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2021年07月08日

共同体社会の仕組みはどうなる? -5

今回は、共同体社会の最基底となる婚姻について探っていきたい。このブログでも、歴史を遡ったり、現存する共同体的な部族の事例を扱っており、明文化されずとも、どの事例でも具体的な様々な婚姻規範がある。婚姻対象となる共同体間の状況に応じて、まさに自分たちの集団間のことは自分たちできめていくことが基本であるようだ。

現在に翻ってみると、市場社会以降、まさに自由恋愛による婚姻が主流となっている感があるが、この恋愛という頼りない感情がベースでは、形成される核家族には多くの課題は期待できないし、その課題を市場化するためにはぎ取ってきたのが実態で、育児、教育、福祉などの大半がそうなっている。そしてだれもが幸福感とは程遠い意識状況なのである。

これからの共同体社会においては、そういった課題を再び取り込んで自立できる集団として作り上げていくことが求められる。政府や制度によりかかって依存することから脱却していく兆しがみえつつあり、先に述べたベーシックインカム(基礎保障)を契機として、閉鎖独占、依存存在から解放していくのではないだろうか? 心底では本来の幸福感を求めているのだから・・・

そのような兆しを紹介したい。

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結婚の新しいかたち

週刊代々木忠の『アーカイブス070 結婚の新しいかたち(リンク)』から転載します。
社会のパラダイムが大きく転換し、我々が感じている規範もほぼほぼ頼りにならなくなってきた。一夫一婦制や性規範も多聞に漏れず、崩壊し、新しい結婚の形を若者は考え始めている。
ポリアモリー、オープンマリッジなど、人類の本源としての男女関係を取り戻す動きに注目していきたい。
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セックスに限らず、人とつながるのが苦手な人が増えている。もちろんそこには個々の原因があるのだが、女の子たちと話していると、本人が自覚している・していないにかかわらず、幼いころの親との関係が根っこにあると思われるケースが驚くほど多い。

つまり日本の家族が、もはや機能しなくなっているのだ。「核家族」とはそれまでの「大家族」に対して生まれた言葉だ。1組の夫婦と未婚の子どもから成る「核家族」が、戦後、地方から都市への人口流動によって一気に増えた。高度経済成長がもたらす夢の生活が、そこには待っているはずだった。

だが、資本主義社会が水面下で求めていたのは、安価な労働力の確保であり、消費者の拡大ではなかったのか? 経済競争は「家族と過ごす時間」をも「働く時間」に充てさせた。

「大家族」という共同体は骨抜きにされ、誕生した「核家族」も一家の中心を(共働きならば2人とも)企業に取り上げられた。家族崩壊の行方は、現在急増している「単身世帯」を見ても明らかである。こんな現状の中で、いちばん大事な時期に子どもが親から充分な愛情を受けることなど、それこそ夢物語ではないのかとさえ思う。

だから、親子の関係を修復するためには、まずは「家族」が再生しなければどうにもならないんじゃないかと思うのである。では、どうしたら「家族」が再生できるのだろうか?

中国の雲南省に「モソ人」という少数民族がいる。彼らは「大家族型」の「母系社会」で、「通い婚」がいまだに行なわれている。「通い婚」とは、男が女の家に夜だけ通ってくる。通ってくるのであって、そのまま一緒に暮らすわけではない。2人の間に子どもが生まれても基本的にそれは同様で、男は自分の実家へ帰っていく。

「だとすれば、生まれた子に父親は不在なのか?」と思われるかもしれないが、モソ人は子を産んだ女性の男兄弟たちが父親代わりをする。もともと大家族なので、一家全員でその子を育てるということだろう。だから、実家へ帰っていった生物学上の父親も、ひとり寂しい思いをしているわけではなく、自分の実家で生まれた女兄弟の子どもを父親代わりとして育てていくのだ。

大家族なので大人たちはたくさんいる。自分の子ではなくても血のつながった家族には変わりない。いや、一夫一婦制ではないので「自分の子」という概念すらなく「わが家の子」なのだろう。

