2009年07月07日
戦後の社会が窮乏した“性生活の知恵”
katoさんの『戦後2年目に発行された元祖HowTo本?雑誌「夫婦生活」の中身とは』
この雑誌もかなり売れたようですが、
まじめにセックスを論じた内容が読者の好感をかった・・・。
本のサイズが小さいため、隠し持ちやすかった・・・。
こういった雑誌がもてはやされた背景や戦後の性意識、結婚観を調べて
見ようと思います。
性生活の知恵 (1960年) ←本の詳細はこちらからご覧頂けます。
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『性生活の知恵』と言う本を見つけました。
「夫婦生活」は昭和24年の創刊ですが、「性生活の知恵」は昭和35年(1960年)に
出版されています。また翌 ’61年には映画化もされています。
本書は売れに売れ、当初の6年間で152万部売れたそうです。
また、版元の池田書店は自社ビルが建ったという位のベストセラーだったのである。
●先ずは純粋に内容の紹介
第一章 結婚と性生活 ・・・・・・互いに相手の満足の中に自分の満足がある
第二章 男性と女性の性生理・・・・オルガスムスを医学的に解説
第三章 性交への誘い ・・・・・・雰囲気、愛撫、性感帯、心理的性反応
第四章 性交とその態位・・・・・・64頁にわたって態位とその連続性を解説
第五章 性交との訣別 ・・・・・・性交後の状態、愛撫、睡眠
第六章 男性のために ・・・・・・男性を医学的に理解 約40頁
第七章 女性のために ・・・・・・女性を医学的に理解 約50頁
第八章 青年期の性 ・・・・・・オナニー、夢精、性夢、童貞、処女
第九章 家族計画の必要性・・・・・社会と生殖、家族の幸福、家庭の集まり
第十章 妊娠しない期間・・・・・・家族計画の手法、結婚式の日取りの決め方
第十一章 受胎調節法の実際・・・・・コンドームの選び方使用上の注意等
著者が医学博士である為か結構まじめな内容である。
「夫婦生活」と言う雑誌でもそうであったが、まじめにセックスを論じた
内容が読者の好感をかったのかもしれない。
本書の大ヒットは何を意味するのであろうか?
この本を紹介している『匠 研究室』のサイトから紹介文を引用させていただいて考えて行こうと思います。
太平洋戦争の終結(1945年)時点で、わが国の農業従事者は人口の50%であった。
明治以来続いてきた人口の増加は、都市居住者を増やしてはいたが、農村人口の絶対数を減らすには至っていなかった。
1960年頃から農村人口が絶対数としても減り始め、それ以降は都市の人口が増え核家族が主流になっていく。この頃、都市で核家族を営み始めた夫婦は、昭和になって生まれた人たちであった。
すでに若者宿(後述)や娘宿(後述)と言う慣習はすたれ、戦争への足音が聞こえるなか、性愛に関する教育を受ける場所が、彼(女)等にはなかったのである。
戦後になると、戦前まで続いた農耕社会的な人間関係が切れて、性愛の技巧を教えていた場所が完全になくなってしまった。例えば、若者宿とか夜這いとか、こうしたことは非民主的であるとして、否定されていった。
農村共同体の崩壊は、性愛を個人的な世界へと押し込め、関係性の確認という視点を誕生させなかった。そして、一夫一婦制が強化されていったことや、売春防止法が施行されたことも手伝って、性交は知っていても性愛技術を知らない人を生んでしまった。
戦後の社会には、農耕社会のように豊かな性愛を語る場所がなかったし、人は性愛の語り方を知らなかった。そこで、性愛の方法を、活字が補助することになった。
工業社会は科学的な思考が支えるものだから、性愛も科学として語られるのはきわめて自然である。
1960年は、まだわが国の高度成長が始まる前で、工業社会の倫理が完全には確立していなかった。封建社会は親の敵といわれたが、実は女性の地位低下は工業社会の方が激しい。
女性は生産労働から外され、子供を生む動物的な位置へと下げられ、社会的には男性より下位の存在へと下げられてしまった。
