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2020年06月18日

これからの共同体社会はどのように創られていくのか-3

前回は、社会的に人と人とのつながりの兆しが緩いながらも出てきた状況が、人類の本質は共同性にあるということに照らしてみてまだまだ進化していく可能性を持っていることを示した。

一方で、現代の先進国においてはセックスレスが普通になりつつあり、貧困をバネに独占欲を起点とした恋愛感情はもはや生起しない社会状況である。これまでの結婚や恋愛観の延長では捉えきれない深い構造的な変化が起きている。特に日本において深刻な状況となっているが、老若問わず無表情あるいは表層的な対応に終始し、感情や本能を封鎖する傾向が高くなっている。これは乳児期の母子親和関係の欠陥や歪んだ仲間関係=いじめからの対人不信や迎合などが要因と想定される。

分断された機能や場を融合していく流れにおいて、共同体的な生産ネットワークで構成する社会はイメージしやすいが、人類的にはより根源的な婚姻=生殖という領域が、生産と融合し共同体として自立してなければ持続できない。今回はいよいよ婚姻について探っていきたい。

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■セックスレスの状況は先進国に普遍的で深刻

下記の記事は2018年であるが、米国でもかなり進行しているようだ。先進国に普遍的にみられるとしたら、貧困の消滅により、独占という旧い恋愛の原動力が機能しなくなったことを示している。

 

米国でも性交渉しない若者が増加。「現代特有の原因」とは?

若者の「草食化」はアメリカでも進んでいるようだ。米3大学の教授らによる研究で、アメリカの若者のセックス離れが進んでいることが示された。「18歳になってからセックスをしていない」20~24歳の若者の率は、1990年代生まれでは15%だった。これは60年代生まれが20~24歳だったときの6%の倍以上だった。

〇長期にわたって実施された社会調査から世代の特徴を抽出

この研究は、サンディエゴ州立大学ジーン・トウェンジ教授(心理学)、フロリダ・アトランティック大学ライン・シャーマン准教授(同)、ワイドナー大学人類性研究センターのブルック・ウェールズ准教授(社会心理学)によるもの。国際性科学研究学会(インターナショナル・アカデミー・オブ・セックス・リサーチ)機関誌「アーカイブズ・オブ・セクシャル・ビヘイビア」に掲載され、1日にオンライン公開された。

この研究は、米シカゴ大学全国世論調査センターがアメリカの成人(18歳以上)を対象として大規模に行っている標本調査「総合社会調査」(GSS)の、1989~2014年の調査結果に基づいている(CNN)。

研究ではGSSの「性のパートナー」に関する質問について集計、1960、70、80、90年代生まれがそれぞれ20~24歳だったときの回答を比較した。結果、90年代生まれでは「18歳以降、性のパートナーがいない」人の比率が15%をわずかに上回った。60年代生まれでは6%をわずかに上回る程度で、70~80年代生まれでは12%近くだった(ガーディアン紙)。
またより概括的に、1980~90年代生まれの世代は、1960~70年代生まれの「ジェネレーションX (X世代)」に比べ、「18歳以降、性のパートナーがいない」率が高かったとしている。

「パートナー」といっても、継続的な関係に限定されるものではなく、行きずりの関係を含む。ガーディアン紙とワシントン・ポスト紙(WP)は「18歳になってからセックスをしていない」層として伝えている。

〇「ミレニアル世代」のイメージを裏切る結果?

アメリカでは、1980~90年代生まれの「ミレニアル世代」には、出会い系アプリなどを駆使して行きずりのセックスを以前の世代よりも頻繁にしていそうだとのイメージがあるらしい(論文アブストラクト)。しかし研究結果はそれに反するものだったと、シャーマン准教授らは語っている(ガーディアン紙)。むしろ、「性のパートナーがいた」率が60年代生まれで異常に高かったという印象だ。

性行為をしていない若者の増加傾向、セックス離れの傾向は、男性よりも女性で顕著だったという。ガーディアン紙によると、性行為をしていない女性(の若者)の比率は、1960年代生まれでは2.3%だったが、1990年代生まれでは5.4%だった。これは一部には、(結婚まで性行為はしないという)純潔の誓いの増加と、社会的不名誉への心配が原因の可能性があると、論文の執筆者らが示唆しているという。

 

■そして制度としての結婚をしない理由は?

