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2020年09月24日

これからの共同体社会はどのように創られていくのか-16

 

このシリーズも16回目という回を重ね、共同体という人類本来の集団の在り様として様々な切り口で展開し述べさせてもらったが、具体的に日常の課題をどう運営するか、何をどう決定していくかを過去の村落共同体の事例から探ってみたい。

現代では、市議会から国政に至るまで議決は多数決という一見合理的にみえる手法がとられているが、その裏では利権の駆け引きが横行してそこで結論が決まってしまう。名ばかりの民主主義である。

一方で、かつての村落共同体では、全員合意するまでは決まらないという暗黙の規範が存在した。夜通し議論を尽くしたりもあったという。お互いを知る仲間であるからこそこういう本質的なことが可能であることは言うまでもないが、こういう決め方であればこそ、課題の本質が皆に浸透し、走り出したら実現に向かいやすいともいえる。

どちらが合理的か、成員にとってやりがいがあるのかは自明のことではないだろうか?

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■全員一致の話し合いと結論への過程を重視することで本質的な合意に至る

西洋型のディベートと全く正反対のような合意形成を図ってきた日本のムラの寄り合いこそ、これからの共同体社会にふさわしいものとして紹介したい。

こういう本質的な議論ができると、かのイエズス会のフランシスコ=ザビエルが来日した際も、キリスト教の欺瞞を逆に問い詰めて苦しめたという。

ザビエルも困った「キリスト教」の矛盾を突く日本人

 

以下は、村寄り合いの「話し合い」の技法-日本的コミュニケーション文化の原形を探る-中澤美依論述/平安女学院大学研究年報 第1号2000発からの引用。(元リンクが切れている為、下記サイトからの引用)

http://blog.nihon-syakai.net/blog/2013/02/002490.html

 

【村寄り合いの「話し合い」】
ここで紹介する村寄り合いの「話し合い」の実例は、民俗学者の宮本常一が、昭和25年、対馬の伊奈村で実際に体験し、記録したものである。宮本によると、対馬地方では、当時まだ共同体としての村が健在で昔とかわらぬ手法で共同体の意思決定がなされていた。・・・・(この「話し合い」の手法は、・・・・「少なくとも京都、大阪から西の村々では、古くからおこなわれて来たとし、村の記録からその歴史は約200年前(江戸時代の中期あたり)までさかのぼることができると分析する。」)
村の寄り合いの「話し合い」の一番の特色は、複数の話題を同時に話し合うことにある。まず、村の代表が村人に話し合ってもらいたい話題を提示する。しかし、すぐにその話題に審議には入らず、他のいくつかの話題と平行して話し合いは進められる。・・・・そしてしばらくしてから一人の村人が、宮本の「古文書の貸し出し」について意見を出し始める。・・・・つまり反対意見だ。
すると、他の人も「そうだったなぁ」と、その事件に関する思い出話を一通りして、また別の協議事項に話は移る。そのあと、さらにしばらくして、別の村人が、「村の帳箱の中に・・・・」と、新たな意見を述べる。今度は賛成意見だ。するとこのあと、「家にしまってあるものを見る眼のある人に・・・・」などと賛成側を支持する話がひとしきり続き、再び他の協議事項へと話は移っていく。
こうして他の協議事項の話を間に挟みながら、それぞれの話題に関しての賛否両論を出していく。
そして一つの話題に関してすべての意見が出し尽くした頃合をみはらかって、まとめ役が、「どうでしょうか、貸してあげては」と結論を提示し、これに参加者全員が賛同して、その話題の決着がつく。・・・・原則として何れの事項も参加者全員が納得するまで話し合いを続けることになっていたという。

 

【直接対決の回避】
日本の「話し合い」の原形が、江戸時代以来の村社会にあるのならば、西洋の「議論」という集団の意思決定の方法の原形は、ギリシャ時代の都市国家にある。アリストテレスは、「議論」の目的は人々を説得することにあるとし、その説得を可能にするのは、エトス(話し手の信頼性)、パトス(聞き手の気持ち、ロゴス(情報の内容や論理性)の三つの要因であるという理論を展開した。これが現在でも西洋の説得理論の基本になっている。・・・・ロゴスをエトスやパトスよりも重要視することを指摘した上で、「議論」の文化の雰囲気を「ゼロ・サム状態」に例えた。・・・・
つまり、「勝つか」「負けるか」、個人の名誉を賭けた直接対決というのが、ギリシャ時代からの西洋の「議論」コミュニケーションの基本的なスタイルなのである。・・・・「議論」とは、いかに相手の主張を攻撃し、自分の主張を守り抜くか、まさに「言葉の戦争」そのものであった。
しかし、このような勝者と敗者を明確にする形の議論を日本人は好まない。・・・歴史作家司馬遼太郎は、江戸時代を舞台にした小説の中で主人公の思いにことよせて、その理由をこう説明する。 議論などはよほど重大なときでないかぎり、してはならぬ、と自分にいいきかせている。もし議論に勝ったとせよ。相手の名誉をうばうだけのことである。通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、負けたあと、持つのは、負けた恨みだけある。
そんな感情が理性に及ぼす力を日本の村人たちは理論としてではなく、生活の知恵として十分に認知していた。だからこそ、「話し合い」では、対立する主張を直接交わすのではなく、複数の話題を平行して審議する中で、時間をおいて間接的に提示する方法を編み出した。

