2009年09月14日
日本の性風俗の変化 江戸~明治 その2
前回の『日本の性風俗の変化』では、混浴や裸体による日常活動と文明開化に付いての話でした。
今回は「婚姻届」について、、
現在では一夫一婦制が当たり前のようになっている日本。
「婚姻」という制度ですとか、浮気はダメっていう風俗は何時から出来たのか
を調べてみました。
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写真は婚姻覚書 (講談社学術文庫)のカバーです。
「婚姻」という制度ですとか、浮気はダメっていう風俗も大昔からあったように
思い込んでいますが、実はほんの100年位前まではそうでなかったようです。
江戸時代の大奥とか、将軍・・・など一部の権力者(金持ち)では一夫多妻
だったようですし、庶民でも、各地でつくられていた「若連中」の「若者宿」
とか「娘宿」、「夜這い」の風習で分るように部落意識が強く、男女交際も
若連組の承認の上でおこなわれていました。
つまり村落共同体においてはオープンだったのです。
明治以前の聟入婚、村内婚の時代においては、若者組や娘組の共同監視や
自然統制の中において、若い男女は、かなり自由に恋愛結婚をおこなっていた
と考えられます。
婚姻準備としての恋愛交渉は、社会的に容認された人間修行の道であったのです。
すなわち、「夜這い」は、結婚成立への正常なコースであったのである。
明治以前の混浴や裸体による日常の例を見ても分るように、当時の人々にとって、
“性は隠すもの”ではなく“おおらかなもの”であると認識していたようです。
江戸時代には妻の他に妾を囲うことは、前述したように上流武士社会や富裕な
町人層では普通に行われていました。
こうしたいわゆる蓄妾制は明治時代に入ってからも続き、明治3年に制定された
「新律綱領」では妻と妾を同等の二親等とすると定められたのです。
つまり、家を存続させるためには、妾も妻と同等の地位に押し上げ、跡取りを
産んでもらおうという事情が潜んでいました。
キリスト教を背景とした西洋文化が浸透するにしたがって、一夫多妻制は貞操概念
を逸脱した、野蛮な制度であるとの認識が広まっていく。
それに変わって、一夫一妻の対を土台とする結婚という契約制度という概念が
一般的であるという認識が広まったためである。
以降、日本では一夫一妻制を基調としており、これは明治23年に発効された
旧民法人事編31条に記載が見られる。
以降住居移転の自由や、交通の発達によって、村外嫁入婚の時代に移行して行くと、
「夜這い」ということばは、いつしか卑俗な語感になりさがってしまう。
大正時代にはまだ自由思想が底流していたのでさほど社会の目もきびしくはなかった
が、昭和の戦時体制にはいってからは、道義的に「夜這い」は許されぬ行為とみら
れるに至った。
戦後の新憲法下においては、「恋愛」を罪悪視する風潮はなくなったが、恋愛結婚
はまだ全体の50%にすぎない。
以上が婚姻習俗の概要である。
- posted by mukai at : 2009年09月14日 | コメント (9件)| トラックバック (0)
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comments
人類が365日性交が可能画可能だという特色を、学者たちは真正面から追求してきませんでした。
せいぜい、「人類は本来の生殖の性交を快楽として堕落してしまった」という程度の、マイナス評価ぐらいです。
人類の「性」が生殖以外の意味を持ったが、それが単なる堕落への道なのか、生存をかけて獲得した新たな武器だったのかどうか。
進化形態での人類は「常時性交可能」と言うと特性を獲得して生存の可能性に高く貢献して来たと推論するほうが、妥当性が高いでしょう。(堕落というマイナスファクターだけなら人類の生存は考えづらいからです)
「日常的に性交可能」と言う人類の特性が何なのかと言う課題に対して、この投稿の、オスメスが常に「期待」とそれに応えたいと言う「応望」を確認しし合う事が、極限的な人類の不全状況下での重大な活力源であるとする仮説は、非常に有意義な仮設だと思います。
この仮説をさらに緻密に整合させるような、議論があるとおもしろそうです。
年中発情、と聞くと、現代人の印象は堕落と考え勝ちですが、それは性を「自我充足」の為のものと考えるからだと思います。
