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2020年11月19日

宗教で縛られることのなかった日本人の性意識

近世まで、厳格な一神教はもちろん、何か一種類の宗教で丸ごと倫理観がしばられることのなかった日本では、性に対して比較的おおらかな気風が続いていました。
以下、夏目祭子・著『なぜ性の真実〈セクシャル・パワー〉は封印され続けるのか』より引用します。

日本人の宗教観の一大特徴は、「神仏」と「人間」を厳格に別々のものとして分けない、というところにある。死んだ人間は浄化されて「仏」となり、特にこの世で功績のあった者は「神」として祀られたりもする。また、死ぬまでもなく生きている間にも、人々はこの世で日々犯してしまった大小の罪を、山間修行で霊力を身につけた行者の祈祷によって祓い清めてもらう習慣があった。

また、大乗仏教が民衆に広まって以降は、一人一人の日々の念仏によっても罪・穢れは浄化されるものと考えた。実はこの時点で、本来は禁欲や瞑想を通して悟りの境地をめざすものとしてインドで広まった仏教も、独自の「日本教」と化してしまったのだといえる。だから、宗教によって強いられる性の禁欲は修行僧や山間行者にまかせて、一般に人々は、性を自然に与えられた喜びとして、隠すことなく楽しんでいた。
ただし、大陸からせっせと文化や技術を取り入れていた大和・奈良の時代に、お堅い「儒教」を道徳のモデルとして採用したことによって、はじめは権力者階級から、段々下に広がる形で、性を「秘め事」として覆い隠す風潮が定着していく。

それでも日本の庶民の間では、女陰や男根、あるいは男女の抱擁の姿をした像を祀って拝む「道祖神」信仰が全国各地で続けられていた。武家など支配者階級では儒教的な貞操観念が重んじられるようになったものの、一般の村落や下町では、合理的なルールに基づく夜這いの風習が営まれていた。

ひと口に夜這いといっても、そのルールは地域により幅があった。
より目的が狭く絞られている所では、それは未婚の若者や娘たちものだった。目的は二通りあって、一つは、心得のある性教育役に親が依頼して、息子・娘たちに初体験をさせること。もう一つは年頃の彼らに結婚相手を選ばせるための、お見合い代わりだ。

一方、目的が大きく広げられている所では、既婚の男女も含めて自由解放状態という例もあった。ただし、それを現代のスケベ根性で「乱婚天国の村」などと考えるのは筋違いなのだ。それは、自分の妻の産んだ子供のタネが誰であろうと問わずに自分の子として育てる、という村人全員の了解のもとで許されていたことだからだ。

つまりこの場合の実態は一種の「集団婚」で、村全体が一つの「家族」として結び付けられていたのだと言える。それというのも、当時は日頃の農作業などにおける結束が、皆が生きていくために不可欠だっとのはもちろん、いざその地方で戦乱があれば、本家・分家などの伝統的な序列のもと、村がそのまま一個の軍隊と化して自衛戦にも臨める機能を持つ、まさに運命共同体としての絆があったからなのだ。

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