2022年11月13日
高群逸枝の日本婚姻史2~婚姻の概観。日本婚姻史の3つの転換点
日本婚姻史1~時代区分と婚姻形態
で示した婚姻形態の概要を補足します。耳慣れない言葉もありますが、言葉の補足とともに流れを概観します。
特徴なのは、前回の記事でも述べた通り、室町頃に嫁取り婚が登場するまで、日本ではずっと婿取り婚であり、母系制であったこと。これは世界的に見ても珍しいことです。室町頃から、日本でも家父長制が支配的になり、男中心の父系社会へと転換していきます。
今後、詳しく見ていきますが、日本の婚姻史の大きな転換点は、
①縄文から弥生に代わる大陸文化が流入した時点が1つ目。所有意識の確立が見て取れます。
②鎌倉から室町に代わる父系社会への転換が2つ目。婚姻・性の主役が女から男に交代します。
③江戸から明治に代わる西洋文明の流入による一夫一婦社会の確立が3つ目。
この3段階とみており、今後その転換の本質を探りたいと思っています。
■群婚
始原人類は、洞窟を棲家に群居し、内婚によって子孫とともに混在。洞窟の外に棲家を移し竪穴式住居で定住した縄文人も群婚を踏襲していた。定住化から人口拡大につれて次第に外婚に発展し、子孫を母群で生み育てていったと考えられる。
■招婿婚(婿取式婚姻)
群婚の母系制原理を引き継いだ妻方を婚舎とする婚姻形態。対偶婚とは1対1の弱い結合で、離合不定のもの。大和時代から鎌倉初期までこの招婿婚は続くが、中身は少しずつ変わっていくことになる。
▽妻問婚
・ 大和から奈良時代頃までの支配的婚姻。
・ 夫婦別居のたてまえで夫が妻のもとに通う。
・ その背後にはヤカラと称する族的共同体が想定される。
▽婿取婚
・ 平安から鎌倉時代頃までの支配的婚姻。
・ 狭義の婿取婚。妻方同居のたてまえ。その背後には両親世帯が成立する。
(前婿取)
・ 大化の改新後~平安初期までの、通いから住み込みへの過渡的段階
(純婿取)
・ 摂政政治の盛行時代で婿取儀式が中央・地方で見られる段階。
・ 妻方の父が求婚し、婚姻後は妻方の両親世帯と同居
(経営所婿取)
・ 院政期。自家以外のところに経営所と称する婚礼場所を設けて、
・ 妻方の手で婿取婚を行い、その後夫婦は新居に移る。
(擬制婿取)
・ 鎌倉から南北朝時代頃まで。
・ 夫方の親が別宅へ避居したあとを妻方の家として擬制して婿取り。
■嫁取式婚姻
室町頃に表面化した妻が夫方の家父長の族中に同居する形態。婚姻は夫方の家父長によって行われ、夫方が貰い手。妻が呉れ手という取引観念に基づく。この段階で古代から家父長婚を持続させてきたアジア・アラブ諸国に対して、日本も合致することになる。
▽寄合婚
・ 明治維新に萌芽し、昭和憲法後に表面化する自由結合の個人型一夫一婦婚。
- posted by kida at : 2022年11月13日 | コメント (0件)| トラックバック (0)
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