2022年11月21日
【縄文人の特性】土偶に見る世界観と追求の方向性②
前回の記事で扱ったように、土偶の形、種類は驚くほど多様さがあります。
しかし、教科書でも少ししか触れられておらず、その実態はよく知られていません。
今回は、「なぜこのような土偶を作ったのか」「土偶に込められた想いとは」を追求してみたいと思います。
縄文時代に作られた土偶は、女性や妊娠を象ったものだというのが定説ですが、最近では、実は植物を象っているのではないか?という新説が出てきています。
『土偶を読む 130年間解かれなかった縄文神話の謎(竹倉史人著/晶文社)』によると、狩猟採集生活の縄文の人々にとって、植物の播種(種まき)は、植物を成長させ実り豊かにするには大いなる精霊(生命力)と守護がなければできない事業。そのため、順調な播種、豊作を祈る呪術的な儀礼が行われていたとのこと。
その背景を踏まえて土偶をよく見た際、女性や妊娠ではなく、植物の根茎などを象ったものではないか?というのが著者の主張です。
確かに著者の主張通り、単に女性や妊娠を象ったものでないのは、どの土偶を見ても感じるところ。お尻や足が極端に大きく、顔の形も人を表現したにしては歪です。
縄文人の採集生活や植物に対しての精霊視の背景を踏まえ、「よく見たら植物にも見える」という説も、なるほど確かに!と思える部分もあります。
※画像はこちらからお借りしました。
が、単に植物をモチーフにしたわけでもない気がします。
かといって、定説のように、単に人を抽象化しただけでもないようにも思います。
従って、土偶は「人(女性や妊娠など)」と「植物」を融合・一体化させるイメージをモチーフにしたものではないか?!というのが私たちの新説です。
土偶の身体的特徴をよく見てみると、植物と人と両方を抽象化して融合させたと思われる表現がいくつも見つかります。
※画像はこちらからお借りしました。
この土偶は、教科書でよく見る「遮光器土偶」言われるものですが、土偶の名前にもあるように目の部分の遮光器が特徴です。
これは植物的には、新芽や豆のような形を表しているように見える一方で、遮光という人の生活の一部を表しています。(植物に遮光は必要ない。)
また、人にしては明らかに太い腕や足は植物の根茎に見える一方で、人として四肢の力強さを表しているのではないでしょうか。
そして、よく見ると服のようなものを着ており、服という人間的な特徴に、植物の成長を表すような弦のような渦模様があります。面白いのは、服の上からでも乳首を象っており、それは植物の種を表しているようにも見えます。
もう一つ別の土偶を見てみましょう。
この土偶は、一見、人らしく作られているように見えますが、特徴的で面白いのは、目と口が同じような形で飛び出しているところと、眉と鼻が繋がっているところと。
目と口は植物の種や豆を、眉から鼻にかけて一繋がりで象っているそれはまるで生えたての新芽のようです。
このように土偶は、単純に人の特徴を誇張したわけでも、植物の特徴を擬人化したわけでもなく、見ようによってはどちらにもとれるように、両者の特徴を上手く結節させて表現しています。
つまり土偶は、人と植物の特徴をどちらに偏らせるでもなく抽象化し、人と植物の境界を絶妙にぼやかし、融合させているのです!
これは仮説ですが、実はこの「融合説」、土偶以外の事象や物象からも伺えます。
次回はそれらも取り上げながら、縄文人の創造の源泉に触れてみたいと思います。
- posted by nisi at : 2022年11月21日 | コメント (0件)| トラックバック (0)
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