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2020年09月03日

これからの共同体社会はどのように創られていくのか-13

このシリーズも回を重ねてきたが、現状の政治状況や行政の体たらくを見るにつけ、共同体を創造していく必然性を、まさに強く感じる今日この頃である。
前回は、まともに外圧をとらえそれに適応していくためには、自立した集団で受け止め、課題を乗り越えることが不可欠だあることを述べた。現政権とは対極であろうことは皆さんも同意されるところではないだろうか。

今回は、共同体としての課題として教育(学び)のあり様に踏み込んでいく。人類史上、自集団が教育機能を包摂していることが当然のことであり、哺乳類一般に拡張しても、この事実は当てはまる。ところが、現代の学校制度は、集団が解体されて肝心の教育機能が外注化されてしまったことを示す。

逆に、生産集団としての企業などには社訓や掟などの規範を共有することや実際仕事上での指導により教育機能を残しているところもある。これは均一化、平準化して本当に必要な追求力を奴隷を再生産するたぐいの学校制度では現実の課題に対して役に立たないことを示唆している。

やはり、教育は共同体の核心をなし、絶対に手放してはならない集団の課題と捉えるべきである。そこで、かつての村落共同体の「寺子屋」、そして「職人」の技能における学びを探っていく。

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■共同体として外圧に適応する為の現実課題を教育するシステム=寺子屋

下記の紹介記事にあるように、寺子屋は、現実課題に適した教育を実践していた。必要に知識もさることながら、人間力としてどうかという視点が要であった。当時の識字率において70~80%という驚異的なレベルとなったことも付け加えておく。

 

江戸幕末期の教育 ~寺子屋教育の考察~

□寺子屋の成立背景 寺子屋は経済的要請という外圧から発展した
R.P.ドーア『江戸時代の教育』によれば、庶民にとっての寺子屋の成立にあたっては、『一部には慈善の動機によるものもあったが、大多数は経済的要請から発展した』ものであるとされる。すなわち、親が子に家業を継がせるため、それに必要な訓練を施さなければならなかったが、親は自らの家業に手一杯で、子の教育に十分な時間を割くことが困難であった。そこで、そのような訓練を職業的教師に委託するという形が生まれた。これが、寺子屋成立の原型である。それ故、寺子屋では、いわゆる「読み・書き・そろばん」の手習いや、封建社会で庶民が生きていくのに必要な知識や生活の知恵など、極めて実用的な職業教育がなされたのである。

■寺子屋の運営形態
寺子屋の運営形態は実に多様であったといわれるが、3つの類型に大別することができると考えられる。その3つとは
①教師の自発的な善意・使命感
慈善の動機から教育を行う者は農村に多く、その主体は僧侶や医者、あるいは裕福な農民や村の役人などであった。

②組織・共同体の出資に基づくもの
これは、任意の組織・共同体が協同事業として基金を確保し、授業料を支給して教師を招聘するものである。

③個人の生計手段としての動機に基づくもの
何らかの身体障害をもった医者、僧侶、浪人、農夫等が公然たる生計補填の手段として生徒を取ることも多かった。

○寺子屋の教育 心こそが脳と身体を結び操る要

江戸寺子屋の教育観は、「三つ心、六つ躾、九つ言葉、文十二、理十五で末決まる」という諺にみられる段階的養育法に基づいている。

すなわち、人間の成長段階に相応した養育を肝要とする明確な教育哲学のもと、寺子屋の教育課程が展開された。
人間は「脳・身体・心」の三つから成り立ち、心こそが脳と身体を結び操る要であるとの認識に基づき、3歳までに脳と身体と心の関係を悟らせ、心の重要性を実感させることを養育の旨とした。それ故、まずは親のしぐさ・行動を見習わせることが肝要であるとした。6~7歳になると、寺子屋では、自発的に師匠・親・兄弟姉妹・世間を見つめ見取るように仕向け、観察力・洞察力を涵養、9歳までには、公的挨拶の習得を目指し、立居振舞を体得させた。8~9歳では師匠の口真似、10歳には説教の内容の咀嚼が目安とされた。12歳頃には、一家の主の代筆を担える程度の事務作業能力を目指し、15歳頃には、経済・物理・科学など森羅万象を実感として理解できるようになることを想定して指導にあたった。

●寺子屋教育に学ぶ真髄
大きく上げられるのは3つ
①明快な教育観
江戸寺子屋の教育観においては、段階的養育を基本とした教育哲学のもと、教育の目指すべき全体像をもっていた。そのため、その教育哲学と教育像に照合して、一貫した学習指導を実現することができたと考えられる。

②理論と実践を融合した総合学習
手習いを中心とする寺子屋の基礎教育は、実社会での実践を想定した教育であったため、単なる知識の習得ではなく、まさに体得が求められた。それ故、絶えず理論と実践が繰り返され、その延長線上に真の体得があったのである。

③道徳に基づく全人格的教育
江戸寺子屋では、人間は「脳・身体・心」の三つから成り立っているとする認識のもと、心の大切さを説いたとされる。すなわち、寺子屋教育では、単なる技術習得だけなされたのではなく、道徳的価値観の涵養が十分に取り入れられていたのである。現在の教育環境では、人間とは如何なるものか、世界とは如何なるものか、人間は如何に生きるべきかといったことを考察する道徳教育機会が希薄であると思われる。

 

■技術の伝承において学びの本質は真似ること

そして、職人の技術集団における師弟関係は、かつての共同体の学びのスタイルの名残であろう。共に暮らし、見て真似ることだけで自発的に習得できるのである。

 