「通い婚」の場合、女に対する愛情がなくなれば男は来なくなる。女の側も嫌いになれば拒絶できるし、別の男を呼んでもOKなのだ。日本人から見ると、「節操がない」と思うだろうか? しかし、事前面接や現場で既婚女性が「セフレが○人いる」と言うのを毎回のように耳にすると、いまや日本で一夫一婦制は実質的には成り立っていないようにも僕には見えるのだ。

「通い婚」がいいなと思うのは、まず、幼い子どもにとって母親が安定しているという点である。お嫁に行くこと自体が、もうストレスなのだ。母系であれば嫁ぐ必要がない。家族みんなが親みたいなものだから、その子に注がれる愛情はふんだんにある。そこで育まれた、世界への、そして自分自身への信頼感こそが、人とつながるためのかけがえのない土台となるのである。

家族再生のヒントとして「通い婚」があるのではないかと僕は思うのだが、どうだろう?
(2012年5月18日掲載)

結婚とは共同体を維持するために、共同体がお膳立てしてくれたもの

結婚できない理由として、「お金がないから」といった理由を挙げる人がいますが、本当にそうでしょうか。共同体が上手く機能していれば、お金がなくても安心して結婚でき、お互い助け合って生きていくことができます。

結婚できない本当の理由は、社会に不安を抱えているからであり、結婚しても安心して生活することができないと感じているからだと思います。

以下引用サイト
リンク
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よく取材で受ける質問にこんなのがあります。「最近の未婚化の原因をひとつあげるとしたらなんですか?」

そりゃあ文字数や時間の制限とかあるのでしょうから事情はわかるんだけど、未婚化の原因を一言で語るのは無理です。いろんな要因が複層的に絡み合っているものですから。

しかし、あえて言うとするなら、コレです。社会的マッチングシステムの消滅。つまり「見合い結婚」と「職場結婚」の大減少です。

特に、おっさんとかに多いんですが、とにかく自分は何も調べてもいないくせに、新聞やテレビなどの表層的なニュースだけに影響されて「未婚化けしからん! 」「若い男の草食化はだらしない! 」とかいう人、いい加減事実というものを正確に把握する努力をした方がいいです。無知は恥です。

未婚化について、非正規雇用の増加と若者の貧困化が最大の要因だという人も相変わらず多いですね。それ自体間違ってはいないですが、皆婚時代には決して裕福ではない若者同士が結婚していたわけです。金があったから、裕福だから結婚したわけではなく、むしろ逆。若いうちは貧困だからこそ結婚する必要があったんですよ。

「一人口は食えねど二人口なら食える」そんな言葉があるように、特にに食費などはは一人より二人、二人より三人で暮らした方が安上がりになるわけです。「金がないから結婚できない」人もいるでしょう。しかし、だからといって「金があれば結婚できるか?」という話です。結論からいうと…「できない」。

結婚するしないというのは、実は個人の意思のレベルではないんですよ。すべては社会システムの中で回っていくもの。かつて、若者が貧乏だったのに結婚できたのは、今は貧乏でも終身雇用を約束された会社があったからです。安心を会社という共同体が保障してくれたんです。お見合い結婚が盛んだった農村部は会社の代替を地域の村が保障した。

強固な共同体の保障があればこそ、みんな安心して結婚したんですよ。しかも相手も用意してくれる至れり尽くせりの周到ぶり。いうなれば、結婚とは、共同体維持装置でもあっわけで、結婚してくれないと共同体が困るわけです。だからお見合いだのおせっかいおばさんだのが活躍した。共同体を維持するための共同体によるお膳立て、それが結婚です。

決して個人の努力とか魅力とかじゃねえんですよ、旦那。今はどうです?ええ?たとえ、いまこの瞬間年収が高くても10年後も稼げる保障はない。今正規社員でもずっとそうだとは限らない。正規だろうが非正規だろうが不安だらけなんです。不安は人から行動する気持ちを奪います。

つまり「金がないから結婚できない」のではなく「安心がないから結婚できない」んです。僕が言う社会的お膳立てシステムの復活というのは、決してお見合いや職場結婚の復活ではない。それに代わる、社会としての安心を提供する仕組みなんですよ。

未婚問題について、こういう視点の人は残念ながら学者とかにはほとんどいない。けど、リアルにビジネスをしている現場からすると、そういう方向にシフトしていくのは間違いないです。

 

 

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