2011年07月16日
■古代中国の再考 ~③紅山文化
今日は中国の古代文明のうち、仰韶文化とほぼ同時期に中国東北地方の遼河流域に起こった遼河文明の代表ともいえる、紅山文化について見て行きたいと思います。
紅山文化(こうさんぶんか)は中華人民共和国河北省北部から内モンゴル自治区東南部、遼寧省西部に紀元前4700年頃-紀元前2900年頃[1])に存在した新石器時代の文化。
万里の長城より北方、燕山山脈の北から遼河支流の西遼河上流付近にかけて広がり、農業を主とした文化で、竜などをかたどったヒスイなどの玉から、現在の中国につながる文化や宗教の存在の可能性が考えられている。、(ウィキペディアより)
>原中国人(スンダランド発のO1、O2が主体の元海洋民)は母系の農耕文化を開花させるが、次第にモンゴル高原の新モンゴロイドO3が南下して文化的影響を与えるようになる。<(るいネットより)
紅山文化は、それまでの母権社会から父権社会への移行期であるとも言われていますし、その他様々な面でもそれ以前とは変化が見られます。それでは具体的にその違いを見て行きたいと思います。
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- posted by saah at : 2011年07月16日 | コメント (3件)| トラックバック (0)