職人の世界1:師弟と撫育~志事の流儀~

カグヤ社長のブログ「かんながらの道」より、『師弟と撫育~志事の流儀~(リンク)』を転載します。
「体に記憶させる、体で考える。」このことを理解するには、師匠や仲間と一体にならなければ実現できないという。潜在思念で捉えるとは、容易に実践行動の結びつくことだと考えている。
——————————転載
今の時代、徒弟制度などもなくなり対等な立場で物事に取り組みます。学校のようにいつも教えてもらえるものだと思っている人はあまり伸びません。それは素直ではないからのように思います。そういう意味では、徒弟制度というものは職人文化ですが日本人としての育ち方、教え方の粋を集めた智慧だったのではないかと思います。

一緒に暮らし、師のことを理解し近づこうと努力しまた師も弟子のことを知り弟子を伸ばそうとするのです。両者一体の中で教えたことは、決して知識ではなく親がわが子を育てるように感化薫風し陶冶したように思います。今の時代の育成の関係性に危機感を覚えてなりません。

法隆寺の宮大工、西岡常一さんの一番弟子に鵤工舎の創業者小川三夫さんがいます。この方の著書「棟梁」(文春文庫)に師弟の生き方が書かれています。自分の昔に照らしていくつか感銘を受けたものを紹介します。

「昔は十二、三歳になれば親方のところに弟子に入るか、店に丁稚に行ったそうだな。年季を決めて、前渡金を親がもらって働き手として出すのもあったそうだし、親方の元で雑用をしながら仕事を覚えるというのもあった。せいぜい十四歳、五歳までに行ったんだな。これより年を取ったら反発したり、生意気になって素直に言うことが聞けんようになる。遊びも覚える。世間も気になる。お金を勘定するようになる。そうなったらひたすら言われるままに働くのは難しいわな。ものを教わる、覚えるために一番大事なのは、素直なことや。教わる方もその方がいいし、教えるほうもそうや。そのためには、そのぐらいの年齢がちょうどよかったんだな。それ以上になると体ができてしまう。体ができるということは、頭もできるということだ」

とあります。以前、自由の森学園の校長から「中学生は体だけではなく心も精神も出来てくる大事な時期だからこそその時期をどのような環境で過ごすのが大切か」と言われたことを思い出しました。素直さというのは刷り込まれる前の姿ですから本質を理解するのに余計な知識が邪魔になる前にあるがままを体得することで一道の深淵に触れる機会を持てばいいということかもしれません。

またこう続きます。

「体がきついと、楽を考える。楽を考え出したら、終わりや。楽なんてないということに気づくまで、ずっと遠回りせなならん。もしくは、楽を求めてやめてしまうことになる。何もかもその職業で生きていくために自分が身につけることやから、他人の目をごまかしても何にもならん。損なだけや。そのためには体と頭、技が一緒に身につくことがいいんやな。」

考えるということは総じて楽を選ぶときに行う作業です、だからそれは損やと言い切ります。

「親方が悪いんやと、他人のせいにするのは簡単や。しかし何も好転せんわな。ひがんで、ふて腐れてたらもっと悪いわ。他人のせいにするのも逃げや、ふて腐れるのも相手が悪いと思うからや。相手は親方や。代えられん。親方のとこに来たのは自分や。自分を変えることで状況を脱出せなならん。そう考えるんだな。俺は頭が悪いから、そうたくさんのことは考えられん。やめて逃げ出さないなら、がんばって早く仕事を覚えんべえ、と思った。それしかねえんだ。これはどんな時でも一緒だな。逃げたらあかん。逃げる前に考えるんやな。それと、他人のせいにして自分が正しいと思いこもうとしても無駄や。自分を騙しているだけやんか。ものを覚える、人と何かをする、ものを作る。何でもそうやが目的があるやろ。そのためにそこにおるんやろ。そういうところで、どうするか考えるんやな。俺もない頭で考えた。」

考えるということの定義が楽をすることではないからこそはっきりと示されます。目的を考えよと、そのために其処に居るのではないかと考えろと言います。

最後に私が何よりも共感したのは「はじめに」の中にある下記の文章です。私も同感で、何よりも自戒しているのは下記のことです。

「人から人へ技を伝えるというのは容易なことではありません。言葉で技や感覚を伝えることは不可能です。こうしたことは本文で詳しく話しますが、言葉や数字やデータ、映像に頼ってものを学んできた若者にそのことを教えるだけでも簡単ではないのです。学校では先生が教科書を使い、黒板を駆使して教えてくれます。子ども達は教わることが当たり前だと思っています。教わればわかると思っています。教わらないことは知らなくて当然です。中学や高等学校は一年が経てば進級し、三年経てば卒業します。学校には期限があります。生徒はみんな同じ能力があると設定され、同じ方法で、同じ期間学びます。進級するには最低、決められた点数を取ればいいのです。その点数を取るためには近道があり、早道があり、要領があります。学校ばかりではなく、塾も予備校も、家庭教師も、それを教えてくれます。このすべてが私たちの世界では、技や感覚を師匠から受け継ぐための障害になるのです。少なくともこの方法に慣れた子どもに、技を教え、感覚を身につけさせることは無理です。技も感覚も大工の考え方も、本人が身につけるものなのです。体に記憶させる、体で考える。このことを理解してもらうには、親方や師匠と一緒に暮らし、一緒に飯を食い、一緒に働くしかないと思っています。」

これは本来の本能の学び方、道理を悟った真理であり、動物からあらゆる生き物たちが如何に本質を掴みとっていくのかということの要諦が書かれています。頭が良くなったつもりが、刷り込まれていてかえって地頭が狂ったでは本末転倒です。

 

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