしたり目的語にしたりします。このように助詞や助動詞を接着剤のように単語にくっつける言語を【膠着(こうちゃく)語】と言います。
それに対して、アイヌやエスキモーやインディアンは、現在でも一つの文言を一語で表す【抱合語】を使っています。それら隔絶された地域に残された抱合語は、人類の原初的な言語の形を現在に伝えていると考えられらます。

以下、るいネットの記事から、人類が洞窟から出た後、言語がどのように変化していったかを探ります。(リンク)(リンク

◆1.5万年前~1万年前頃の抱合語

【エスキモー語の例】
qayar-pa-li-yug-a-qa(カヤック-大きい-作る-たい-私-お前)
「私はお前に大きなカヤックを作ってやりたい」
【アイヌ語の例】
a-e-kore(私-お前-与える)「私はお前に与える」※「て・に・を・は」がない一語。
a-e-ipe-p(我々-それ-食事する-物)「食器」

アイヌ語では、主句・対象句・述句という語順規則が見られるが、エスキモー語の場合、語順規則も明確ではなく、その瞬間瞬間に最も言いたい言葉を順に並べただけのように見える。
おそらく、より隔絶度の高いエスキモー語の方が古い言語だと考えられ、洞窟を出た原初の言語は、エスキモー語に近い、「て・に・を・は」はもちろん、語順規則さえ明確には定まっていない(言いたい単語を言いたい順に並べただけの)一言だったのだろう。
つまり、1.5万年前の人類の言語は、エスキモー語のように、語順規則もさだまっていなかったと考えられ、1万年前頃に、ようやくアイヌ語に見られるようにS・O・Vの語順規則ができたと推定される。
(なお、アイヌはユーカラという長大な伝承物語を持っているが、部族の物語を伝える程度の文言ならば、て・に・を・は(関係詞)無しでも用は足りたという点は、注目すべきだろう。又、アイヌ語は縄文語から枝分かれしたと見られており、そうだとすれば縄文語も原初は抱合語であったことになる。この点も、興味深いところである。)

◆より正確に考える必要から文言が2語以上になり、それに伴って語順規則が出来ていった。

原初の擬態語は、より正確に考える必要から、緩急詞(副詞)と動容詞、および評価詞(形容詞)と対象詞という形に4種類の品詞に分化(=進化)したが、洞窟を出るにつれて考えるべき対象(=伝えるべき事象)が増えてゆき、それにつれて各品詞の言葉の数がどんどん増えていった。
とは云え、当初は、みんな(仲間)に対する呼びかけや役割を示す言葉(これらを関係言と云う)は、動容詞のみ、緩急詞のみ、評価詞のみ、あるいは対象詞のみでも意味は通じていた。また、自然現象を伝える言葉(現象言)も、当初は動容詞or緩急詞or評価詞or対象詞のみだったと考えられる。しかし、正確に捉える(→伝える)ためには、2品詞以上の文言が必要で、それが普通になってゆく。

2品詞の文言の場合は、評価詞+対象詞、緩急詞+動容詞という語順規則を定めるだけで問題はない。
対象詞と動容詞を含む文の場合も、侵略前の世界の全ての言語がそうであるように、対象詞+動容詞(つまり、名詞の後に動詞)とすることで済んだ。

しかし、洞窟の外に出る時間が増えるにつれて、認識対象がどんどん広がると共に、追求すべき(→伝えるべき)言葉の正確さも重要になってゆく。それは、文言の複雑化を招く。(一般に、正確に表現しようとすればするほど、文言は長くなり、従って構文が複雑になる。科学論文などに顕著である)
実際、より詳しくorより正確に伝えるためには、「いつ」「どこで」「誰が」「誰に」「何をした」という5相の語句=時句、所句、主体句、対象句、述句が必要になる。

その内、時句と所句は、すでに文頭と二番目に来るという語順が定まっていた。
また、それ以下の語順も、より原初的なアイヌ語やアルタイ語がそうであるように、主体句・対象句・述句という語順が定まっていた。これは、関係言であれ、現象言であれ、「何が」=何についての文言であるのかを示すことが優先し、次に「何に(or何を)」という対象を正確に示すことが優先したからであろう。
しかし、4語以上の文言になると、S・O・Vの語順だけでは、文言を構成できなくなる。

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