2020年06月25日
これからの共同体社会はどのように創られていくのか-4
前回、婚姻は極めて社会的な行為でありかつ機能であり、個人発、自我発の性が衰弱している今、社会的、共同体的な性の再生が求められると結んだ。
コロナ禍以降、結婚に対する意識も変化しており、不安解消からお互い充足しあえる関係を望むような結婚に期待することが高くなっているそうだ。その意味ではすでに恋愛感情抜きで結婚する意識に転化しているともいえる。
現代の個人発、自我発の恋愛結婚という固定的な価値観を突き抜けた意識も芽生えているが、共同体という母体がない以上、定着していかない。つまり、さまざまな課題を自主自立して担える共同体化を進める中でしか、新たな婚姻規範、婚姻制度は出来ていかないと推察される。
このブログでも過去の記事を紐解いてみると、歴史的にどの地域でも共同体が残存していれば、婚姻以は共同体が主導していることが見て取れる。共同体の存続(生存)こそが絶対的な課題であるから、婚姻制度はとくに慎重に練り上げた課題であったと思われる。共同体を破壊する価値としての”自我”を発生させず、活力を維持することがなにより重要であった。
そうすると、活力を再生するにはどうする?いう視点で婚姻も捉えていけば可能性が見えてくる。そこは、次の世代に期待することになりそうだ。
■もはや恋愛の延長に結婚があるのではない
以下の記事に、恋愛感情抜きの結婚が紹介されているが、程度の差はあれ、多くの人は恋愛に振り回されることから脱したいと思っていることは間違いない。
「恋愛結婚がすばらしいなんて、ただの美化」ゲイと“恋愛感情のない結婚”をした能町みね子の結婚観
多様化する結婚観を、フラットに見つめ直す連載「結婚2.0」。今回は、ゲイ男性と「恋愛感情ゼロの結婚」をされた能町みね子さんにお話を伺いました。 能町さん、「恋愛の先にある結婚」を求めなくなったら、長年抱えていた恋愛に対するコンプレックスから解放され、望んでいた関係を見つけることができたとのこと…。気になります! 〈聞き手=ほしゆき〉
ずっと「恋愛ができない」というコンプレックスを抱えていた
「恋愛は、向いてる人だけが楽しめばいい」ほし: 能町さんは著書『結婚の奴』(平凡社)のなかで、恋愛→結婚の流れが自分には難しかったと書かれていましたが、これまで、誰かを好きになることはあまりなかったのでしょうか?
能町さん: そうですね…小学生のころから、好きな人の話で盛り上がる友だちを見て、自分にはよくわからないっていう感覚はありました。 「きっと大人になればわかるんだろう」と思っていたんですが、20代になってもよくわからないままでした。告白されたら、付き合ってみたりもしたんですけどね。
ほし: 付き合っても、友達のような感覚だったんでしょうか?
能町さん: 友達よりも少し特別ではあって、ほんのり好きという感情はあったと思います。 でも別れてもショックではないし、何日も泣いたり、ご飯が食べられなかったり…っていう情熱的な気持ちにはならない。 結局、しっくりこないままで関係性が苦痛になってきてしまうんですよね。
ほし: ふむ…
能町さん: 何回か交際を経験しても、一向に恋愛に対してテンションが上がらないので、30代になって「自分に恋愛は向いていない」という感覚が強くなりました。 「恋愛が素晴らしいものだ」なんて、恋愛がうまくいった人による美化に過ぎないと思うんです。 世の中、どれだけの人が恋愛によって傷つき、どれだけ恋愛によってひどい事件が起きてきたか。恋愛は、向いている人だけが楽しめばいい。 何度か挑戦してみた結果、そう思うようになりました。
人を好きにはならないけど、「結婚したい」という思いは強かった
ほし: 結婚への興味は、ずっと持っていたんでしょうか?
能町さん: 持ってましたね。でも純粋な結婚願望というよりは、「まだ結婚しないの?」というまわりの目や、「結婚すること=絶対的な幸せ」という世の中の価値観に嫌悪感があって… 逆に、早くこの圧力から解放されたい、という理由で「結婚したい」という思いがどんどん強くなっていきました。
ほし: うわぁ、わかります。 「結婚=勝ち」みたいな価値観って、まだ普通にありますよね。仲の良い友だちが次々に結婚していくと、取り残されていくような感覚にもなりますし。
能町さん: そうなんです。だんだん夜飲みに行ける人が少なくなって… とはいえ、恋愛結婚は一生できそうにない。そもそも恋愛をしたいわけでもない。「じゃあ結婚になにを求めているのか」を考え直してみたら、結婚の内臓をすべて抜いた結婚だったんですよね。
ほし: 内臓…というのは?
