2011年02月05日
シリーズ『共同体社会と本源の心』⑩ まとめ
みなさん、こんにちは。
『共同体社会と本源の心』と題してご紹介してきたシリーズは、今日で最終回です。これまで・・・
シリーズ『共同体社会と本源の心』① ~新たな期待=本源期待とは何か?~
シリーズ『共同体社会と本源の心』② ~「自分らしさ」を理解できない人々
シリーズ『共同体社会と本源の心』③~生命の本質への感謝
シリーズ『共同体社会と本源の心』④ ~インディアン部族とは何か
シリーズ『共同体社会と本源の心』⑤ ~「オヤとコ(柳田民俗学から)」
シリーズ『共同体社会と本源の心』⑥ ~村落共同体の規範について~
シリーズ『共同体社会と本源の心』⑦~等分配ルールと平等観念の違い
シリーズ『共同体社会と本源の心』⑧~共時一体感覚にささえられる文字による共認
シリーズ『共同体社会と本源の心』⑨~ヘヤーインディアンの社会に学ぶ「同化教育」
と、9回にわたって本テーマに繋がる記事をお届けしてきました。地域としては日本とネイティブアメリカについてのものになりますね。
シリーズを振り返って感じるのは、現代に生きる私たちに「当たり前」であることが、人間本来のあり様として本当に当たり前なのだろうか?という疑問です。ご紹介してきた多くは過去の事例になりますが、その当時としては当たり前であった考え方や規範です。そこに時間的な隔たりだけでない、何か別の隔たりを感じるのは私だけではないでしょう。
今現在の生活様式を捨てて、いきなり過去の生活様式に戻ることはできません。しかし、過去の事例の中に、物的な豊かさ以上の豊かさを感じ、人間本来のあり様=本源 を見ることが出来るならば、それを現在的に翻訳して適用していくことはできるはずです。
今現在 高まりつつある本源期待とは、現実の期待です。過去と現在の隔たりを埋めて、現実の本源期待に応えていくためにはどうすればよいのか?そんな視点でシリーズを振り返ってみます。
- posted by hayabusa at : 2011年02月05日 | コメント (2件)| トラックバック (0)