本書は、人から人への言い伝えが文化を支えた時代から活字が文化の伝達者になる、ちょうど初めの時代に出版されたと言って良い。
つまり、本書の出版が明らかにしているのは、この時代で農耕社会の文化が、完全に途絶え工業社会になったと言う事なのである。
そうした意味でも、本書の時代に対する位置は大きなものがある。
■若 衆 宿
その頃は、一人前と認められ、若者宿への参加が認められることが、子供の楽しみであった。十三、四、五歳から参加が認められ、結婚するまでの間、毎年農閑期の何ヶ月間か、そこで共同生活をしたものだ。中には、一年通して、つまり数年間、若者宿で過ごす者も、少なくなかった。彼らは、農繁期の強力な助っ人として、重要な存在であった。
共同生活を通じて、親からの躾とは違う、共同体の一員としての ケジメ を先達から教えられる場であった。また、年に何ヶ月かの共同生活を、数年繰り返すことで、自然と仲間内の序列、派閥なども形成されていった。つまり、仕事のときの采配はだれだれ、遊びはだれだれ、交渉ごとのうまい奴、物資調達のうまい奴、情報通のものなど、互いに相手を知り合う機会でもあった。
■ 娘 宿
特定の民家や納屋を娘宿とし、夕食をすませると娘たちが集合して、縄をなったり、草履を作ったり、裁縫などの夜なべ仕事をした。娘宿の中には夜もそのまま宿泊するところがあった。宿を提供した家の主人や主婦が宿親として娘をしつけ、配偶者選びの助言者にもなった。また、娘宿は若い男女の交際の場であった。例えば、ムスメアソビといって、同じムラの若者たちが連れ立って娘宿を宿親の了解のもと訪れ、娘たちの仕事を手伝いながら談笑した。その中で一組のカップルが自他ともに認められると、宿親が話をつけて正式な婚姻関係に発達したという。
さらに、ヨバイといい、若者が夜分娘宿に行き、意中の娘の寝床に入り、もし気持ちが受け入れられれば婚姻関係が成立するというものもあった。この場合のヨバイとは、俗に言われるような、男性が女性の寝床に忍び込んで情交を結ぶというものとは違った。若者は自分の親にヨバイの相手を相談し、宿親や娘も承知したオープンな配偶者探しの手段であった。
■ 夜這い
夜這いといっても、誰もが好き勝手に、女の家へ忍び込んだわけではない。通常、相手の娘が、承知してくれた場合のみ、あるいはその娘が、自分の誘いに応じてくれたときのみ、夜這いに行けたものである。相手の望まない夜這いは、無理に忍び込み、ことに及ぼうとするとき、娘に騒がれて、親に捕まった時など、村のさらし者にされる恐れがあった。
また、忍び込んだ娘の家で、あまり無茶をしないよう、夜這いの礼儀作法というものも教えられた。先達たちが、四方山話の一環として、面白おかしく話すこともあったが、実際は、ベテラン女性に、手取り足取り教えてもらったものである。
- posted by mukai at : 2009年07月07日 | コメント (9件)| トラックバック (0)
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◇初期人類の圧力=活力
外圧を真正面から受け止める→新たな可能性を探索する→可能性が実現する=現実が変わる
これは、『生きとし生けるものは、全て外圧(外部世界)に対する適応態として存在している。』(実現論)という自然の摂理そのもの。外圧=内圧(活力)となっている状態。だからこそ人類は過酷な外圧状況のなかでも生き延びることができた。
◇現代人の圧力=ストレス
外圧から目をそむける→逃げ道を探す、発散・解脱してごまかす→現実は何も変わらない→再び外圧から目をそむける→(以下繰り返し)
現代では科学・技術が発達し自然外圧を克服したことによって、目をそらしても直ちに死ぬことはないが、それは自然の摂理からはずれた異常な状況。外圧と内圧(活力)が分離した状態。当然、現実を何一つ変えることはできない。
圧力や緊張状態が、「活力」となるのか「ストレス」になるのかは、圧力や緊張状態の有る無しではなく、それを直視するか否かにかかっている。
