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2022年10月15日

縄文人が生み出した道具・技術~食編①「現代における主な調理保存法、縄文時代にはすでに出揃っていた」~

これまで縄文人の自然観や世界観を探究し、縄文人が生み出した住居や編組からは、縄文人が発揮した追求力を感じてきましたが、「食」という点でも、高い追求力を感じることができます。

縄文時代、現代における基本調理法である、焼く、和える(組み合わせる)、茹でる、煮る、蒸すは行われていたし、乾燥、燻煙、塩漬け、発酵、冷蔵など保存・保管に有効な方法も存在しました。つまりは、現代における主な調理・保存方法は、すでに縄文時代に出揃っていたと言えるのです。

では、具体的な調理方法から迫っていきます。

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■焼く
人類が火を使えるようになる前、洞窟に隠れ住んでいた時。あったのは、切る、叩く、割る、砕く、すりつぶすなど、小さくしたり、柔らかくしたりなどを目的にした食べやすくする工夫だと思われます。
様々な調理方法が編み出されたのは、火を使えるようになり、洞窟の外に出て、地上で生活をするようになってから。

まず誕生したと思われるのが「焼く」。食べやすくするという工夫の延長か、鮮度の落ちてきたものを食べるために活用されたのか、はたまた美味しさの追求の果てか、火がものを焼くことを派生させて、食べ物を火にかざし、食べるのにちょうど良いタイミングを見計らって火から引き上げ、口にしたのです。

なお、長野県など様々な縄文時代の遺跡から炭化したパン状やクッキー状のものが出土しており、これらの成分を分析した結果、木の実・動物の肉・鳥の卵などを混ぜたものであることがわかり、食べ物を組み合わせて、火にかけたのだろうと考えられています。

 

■煮る・茹でる
出土している土器の状態から、苦味や毒性のあるドングリやトチの実などは土器の中で熱湯で茹でてアク抜きをして食べていたと考えられています。
温かい水にものが入ると変化すると発見したのでしょう。水を火にかけ、さらにその熱湯の中に食べ物を入れるという調理方法を編み出したのです。水も火にかければ温まる、その中に入れれば火にかざした時と同じような変化が現れるといったように、食べ物を火にかざすということと比べて、発想が数段階高度ですよね。

茹でると煮るの違いは、茹でるが白湯か塩湯で加熱することで、煮るが出汁や調味料を加えたお湯で加熱することだそうなのですが、なんと、和食の基礎とも言える出汁が、縄文時代にはすでにあったそう。
遺跡からはひょうたんがたくさん出土しているのですが、それは煎汁(いろり)という鰹を茹でた汁を煮詰めたものを入れていたことがわかっていて、出汁そのものを飲んでいたとも考えられますが、出汁で他のものを煮ていた可能性は十分にあります。

なお、福井県若狭町の鳥浜貝塚で出土した縄文土器片について、土器に残った脂質が動物由来か魚介類由来かを分析したところ、ほとんどが魚介由来で、北海道でも約1万4千年前の土器から、魚を茹でたり、出汁を使って何かを煮たりしていたことがわかっています。

 

■蒸す
縄文時代の遺跡では大小多くの石が意図的に集められた集石という遺構が数多く発見されていて、集められた石に焼けた痕があることや炭が発見されることから、石を焼いて蒸し焼きをしたのではないかと考えられています。

手順は、石を穴に入れて、石が熱くなるまでその上で火を焚く。熱くなった石の上に木の葉なので包んだ食材を置いて、土をかぶせて蒸し焼きにするというものなのですが、これも、茹でる煮ると同様、発想がとても高度。
蒸し焼きは、石は熱を加えても炭にならないこと、そして木の葉などで包むことで水蒸気が発生し食べ物が加熱されること、石の熱を持続させるためには土をかぶせること、これらの発見が連なって成立しており、縄文人の追求力がとっても感じられます。参考

 

なお、揚げるという調理方法も、もしかしたら登場していたかもしれません。
というのも、油の原材料であるエゴマを縄文人は食していたからです。炭化したエゴマ種子の塊が長野県を中心に発見されていたり、エゴマが大量に混入して作られた縄文土器が確認されるようになってきています。
すりつぶすという手法を使って油を抽出し、調理に使用していたという想像もできます。

次の記事では、さらに、乾燥、燻煙、塩漬け、発酵、冷蔵などの食べ物の保存方法から縄文人の追求力に迫ってみたいと思います。

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