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2007年06月13日

日本の大らかな性 ~夜這いが日常だった頃の会話から~

今回は日本において戦後まで続いていた“夜這い”について紹介します。
この“夜這い”日本の村落共同体の根幹を成す“性のシステム”です。
この性のシステムは現代では考えられないくらい、非常に豊かで大らかです。
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故赤松啓介氏が“夜這い”についていくつか書籍を残しています。今日はその中からその時代の“性に対する大らかさ”を感じてもらう為、赤松氏の著書である『夜這いの民俗学』から当時の会話文を引用します。
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●若衆たちの会話①
「おい、お前、俺んとこのお袋の味、どないぞ」
「わい、知らんぞ」
「アホぬかせ、お前の帰りよんの見たぞ」
「ウソつけ」
「月末頃にまた留守するで来てな、いうとったやろ」
「どアホ」
「親父に行くな、いうたろか」
●若衆たちの会話②
「お前、今晩、うちのネエチャに来たれ」
「怒られへんのか」
「怒ってるわい、この頃、顔見せんいうとったぞ、味、悪いのか」
「そんなことないんけど、口舌が多いでなあ」
「そら、お前が悪い。いわせんように、かわいがったれ」
●娘と若衆の会話
「あんた、なあ」
「なんや」
「うちのカアちゃんどない」
「嫌いやないでえ」
「今晩来たってくれるか」
●旅先で親しくなった男との会話
「誰も世話してくれへんのか、おれの妹はどうや」
「いくつや」
「十二や、小学校六年生」
●旅先でオバハンとの会話
「お前、今夜泊まらんか」
「オヤジ留守か」
「アホ、お前が泊まるなら、オヤジ追い出したる」
●一人前になった男と女の会話
「お前は俺にえらそうにいえんのだぞ、お前のものが何寸何分で、ドテの高さが何寸かわかっているんやぞ」
「もう、いやや、好かん」
●校長先生と女子生徒(女の子)の会話
(校長先生が中腰でアソコ覗き込む)
「ソラ、見えとるぞ」
「見えとるぞとちがう」
(女の子怒る)
●風呂屋でオバハンと子供の会話
「お前もうチンポ大けなったやないか、見せてみい」
(つかまえてチンポしごいて剥く)
「痛い、痛い」
(泣く・・・)
「ようむかんと嫁はもらわへんぜえ」
(また、剥いてしごく)
●風呂屋でオヤジの会話
「おい、お前んとこの嬶、うちのムスコ、男にしたぜえ」
「うん、ちと早いな」
「なにが早けりゃ」

どうですか?大らかでしょ!
現代だったら、セクハラで訴えられたり、
淫行条例や児童ポルノ法でしょっぴかれたりしちゃいますよね。

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comments

非常に重要なことが盛り込まれていますと思います。
>明治政府は、封建領主ですらしなかったような、まさに掠奪的地租を賦課して農村を荒廃に導いたのである。……かくして土地を奪われた農民は都市へ流出し、産業資本のために安価な労働力を提供する貧民として定着する。
このからくりは、国家主導の市場社会化の核心部かもしれないですね。後進国が先進国に隷属していく過程ともダブってきます。
共同体が崩壊し、都市の根無し草にバラバラに解体されていく過程は、もう少し追求したい気がします。
>それまででも富農の間では村外婚が普及していたけれども、一般的には村内婚が多かった。
この点も非常に重要ですね。
村内婚と“夜這い”とは切っても切り離せない関係にありそうですね。
それにしても非常に原始的な婚姻制を保持していたことは驚きです。
その反面、明治以降一気に近代化し先進国に追いついた国民性も他に例を見ないように思います。

  • 2007年7月12日 18:37

岡さん、コメントありがとうございます☆
夜這い婚という「原始的な婚姻制」が、かなり長い期間保持されていたということは、それだけ理にかなった(外圧に適応した)婚姻制だったということですよね。
それが短期間で解体されてしまったということは、国家にかかる外圧の変化が、それだけ大きかったということでしょうか。
ほんと、まだまだ追求してみたいです♪

  • まりも☆
  • 2007年7月15日 18:00

hermes tracking 共同体社会と人類婚姻史 | 何で「夜這い婚」は衰退したの?②

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