能町さん: 恋愛感情、体のつながり、「両家顔合わせ」からはじまり指輪や式の準備や誓い…そういった“醍醐味”と思われているもの全部です。 私が求めていたのは、事務的で、生活の効率性のために存在している結婚でした。結婚という形式のなかで“同居”ができたらそれでいいんです。
ほし: 「結婚した」という事実があれば、恋愛や結婚についてのプレッシャーから解放されて、同居人がいれば孤独ではない、ということか… たしかに、求めているものは手に入りますね。
能町さん: 求めているものが整理できたときに、思い浮かんだのが「ゲイと結婚した」という作家の中村うさぎさんでした。恋愛感情を抜きに共同生活をしている、これは私の理想だ!と。
ほし: でも、同じ価値観で結婚をしようと言ってくれる相手を探すのは難しくないですか?
能町さん: もちろん誰でもいいわけではないですし、一緒に生活するうえで気が合うかどうかはすごく大事です。 私が「お互い恋愛感情のないゲイとの結婚」を理想としたとき、すぐに思い浮かんだのが仕事の集まりで数年前に出会ったライターのサムソン高橋さん(今の夫)でした。
ほし: サムソンさんとは、もともと仲の良い関係だったんですか?
能町さん: 直接話したことはほぼなかったんですが、Twitterでちょこちょこ会話をする仲でした。 同じネタでよく盛り上がっていたので、気が合うなとは思っていて。男性が好きな彼にとって、私が恋愛対象になることは絶対にないですし、私もない。 これは…!と思って、Twitterで「サムソン高橋さんはチャーミングだし、原稿も、まじめに書いても毒を吐いても面白いから大好きで、偽装結婚の相手として最高じゃないでしょうか…」とツイートしてみたんです。
ほし: えっ! すごい急展開、攻めましたね!(笑)
能町さん: ツイートなら冗談で済ますこともできるし、もし眉をひそめるようであったらすぐカードを引っ込めますよ、みたいなエクスキューズも込めての「偽装結婚」というワードです(笑)。 そうしたら「お互い道に迷ったら(私のほうはすでに迷ってる)ぜひ!」という好意的な返事がきまして。 ほし: おおおぉ! 能町さん: そこから私がデートに誘って、その日にあっさり「結婚を前提とした関係」ということを合意してくれたので、とりあえず疑似恋人関係みたいになりました。
ほし: その日にあっさり!?
能町さん: そうなんです。 割と早い段階で家に行ったんですが、そこで「何もせずお互いスマホをいじっている」という時間がしばらく流れたんですよね。 このまったく気を使わない関係は、ものすごくいいなぁと思いました。 恋愛感情はないけど「恋愛っぽいこと」をするのは楽しかったですし、結婚って、ランチしに行って「意外とこの人優しいな」と思うくらいの人としていいと思うんです。 お互い、過度な期待をしたりすると苦しくなるので。
ほし: ものすごいトントン拍子だったんですね…
能町さん: 後からわかったんですが、合意してくれたときは冗談だと思っていたらしいです(笑)。でも私が本気で計画を進めていくうちに、「あ、本気なんだ」って気づいたそうで。 一緒に住むことと、生活費を出すので家事をやってほしいと頼んだら、快く引き受けてくれました。今でも家事の9割はしてくれています。 本当に、タイミングよく求めていた暮らしが実現できました。
(後略)
このように、過度な要求を全面的に相手にかけることではなく、男女関係における充足の在り方を模索することが現時点の結婚観であるようだ。
■欠けているのは、それで活力があがるのかという視点
この視点に立つと、結婚という狭い範疇では捉えきれないこととなる。しかし、現実、仕事仲間などの仲間関係において、何かをやり遂げたとき、活力があがる体験もある。だから結婚は1対1という常識を超えて捉える必然性がそこにある。充実感や幸福感というものは皆で分かち合えるものであるからこそ、結婚を特別視することなく仲間関係の延長と置き換えていけばどうだろうか?
「恋愛→結婚」ではなく、「仲間→結婚」という図式である。
- posted by KIDA-G at : 2020年06月25日 | コメント (0件)| トラックバック (0)
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