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2022年07月17日

万物との一体化回路によって道具はどのように変化してきたのか?①

画像はこちらからお借りしました。

 

前回の記事:脳の発達が先?道具の発達が先?

前回の記事では、脳の発達するほど道具も発達していったという仮説を記事にしました。

引き続き、万物との一体化回路によって道具はどのように変化してきたのかを深堀していきたいと思います。

 

まずは道具の進化史についておさらいします。

260万年前の最古の石器(礫器)は、自然に粉砕した石とほぼ同じ。類人猿も自然にあるものを道具として使うことがあり、これと似たように人類も、自然にあるものを再現するように石器を作製しています。

 

その後、175万年前にはハンドアックス、ピック、クリーバーといった様々な用途に応じた石器が登場。

140万年前には剥片石器が登場します。このあたりから石器作製は石器全体と刃の部分を最初にイメージして作られるようになり、石の性質を捉えて石器を作製していると考えられます。

 

万物に一体化し、本質を抽出する能力が上昇するほど道具が発達してきましたが、さらに深めて追求したいと思います。

 

用途に応じて種類が増えているのはなぜなのか?

刃がどんどん鋭利になっているのはなぜなのか?

また、上記のように道具が発達したのは、機能性を追求した結果で生まれたものなのでしょうか?

 

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ヒントになるのは、日本の大工道具や刃物の発達。

 

万物の本質を捉えている事例として、日本古来の大工の木との一体化に関する記事を紹介します。

法隆寺には千数百年前の建物が残っていて、飛鳥時代の大工たちが木と建築に取り組んだその心をいまの私たちに伝えている。木の強さやクセを見抜けないと丈夫な建物はつくれない・・・。代々の棟梁に伝えられた口伝には、現代の建築が忘れていた木の心を知り、木と肌で触れあう職人の知恵が生き続けているようだ。

「木を買わず山を買え」という言葉がある。同じ山で育った木で一つの塔をつくり堂をつくれという教えである。木曽の木と、奈良や四国などの木をいっしょには使わない。いくら同じ種類の木でも環境が変われば性質も微妙に違ってくるためで、その性格の違いがやがては建物にくるいやひずみを生じさせるからである。たんに建築材料の一つとして木を見るのではなくて、深い山の中で雨風にさらされて呼吸してきた生命ある木として用材を見きわめないと、一人前の大工や棟梁にはなれないということである。いっぽうでは「木を知るには土を知れ」ともいわれている。

(「https://www.dougukan.jp/tool_story/%e6%9c%a8%e3%82%92%e7%94%9f%e3%81%8b%e3%81%99」より引用します)

 

この事例を見ると日本古来の大工は木の性質や木の命を捉えていることから、万物と一体化し、万物の本質を追求しており、また木材の環境の違いや性質の違い(=無秩序)を読み取り無駄なく万物を活かすことを追い求めていると言えそうです。

 

日本の道具が中国や欧州と比べて多種多様にあるのも日本古来の大工の特徴ですが、ただ単に木を切ることを目的とせずに、木の命を活かすために道具を使い分けていると考えられます。刃物の形状も素材を活かすために多様化していったのではないでしょうか。

 

次の記事では磨製石器を見ていきたいと思います。

 

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