2022年07月03日
人類の脳の進化は何故起きたか 2
原人あたりで飛躍的に脳が大きくなったのは何故なのか?
その時に獲得した「人類固有の知能」とは何なのか?
人類が、道具を発達させた「本能を超えた動機」とは何なのか?
これらの疑問を追求するためにも、まず脳とは何か?を少しだけおさらい。
脳というと脊索動物あたりから登場したとなりますが、もっと原始的な脳は皮膚にあります。皮膚は様々な情報をキャッチする外識機能を有していると同時に、その外圧に対しどう適応するかという判断機能も有しています。皮膚は第一の脳であり、その皮膚が内側に入った腸は第二の脳、頭にある脳は第三の脳とみるのが、進化史と整合します。この辺りの追求は、傳田光洋氏が熱心ですね。「サバイバルする皮膚」はナカナカ面白いです。
頭の脳が大きくなり始めたのは哺乳類からですが、ここにも皮膚の発達が密接に関連しています。初期哺乳類の現モグラから始まり、その後の陸上哺乳類やサル・類人猿に至るまで、母子密着や子ども同士のじゃれ合い、スキンシップ等を通じて、第一の脳である皮膚感覚の受信機能と快・不快の判断機能が発達していきます。この皮膚の判断と、視覚や聴覚等から受信した脳の判断との突き合わせにより、判断の組替え→再統合を脳が担うことになります。つまり、脳とは、最適な行動を導くために、探索し、認識を組み替えることが本質的な役割といえます。
で、先の疑問に戻ります。
人類は何故、脳が発達したのか。
これまで記事にしてきたとおり、初期人類は主体凍結→全面受容により、同類との一体化に至りました。平たく言うと、自分が無になることで、相手と自分に境が無くなり一体になることです。仏教では「無我の境地」といいますね。自分が無になると、同類との一体化だけでなく、万物とも一体化できるということです。
もっと詳しく知りたい方は、過去の記事もご覧ください。
この万物との一体化によって、万物の波動(エネルギー)を捉えられるようになった人類は、目の前に映る対象の背後全てに、波動(エネルギー)を感じ取れるようになります。
つまり、サル・類人猿までに獲得した、本能や共認機能に映る具体的な対象は、夫々が別々のものとして映りますが、万物との一体化で波動を感じることで、別々のものも全て一体のもの、繋がっているものとして認識することになります。故に、行動を導くためには、この双方を繋げる必要性があるのです。その為に、
全てが一体で、全てに流れているエネルギー、力は何なのか。
力の源、繋がり、構造はどうなっているのか。
この力の本質、構造を追求することで、初めて本能、共認回路で捉えた具体対象と、万物との一体化回路が繋がり、判断と行動に結びつくようになります。
そして、その本質や構造を表したものが人類固有の「観念」として表現されていくことになります。
例えば、“ち”という言葉(観念)があります。
”ち”は、現在では、地、血、乳、稚、知、風、霊という漢字に現れていますが、力や命の源、巡るものを捉えた言葉と考えられます。万物のなかに共通する力を、見出していた現れでしょう。
参考:やまとことばの「ち」
また、“はな” や “め” など、自然界にも人間の身体にも同じ言葉が使われているものもよくありますよね。本能では全く別のものとして映る対象も、万物と一体化した思考で捉えると、同じ波動として捉えられ、その本質を観念として表したのだと考えられます。
このように人類の脳は、本能共認で捉えた対象と、万物との一体化で捉えた波動とを再統合するために、その波動を大きく捉え(包含思考)、その力の本質を探索し、力の関係構造を組立てる必要性から進化してきたのではないかということ。
哺乳類からの脳の本質である「探索、組替え」の必要性は、ここにあったのではないかということです。
そのように人類の脳の進化を捉えると、道具の発達とはどう繋がっているんでしょうね。大分見えてきた感覚がありますが、それはまた次回以降に。
- posted by kida at : 2022年07月03日 | コメント (0件)| トラックバック (0)
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