これでの学問や科学でさえ近代観念にゆがめられ、何が事実といえるのかかが曖昧になってしまっているのが現代ではないでしょうか。全的に価値観や固定観念を排し、人類の起源にまで遡り、事実認識を構築することが、「圧力=活力」という構造を再生するには不可欠だと思います。
>樹上を去らざるを得なかった肢体の変化
楽しみですね。
るいネット『圧力とストレス』も拝見しました。
>人類は、圧力や緊張状態によって人類になった、と言うことができるのです。<『圧力とストレス』より>
なるほど、納得です。外からの圧力を感知し適応することは、人類のみならず生物界全般に言える普遍構造で、外圧は適応態として不可欠なものと言えるのかもしれません。?「圧力や緊張状態は有害なもの」という認識は、考え直す必要がありますね。
>病気の原因となるストレスの正体とは、圧力や緊張によるものではなく、「既に生命力を失って形骸化した私婚・私権制度」であり、それを支える旧観念ではないでしょうか。<『圧力とストレス』より>
確かに、現代のストレスを考えると、心と体のバランスがとれないというか、意識と制度がかみ合ってないというか、現実の外圧が霧によって見えにくく把握できず、活力源が見出せず、外圧に適応したくてもできないような感覚があります。
>旧観念が(適応するための)圧力を見えなくさせている正体ならば、それを全否定し事実認識に拠って立つことで、今ある不全は圧力=活力源となり、適応力を高めていく可能性そのものとなるでしょう。<『圧力とストレス』より>
現代のストレス源の解明には、徹底した事実追求による事実解明が必要なのだということがよくわかりました。
【観念パラダイムの逆転3 現実とは、人々の意識である】るいネット
>貧困が消滅して生存圧力が衰弱し、同類圧力が中心的な圧力になってくると、パラダイムは一転する。同類圧力は、人々の共認が形成する圧力である。従って、『現実』とは人々の意識に他ならなくなる。
しかも、主体=対象である以上、人々の意識とは、自分の意識に他ならない。つまり、自分自身の意識が、『現実』=同類圧力を形成していることになる。もっと簡単に云えば、現実とは自分自身に他ならない。
こうなると、もはや現実を否定することは出来なくなる。実際、現実=同類圧力を形成したのは人々=他人であって、自分だけは別である=自分は無関係であるとは、誰も云えまい。だとすれば、もはや現実を否定することは出来ない。
だとすれば、「ストレス」を生み出しているものの正体は、自分自身の意識にほかなりません。
現在、社会全体の充足基調に棹をさしているのは、相対比較が引き起こす否定意識ではないでしょうか。
「否定するものなど何もない」という事実に気づくことが、「ストレス」なる自我病を根絶し、人類を進化させる上で不可欠の「圧力」=「活力」を獲得する第一歩なのだと思います。
サイコウさん、マニマックさん、コメントありがとうございます。
>これでの学問や科学でさえ近代観念にゆがめられ、何が事実といえるのかかが曖昧になってしまっているのが現代ではないでしょうか。(サイコウさん)
>確かに、現代のストレスを考えると、心と体のバランスがとれないというか、意識と制度がかみ合ってないというか、現実の外圧が霧によって見えにくく把握できず、活力源が見出せず、外圧に適応したくてもできないような感覚があります。(マニマックさん)
⇒現代の圧力(ストレス)とは、直視したくても、圧力の構造事態が不鮮明になっていると思います。人類の起源からスタートし、人類に対する圧力の構造がどのように変化していったのか、ブログの中で追究していきたいと思います。
なおとさん、コメントありがとうございます。
>「否定するものなど何もない」という事実に気づくことが、「ストレス」なる自我病を根絶し、人類を進化させる上で不可欠の「圧力」=「活力」を獲得する第一歩なのだと思います。
⇒仰る通り、社会の潮流は充足や安定に向かっていると思います。人類の歴史構造を解明することで、現代が「否定するものなど何もない」ことの気付きに繋がっていくように思います。
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