2010年11月20日
シリーズ『共同体社会と本源の心』② ~「自分らしさ」を理解できない人々
『共同体社会と本源の心』、
2回目です。
今日は「先住民の心」に触れてみたいと思います。
まずは応援、よろしくお願いします。
ありがとうございます
るいネット「自分らしさ」を理解できない人々からの引用です。
随分前に先住民族の文献で読んだのですが、彼らは「自分らしさ(MYSELF)」と言う観念が理解できないそうです。
(むしろ理解できないと言うよりも、存在しない)
彼らは、自分が大地の一部であり、(大地と)同一であると考えているため、その大地の上に立つものは全て「同じもの」だと理解しており、
ネイティブであるかどうかや、宗教に関係なくその認識を持っているようです。「大地に立つもの全て」であるので、獣や鳥、花や木々にまでその認識は及びます。
当時僕は、「自分らしさ」と言う観念を持たない彼らを今一イメージできずにいましたが、ここのところの構造認識・パラダイム転換の議論を通して、なんとなくその意味するところを実感できた気がします。
どうでしょう?
彼ら先住民の心をイメージできたでしょうか?
無理???
実は僕もそうです。ある意味、それが普通なのかも知れませんね。
『自分らしさ』『自分をしっかり持つ』などなど、学校・家庭で教え込まれてきた現代人。
それだけ僕たちは旧観念に染脳されているともいえるのです。
改めて前回の記事を見てみましょう。
まず、’70年~の私権収束力<共認収束力とはどういうことか?
それまで私権収束力が強力な時代は、指揮系統=上からの命令は絶対であった。ところが、共認収束力の時代に代わると、上からの命令では人は動かなくなり、それよりも「みんな、どうする?」とみんなの共認を羅針盤にするようになってきた。
問題はみんな共認の中身で、それはマスコミによって支配されている。マスコミの垂れ流す旧観念(近代思想)や私権観念によって中身は染上げられままであった。つまり、羅針盤が上からの命令からみんな共認に代わったものの、その中身は旧態依然なままだったのである。
80年代に盛んだった自分探し。
流行歌。
これらは、
「みんな、どうする?」
と、誰もが感じて行動を起こしてはいたけれど、
答えにはたどり着けなかった実例です。
そうなってしまった原因は『自分』という旧観念に囚われていたから。
『自分』とは一体なんなのか?
再び「自分らしさ」を理解できない人々に戻ってみましょう。
彼らは、何よりも、人々の意識(皆)=自分=現実であることを理解していたのだと思います。そのために、現実(皆の意識)と自分の意識を切り離して理解することが出来ないのでしょう。「大地に立つものは全て同じ」と言う考えは、世界=現実を理解する構造認識と言えるのかもしれません
「世界」と「自分」を切り離し、「自分が自分である理由」=自分らしさを追い求めて来た、現代人。しかし、そこには答えなどなく、空しさと孤独感だけが付きまとう。
しかし、「自分らしさ」と言う観念を持たない彼ら(ネイティブ)は、不安に怯えるどころか、常に自信に満ち溢れ力強く、存在不安の欠片も見られない。
現代人の、この存在不安がどこから生起しているかというと、
バラバラな個人になってしまったことにあるようです。
バラバラな個人になってしまったので不安になる、その不安を消すために「自分らしさ」を探す、という堂々巡りに陥ってしまったのが現代人です。
では、どうすればいいのか?
いかに、僕達に刷り込まれた「自分らしさ」と言う観念が倒錯したものであるかがわかります。
それは同時に、「現実=人々の意識=自分」と言う構造認識の正しさを知ることでもある。
四方勢至さんからの認識提示を受けて、おぼろげながらではあるが、ようやくその構造認識にたどり着いた僕達。
どうやら僕達現代人は大きな回り道をしてしまったようです。
「現実=人々の意識=自分」という状態を作り上げるにはどうすればいいか?
これも前回記事にヒントがあります。
その土台となるのが、与えられた場を充足する場にしたいという思いであり、それが活力の源泉となる。その次に来るのが、勝てる場にしたい⇒勝てる方針を発信することである。ここまでは、与えられた場の中でも可能だが、その延長線上に、従来の事業を超えて、新事業をつくるor新しく起業するということも考えられる。
このような充足期待を原点にした「集団をどうする?」「社会をどうする?」から生まれる場づくり期待が、豊かさ期待に変わる新たな社会期待になるのではないだろうか。
’08年私権観念の消滅を受けて、顕在化しつつあるこのような潮流。
その先には新たな共同体社会の構築が待っているんじゃないでしょうか。
そのとき僕たちは、先住民と同質の本源の心を再獲得していることになるでしょう。
- posted by ohmori at : 2010年11月20日 | コメント (13件)| トラックバック (0)
trackbacks
trackbackURL:
comments
確かに女性を、性的な商品として取り扱っていた実証と言えると思います。
人類には「首長」「唇長」などいろいろな美的「フェチ」があると感心されます。
鶴橋さん、コメントありがとうございます。返信するのが遅くなってすいません。
現代人から見ればフェチなのでしょうが、その当時の纏足をしていた本人たちからすれば、真剣かつ切実に取り組んでいた事なのだろうと思います。
単なる趣味のために身体改造するには相当の覚悟が必要です。
でも周りから言われるまでもなく、本人たちが自ら進んで行っていたことが驚きです。
彼らにとっては、現代人がするピアスと同じ感覚だったのかもしれませんね。
これからも応援の方をよろしくお願いします。
中学生の頃、纏足は女性が逃げられないように、歩きにくくするためと学校で習ったが、中学生に静的な話が憚られたのだと思いますが、そういう側面もあったのでしょうか?
コメントを入力してください
こんにちは。中身の濃いサイトですね。
モンゴロイドの12回分、一気に読んでしまいました。
タミル語と日本語の祖語が江南地方にあったという新説も大変興味深いです。
さて、纏足が性的アピールだったというのは、納得しやすいです。
単に逃げられなくするためなら、女性側のメリットがないので、協力的態度は得られなかったでしょうからね。
それなら貴族の子女などが、受け入れるはずがありません(奴隷的身分の女性なら受け入れざるを得ない)。
現代の女性が整形手術をするのと、まさしくアイソモーフィックだと思います。
この人が脱退してから、AKBの話題が減った気がする。
それというのも、たとえランクを下げたとしても安い値段ではありません。
セリーヌ 直営店
miumiu エナメル財布 汚れ
チャンルー 正規
コーチ 通販
mbt ema 共同体社会と人類婚姻史 | 中国の性文化であった『纏足』
moncler outlet damen 共同体社会と人類婚姻史 | 中国の性文化であった『纏足』
共同体社会と人類婚姻史 | 中国の性文化であった『纏足』
comment form