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2022年05月06日

始原人類は連携集団として広域に拡散していったのではないか

図はこちらからお借りしました。

洞窟生活で、かつ、防衛力が非力で限られた縄張り(移動範囲)という中で人口増という状況に人類はどのように対応したのでしょうか。

外圧が下がっているので、性闘争が再生し、仲間を追い出したのでしょうか。しかし、それでは種は存続できません。人類にとって集団は絶対。だから、限界に達した場合は、集団の分派という方法をとったと考えられます。

ここで問題はいくつかあります。

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図はこちらからおかりしました。

まず、分派する先の住処をどのように見つけるか。恐らく、その段階で原人は火を使うことで行動範囲は広くなっています。その範囲に住処となりそうな洞窟はいくつか見つけることができるでしょう。

次に問題なのは、分派した集団と元集団との関係性です。分派集団は、元集団と関係を断って独立集団として離れて行ったのでしょうか?やはり、関係を維持しながら拡大していったと考えます。ただ、猿人では知能が低かったのでそのような戦略をとれず、単純独立の方法をとったかもしれません。

そして、分派の前提としては、移動の限界=縄張りの範囲内に適当な洞窟がある場合です。つまり、ふたつの集団は、なんとか行き来できる範囲にとどめられていたと考えられます。

分派した集団の構成は、若い男女(と子供たち)を含む集団の一部が担ったと考えられます。子どもは、移動に際しての危険が大きいので分派には加わらなかった可能性が高いと思われます。

分派した集団同士は同じ親を持つ兄弟集団になります。集団が拡大し、それぞれの場所で追求を重ねることで、多様性が生まれます。一方で、日常的な交わりが無いので、次第に独立性が高くなります。それが長期間続いてしまうと、両者の関係性は無くなってしまいます。そこで、集団性を維持するために、人材の交流を行ったのではないでしょうか。人材交流があれば、どちらかの集団で生まれた新たな技術は集団全体に継承されることになります。また、人が増えることで、追求の幅や深度も高まります。

具体的には、複数のオス(男)を相互に入れ替えます。移動には危険が伴ったでしょうし、闘争技術の継承という意味でも男が担ったということです。このように分派し、広域に進出しても連携した「連鎖集団」をつくることで、人類は進化の原動力を得たのではないでしょうか。

人口増加に伴い、連鎖していく領域に飽和すると、より外圧の高い、たとえば北方(乾燥地・寒冷地)へ向かうことになります。そこで発達した道具や生活様式も、連鎖しながら母集団に伝えられることになります。このように集団性を活かし、集団を拡大できた人類がわれわれにつながっているのではないでしょうか。

連鎖集団を続けていくと、集団統合はどんどん複雑になっていきます。そのような集団を統合するには、高度な知能が必要となります。サルの場合も、知能が高いサルは集団形態が複雑です。

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