 

【時間と場の共有】
村の寄り合いでは、「協議の結論よりも結論に至るまでの過程を重視する姿勢がそこに貫かれ、それは村の成員すべてに疎外感を抱かせないためのゆきとどいた配慮として審議にたっぷりと時間をかけた。なぜ「話し合い」に長い時間をかけるのかというもう一つの理由は、「集団の無意識」の形成にある。・・・・人間は、一つの文化(集団)の中で長い時間をともに過ごす中で無意識のうちにリズムを習得する。そして成員がその文化(集団)に固有のリズムに「共調」することによって個人は集団に統合される。
集団のなかでのリズミックなメッセージの力は、・・・・どんなものより強い、それは、同一化(同一視)-identification-(同一証明)のプロセスにおける基本的な構成要素の一つ、隠れた力であって、引力のように集団をまとめる。
日本の村人は、この点に関しても理論としてではなく、生活の知恵として、時間を共有すればするほど、・・・・・同調性が高くなり、集団の合意を形成しやすくなることを知っていた。・・・・・子供組み、若者組、娘組などがその例であり、「集団的無意識」を形成していった。

 

【結論へのプロセス】
「議論」の文化における平等が「機会の平等」であるとしたら、「話し合い」の文化にあったのは、たとえ発言しなくとも、その集団に存在するだけで、参加者として配慮される、いわば「存在の平等」であったといえるのだろう。
村寄り合いの話し合いは、互いの歩み寄りのプロセスで、そのプロセスは明確に言語化されることはなく、個人のこころの中に内在化される。・・・・意見はちょうど打ち上げ花火のように場に提示される。・・・・参加者はそのすべてを個人のこころの中に取り込んで、自分の立場からそれぞれの意見とのダイヤローグを開始する。そしてどの意見に賛成すべきか、また、すべての意見をどのあたりで折り合いをつけるべきかと思案をめぐらせる。その上で、必要なら修正意見をまた場に打ち上げ、これを聞いて、参加者はさらに自分の中で思案をめぐらせる。そんなプロセスを繰り返している間に、やがて、結論の「おさまり」どころが参加者全員に見えてきて、それが結論となる。
西洋の「議論」の場合には、対立する意見が出され、勝者と敗者が明確になり、勝者の主張が集団の意思ととして採択される。その結果、勝者の利益が一方的に認められ、敗者の利益が全面的に否定されることが多い。この点、「話し合い」においては、複数の人の利害関係が関わっている問題の場合、たいていは「各自の譲歩、妥協の度合いが平等な地点に結論を落ち着かせることが原則であった。つまり・・・・・勝者も敗者もない結論が合意の到達地点と考えられていた。・・・・・これも、人間の感情を優位に考える日本人独特のコミュニケーション観のあらわれといえるだろう。

 

【リーダーの役割】
西洋の「議論」の文化においては、リーダーとして一番重要な資質は、雄弁であることだ。・・・・つまり「議論」の文化とは、「話し上手」を高く評価する文化なのである。
日本の村では、逆に「聞き上手」であることがリーダーの条件であったわけだ。そして、集団の意思決定の場である話し合いにおいてのリーダーの役割は次のように考えられていた。
人々の心がひとつのものに融けあいはじめた潮時をみはからい、長老たちが村の先例や昔の体験を語り、それにことよせて最終の判断がなされる。長老と指導者の腕前は、その潮時の掌握にかかっている。
あくまで集団の合意形成を目的とする話し合いでは、結論としての「おさまり」どころがみんなに納得できる形で見えてくるまで、根気強くすべての成員の意見を聞き、そのこころの動きに気をくばりながら、話し合いを継続させていく。現在のコミュニケーション用語を使えば、まさに“facilitatoe”(世話役)の役に徹することが、リーダーとしての一番重要な資質であった。

 

 

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