性行為自体の持つ意味がなんなのか、
>オスメスが常に「期待」とそれに応えたいと言う「応望」を確認し合う事が、極限的な人類の不全状況下での重大な活力源である<
のように、生殖行為以外にどんな意味があるのかを、既存の価値観抜きに考える湖とは重要だと思います。
人類の性が年中発情可能なのは、やはり極限的状況野中で、深い充足を得て活力源とする為だったと考えるのが最も論理整合性が高いと思います。
年中発情が「堕落」であると捉えられてしまうのは、火の鳥さんも書いているように、自我・私権の性から見た価値観で判断するからでしょう。逆に言えば、年中発情可能になってしまっただけに、「自我・私権」意識で性を捉えると、どこまでも堕落してしまい、社会も集団もガタガタになってしまう。
だからこそ、人類はその「性」の重要性を認識し、その本質について考えていくことが重要なのだと思います。
このブログは、このような問題に真っ向から取り組んでおり、これからの社会について考える上でも重要になるブログであると感じています。
>逆に言うと、共認機能によって性闘争本能・閂本能を制御することが可能になったからこそ、共認の性による年中発情が可能になったとも言えます。<
塗り重ね構造である脳の中で、本能の次に作った共認機能領域(大脳新皮質)で、性闘争・閂本能領域を制御しているですね。
本源の性の再生のためには、この共認内容をどう作っていくかが鍵になると考えて間違いはない!と確信しました。
>このように見てくると、人類は共認機能によって年中発情を可能にしただけではなく、共認(+観念)機能によって生殖欲求に基づいた性闘争本能や閂本能さえもコントロールすることができるようになったと言えます。
人類の場合本能次元の発現よりも、共認(+観念)機能で性欲をコントロールしていると思います。
現在は観念で性欲を封鎖しているとしたら、次代の可能性を追求していくことがその突破口になると思います。
>恐らくこの“本能機能による性(=子孫を残すための性)”から“共認機能による性(=充足のための性)”への転換は、皆(とりあわけ極限時代においてはボス)の不全を解消するために、女性側の“排卵と密接に結びついた発情”を排卵から切り離したことで実現した、つまり“女”発で進んだ可能性が高いと考えられます。
確かに、女の本能機能を改変することによって実現しているわけですから、女発と見るべきなのでしょうね。そうなると少し気になるのは、男側は体機能を改変していないのか?という点です。
人類の男は、当たり前ですが、年中精子を作っています。論理的に考えれば、繁殖期の存在する動物において、繁殖期以外の時期に精子を作ることは雄にとっては徒労でしかなく、作っていないのではないかと推測されますが、このあたりはどうなのでしょう?
この問題は、極限時代の男(ボス)がそもそも年中性行為が可能だったのかという問題にも繋がります。
ただし、精子を生成するスイッチ(?)がメスの発情を受けて入る仕組みになっていれば、大きな問題にはなりませんが。
しかし、そうであるとすると、次に問題になるのは、精子の生成能力です。年中性行為を行い、かつその頻度が高まっていくとすれば、それまで以上に精子の生成能力が求められるわけで、その辺の能力が人類においては高まっているのではないかと推測されます。
なんか自問自答みたいになってしまってすみません…
>極限時代の人類は強烈な外圧に適応するため、性闘争封鎖。
>豊かな現代は、草食男子、セックスレス、性衰弱。
性の減少としては、一見、同じようですが、その構造は、全然違いそうで興味深いです。
>性行為にも“子孫を残すための性”と“充足のための性”の2種類があることがわかりました
性は長い歴史の塗り重ねのなかでシステムが組まれてきているなかで、現代的な価値判断で考えるよりは、性欲構造まで踏み込んだ論点はとても構造的に理解しやすいです。
草食男子+肉食女子などと持ち上げられているなか、現代の性問題の切り口になるのではないかと思いました。
hermes 01139 共同体社会と人類婚姻史 | 本格追求シリーズ1 人類の”性”の本質を探る<人類の性欲構造5 哺乳類と人類の性欲構造の違い>
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