婚姻は社会システムとして安心基盤がなければ成立しないものと捉えられる。例えば日本では村落共同体という基盤があればこそ婚姻が普通に行われてきたし、お見合いや社内結婚でさえ、その集団に認められているという社会性が伴う行為であった。

 

結婚とは共同体を維持するために、共同体がお膳立てしてくれたもの 

よく取材で受ける質問にこんなのがあります。
「最近の未婚化の原因をひとつあげるとしたらなんですか?」
ひとつ?
そりゃあ文字数や時間の制限とかあるのでしょうから事情はわかるんだけど、未婚化の原因を一言で語るのは無理です。いろんな要因が複層的に絡み合っているものですから。
しかし、あえて言うとするなら、コレです。
社会的マッチングシステムの消滅。
つまり「見合い結婚」と「職場結婚」の大減少です。

(中略)

特に、おっさんとかに多いんですが、とにかく自分は何も調べてもいないくせに、新聞やテレビなどの表層的なニュースだけに影響されて「未婚化けしからん! 」「若い男の草食化はだらしない! 」とかいう人、いい加減事実というものを正確に把握する努力をした方がいいです。無知は恥です。

未婚化について、非正規雇用の増加と若者の貧困化が最大の要因だという人も相変わらず多いですね。それ自体間違ってはいないですが、皆婚時代には決して裕福ではない若者同士が結婚していたわけです。金があったから、裕福だから結婚したわけではなく、むしろ逆。若いうちは貧困だからこそ結婚する必要があったんですよ。

「一人口は食えねど二人口なら食える」

そんな言葉があるように、特に食費などは一人より二人、二人より三人で暮らした方が安上がりになるわけです。

「金がないから結婚できない」人もいるでしょう。しかし、だからといって「金があれば結婚できるか?」という話です。

結論からいうと…「できない」。

結婚するしないというのは、実は個人の意思のレベルではないんですよ。すべては社会システムの中で回っていくもの。かつて、若者が貧乏だったのに結婚できたのは、今は貧乏でも終身雇用を約束された会社があったからです。安心を会社という共同体が保障してくれたんです。お見合い結婚が盛んだった農村部は会社の代替を地域の村が保障した。

強固な共同体の保障があればこそ、みんな安心して結婚したんですよ。しかも相手も用意してくれる至れり尽くせりの周到ぶり。

いうなれば、結婚とは、共同体維持装置でもあったわけで、結婚してくれないと共同体が困るわけです。だからお見合いだのおせっかいおばさんだのが活躍した。

共同体を維持するための共同体によるお膳立て、それが結婚です。

決して個人の努力とか魅力とかじゃねえんですよ、旦那。

今はどうです?たとえ、いまこの瞬間年収が高くても10年後も稼げる保障はない。今正規社員でもずっとそうだとは限らない。正規だろうが非正規だろうが不安だらけなんです。不安は人から行動する気持ちを奪います。

つまり「金がないから結婚できない」のではなく「安心がないから結婚できない」んです。

僕が言う社会的お膳立てシステムの復活というのは、決してお見合いや職場結婚の復活ではない。それに代わる、社会としての安心を提供する仕組みなんですよ。

未婚問題について、こういう視点の人は残念ながら学者とかにはほとんどいない。けど、リアルにビジネスをしている現場からすると、そういう方向にシフトしていくのは間違いないです。

 

縄文体質の史的足跡~第7回 婚姻様式は本来、安定した集団を支える社会基盤。

>縄文時代の婚姻様式は総遇婚、近接集団との交差婚であり、集団婚であった。その後弥生時代以降も男が女集団に入る妻問い婚という形態にはなったが、ついぞ江戸時代までは女は母集団の中に残り、集団の共認充足に包まれた中で集団と女達は一生暮らすことができた。諸外国を見渡しても婚姻形態がこれほど近代まで残った国も稀有だし、一対婚がこれほど根付かなかった国もない。その意味で縄文が最も色濃く残ったのが婚姻であり、男と女であり、性充足である。それほど、日本人は性におおらかで性を心から楽しんでいた。

日本人の”性”への意識はつい50年ほど前まで集団・社会を安定させる基盤であり、性充足により安心で安定した集団を核として日本人は西洋とは違う民族性=縄文体質を維持してきました。

このように、本来、婚姻様式は社会の根幹を成す規範・制度であり、個人主義に傾斜した現代の一対婚制度により、現代は日本でも集団性が破壊され、縄文体質も薄れつつある危機的な状況にあります。

 

このように、婚姻=生殖は個人発と思われがちであるが、きわめて社会的な行為であり機能である。個人発、自我発の性が衰弱している今、社会的、共同体的な性の再生が求められる。すでに潜在意識ではそれを感じ取っているのかもしれない。

 

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