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2021年03月18日

支配から自主管理へ-9

 

前回、自主管理の共同体にとって不可欠の感覚、そこから展開した世界観は”人類皆仲間”という意識にあり、それは同類だけではなく万物に対して同化を試みて一体意識を持つことであろうと推察した。

では、その一体という意識構造はどのように形成されてきたのだろうか? 極限時代の人類はまさに奇跡的に生き延びてきたのであり、自然界の中で生かされている=生きていること自体に感謝する意識であったことは容易に想像できる。だからこそ、生かされている対象へ注視し、同化を試みることとなる。それはあたかも赤子が大人が話す言葉や表情をひたすらまねて共感し覚えていくことからもみて取れる。ただ純粋に対象と一体となることだけである。

その追求の果てに、精霊を措定し、言葉を生みだし、法則化、抽象化した概念に発展していく。例えばカタカムナという古代文字には、ミクロからマクロまで同一の原理=螺旋構造で成り立っているという世界観があるといわれている。これは最先端科学の認識に勝るとも劣らない。

現代でも「気」をあわせるなど一体化の意識はかろうじて残っているが、現代人が忘れかけている万物への感謝が意識の底流にあり、それを呼び覚ますだけで大きく回天していくのかもしれない。

その参考となる記事を今回も紹介したい。

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感謝の念は、万物との一体感から湧いてくる。万物との一体感は、同じ摂理で生きているという現実を直視することで生まれてくる。

大和言葉やインディアンの族長などの精霊信仰が息づく言葉には、「恵む」「おかげ様」など直接何かをしてもらった時はもちろん、そうでない万物に対しても“生かされている”“支えられている”という感謝があふれている。

その感謝の念はどこから湧いてくるのか?と更に精霊信仰の言葉に同化してみると、「お互い様」「自分の友ではないものなど、一つも見かけなかった」等の様に、精霊信仰の世界観の土台には万物との一体感があるのが伝わってきた。(自立、個人、自分等の自と他を分ける概念・観念がない)

万物と一体化⇒同一視して成りきるからこそ、目の前に起こる現象の奥で働いている構造を肉体的に感じるし、自分たちの期待応合回路に共鳴する自然現象に対して感謝も湧いてくるのかなと感じた。

そして、その一体感・同一視の源は?と同化してみると、「人間は宇宙の一部」「まだ生まれぬ者、既に死んだ者、みんな私達と日々共に存在している」等の言葉から、すべて同じ宇宙に存在しており、万物は【同じ自然の摂理】に貫かれて生きているという感覚に行きついた。

本能で掴める外圧とセットされた答えでは到底生きてゆけなかった人類にとって、本能⇒共認⇒追求で掴んだ『万物は同じ自然の摂理・生命原理の上に成立しており、それに則っているから生きていける(適応できる)』という事実は、最強の展望だったと思う。だからこそ、「どう適応する?」の答えの全ては精霊に委ねられる。精霊とは自然の摂理そのものであり、精霊信仰とは自然の摂理・生命原理の追求=現実直視の極みなんだということにも得心できた。

上記の構造に照らして見ると、目に見える=本能で捉えられる現象事実を集めて、危機や充足を感じているだけでは、現実を直視したことにならないということが分かる。生命原理や自然の摂理と照らして、その現象の成立構造や対象の意識の出所を追求してこそ現実直視になる。

だからこそ、まずは万物を貫く構造=自然の摂理・生命原理を追求することが重要だし、それが人類の羅針盤になってゆく。女の壁=一体化と共感の封鎖も、自分観念からの脱却も、経営判断を下すにも、課題で成果を上げるにも、自分も対象も含めた万物を貫く摂理の追求を深める中で展望を見つけられるのだろう。

 

松果体と右脳による波動の共鳴によって宇宙と一体化する

女性の神経解剖学者ジル・テイラー博士が脳卒中を経験し左脳の機能を失い、右脳だけの働きとなった状況の記録がある。

(略)

自分が宇宙と一体化していく。脳が作っている自分という働き、それが壊れてしまうのだから、いわば「自分が溶けて液体となり」、世界と自分との間の仕切りが消えてしまう。つまり宇宙と一体化するのである。

右脳の情動(右脳マインド)は言葉のないコミュニケーションに敏感で、感情移入し、感情を正確に読み取ります。宇宙とひとつになる永遠の流れを気持ちよく受け入れます。それは聖なる心、智者、賢人、そして観察者の居場所なのです。直感と高度な意識の源泉です。右脳マインドは常にその時を生きていて、時間を見失います。

右脳マインドは新しい可能性を受け入れて、枠にとらわれず自由に考えます。左脳マインドが決めた枠内の規則や規制なんかには縛られません。右脳マインドは、新しいことにトライしようという意欲があり、とても創造的なのです。それは混乱さえも、創造的なプロセスの第一歩として評価します。運動感覚があり、機敏で、世界の中で流体のように動く体の能力が大好き。細胞が「直観」として伝える微妙なメッセージにも耳を傾けます。右脳マインドは触って体験して学習するのです。

右脳マインドはひたすらに自由な宇宙を求め、過去や未来の不安によって身動きが取れなくなることはありません。わたしの生命と、あらゆる細胞の健康を讃えます。気遣うのは自分のからだだけじゃありません。あなたのからだが健康かどうか、社会の精神的な健康、そして母なる地球とわたしたちの関係までも気にするのです。

右脳マインドは、宇宙が織物のように複雑にからみあい、お互いに結びついていることを理解しています。

境界についての知覚が全くないので、右脳マインドはこんなふうに言います。「わたしは全ての一部。わたしたちは、この惑星上の兄弟姉妹。わたしたちは、この世界をもっと平和で温かい場所にするのを手伝っている」。右脳マインドは、生きとし生けるものがひとつに調和することを思い描きます。

右脳は、長い波長の光を知覚します。ですから右脳マインドの視覚的な知覚はやや溶けて柔らかい感じになります。知覚が鈍いことで、右脳マインドは事物がどんなふうに関係しているかという、より大きな絵に集中できるのです。同様に、右脳マインドは低周波の音に同調しますが、それはわたしたちのからだや自然の 中で普通に発生するものです。そのために右脳
マインドは、生理機能にすぐに耳を傾けるよう、生物学的に設計されているのです。

「「自分が溶けて液体となり」、世界と自分との間の仕切りが消えてしまう。つまり宇宙と一体化する」ということ、そして、「わたしたちのからだや自然の 中で普通に発生するものです。そのために右脳マインドは、生理機能にすぐに耳を傾けるよう、生物学的に設計されている」
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この「宇宙や自然、周りの人、自身の身体との一体感」という感覚は、アボリジニやアメリカのヘヤインディアンなどの文献に必ず登場する。また、シャーマンや気功師に共通する感覚であるが、この右脳の機能は現代人の誰にも備わっている。実際、気功師たちは「気功は誰にでもできる」と言う。

誰にも備わっている松果体の受信(発信)機能と右脳の働きを再生すれば、遠く離れた対象とも一体化することができる。それが「気を送る」ということである。

松果体が五官では捉えられない波動をキャッチする。そして、右脳の低周波波動(長い波長の光)が相互に共振し合う。
この松果体と右脳による、五官を超えた波動の共鳴(共振)。それが宇宙との一体化である。それによって遠く離れた相手でも、自身のことのように相手の状態を把握することができる。

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