2007年06月10日
オセアニア地域の文化的特徴
『オセアニアへの人類の拡散』の第2幕の舞台であるミクロネシア、メラニシア、ポリネシアの文化的な特徴を紹介します。合わせて、この地域に関するこれまでの当ブログの記事をピックアップしてみました。みなさんの探索の足がかりにどうぞ。
●ポリネシアの伝統的遠洋航海用カヌーの再現図
●オセアニア全域地図(クリックで拡大します)
『オセアニア 暮らしの考古学』印東美智子著より
<ミクロネシア>
ミクロネシアは小さな島々という意味で、オセアニアの中で日本にもっとも近いところに位置する。グアム、サイパン、テニアンなどのマリアナ諸島をはじめ、ヤップ、パラオ、チューク(トラック)、ポーンペイ(ポナペ)、コシャエ(コスラエ)、マーシャル諸島、キリバス(ギルバート諸島)などの島々が含まれる。ヤップとチュークの間にはたくさんの環礁と呼ばれる海抜2メートルぐらいの低いサンゴ島が広がっている。西部ミクロネシア(マリアナ、ヤップ、パラオ)と、東部ミクロネシアでは言語及び文化がかなり異なっており、「ミクロネシア人」と呼べる人々は存在しない。
オセアニア地域の文化的特徴より引用
※ブログ記事
○ミクロネシア、サタワル島の母系社会
○ミクロネシア・サタワル島の母系原理と父系原理の攻防
○ミクロネシア・ヤップ島の紹介
○ミクロネシア~はるかなる歳月の歩み
<メラネシア>
メラネシアは黒い島々という意味で、面積の大きな火山島が多い。そこに居住する人々は、メラネシア北部に数万年前から居住してきた旧石器時代の人々の直径の子孫あるいは混血であり(オーストラロイド系)、ポリネシアやミクロネシアの人々に比べて肌の色が黒く髪の毛が縮れている。文化的にも首長制をとっており、マナや秘密結社の存在が社会秩序を保つのに役立っていた。メラネシアの島にはニューギニア、ソロモン諸島、ヴァヌアツ、ニューカレドニア、フィジーが含まれる。
メラネシアの住民の形質的特徴がポリネシアの人々とあまりに違うので、以前はポリネシアの人はメラネシアを通らずに東南アジアから拡散したと考えられてきた。しかし考古学の調査で、多くの島で古い文化層(今から2000~3000年前ごろ)からラピタと呼ばれる土器が見つかり、これこそポリネシアまで移動していったモンゴロイド系の人が残していった証拠であることが明らかになっている。つまり、ポリネシアの人々が通り抜けていった後に、それまでメラネシアに住んでいたオーストラロイド系の人々がフィジーまで広まったのである。
オセアニア地域の文化的特徴より引用
※ブログ記事
○トロブリアント諸島(ニューギニア)の母系社会
○ダニ族は、狭い盆地で部族間闘争を2万年以上続けてきたらしい
○母系なのに嫁入りって?=母系社会の3つの形態=
○無文字社会の思春期(3) 「性は、悪いこと、恥ずべきこと」と考える社会
○「性否定社会」ってホントに存在したの?(1)
○「性否定社会」ってホントに存在したの?(2)
<ポリネシア>
ポリネシアは、多くの島々という意味で、北半球にはハワイ諸島、その他は南半球に散在している。西から、トンガやサモア、タヒチ、クック諸島、イースター島、ニュージーランドなど、なじみのある名前の島々が多い。
ポリネシアは、他の二地域に比べると文化的にも言語的にも均一性が高い。これは、人間集団の拡散が比較的最近行われたことを意味する。メラネシアを通って西ポリネシアのサモアとトンガに最初の人間が達したのが今から3000年前ごろであった。その1000年後ごろに再び東へと移動をはじめたポリネシア人は、タヒチのあるソサエティ諸島やマルケサスまで太平洋を横断し、そこからハワイ(紀元後700年)、イースター島(紀元後700年)、そして最後にニュージーランド(紀元後1250年)へと拡散した。また、一部は南米大陸にまで行ってサツマイモなどを持ち帰った人々もいたと考えられている。
ポリネシアでは首長階級と平民階級がはっきり分かれた階層社会が発達し、タコノキの葉で編んだござや、木の皮をたたいてのばしたタパなどの手工芸が盛んだった。土器はサモアで消滅し、それ以降、ポリネシアは無土器文化となり、調理には石蒸し焼き用の炉が利用された。
オセアニア地域の文化的特徴より引用
※ブログ記事
○まだ、ありません!
『他の二地域に比べると文化的にも言語的にも均一性が高い』ポリネシアは、他部族との闘争圧力が低かったのでしょうか?その社会で生じた『首長階級と平民階級がはっきり分かれた階層社会』とはどんな社会だったのでしょうか?、気になることもいっぱいです。
まだだま紹介されていない部族がたくさんあるようです。どんどん探索していきましょう。@さいこう
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- posted by sachiare at : 2007年06月10日 | コメント (5件)| トラックバック (0)
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comments
昔夜這いってのがあったってことは、聞いたことありましたが、性民俗としてある意味、村々の規範のひとつみたいなの感じだったんですか?
夜這いは共同体を維持していくための、「実践的方法論」としてあったって、すごいですね。驚きです。
マニマックさん、コメントありがとうございます♪
村落共同体では、「夜這い」に限らず、性そのものがみんなの生活の中の一部だったんですよね。
性も生産も子育ても、全部同じようにみんなの課題。
だから、問題があればみんなで考えて、みんながより充たされるように、どんどん改良されていったんだと思います☆
ゴルゴ13の作者の自伝で、少年時代夜這いしまくっていたというのを見て、検索してきました
作者のさいとうたかおさんは終戦後、田舎に移住したそうです だから昭和20年代の話・・・最近まであったんですね
友達と夜中、忍び込んで、暗くておばさんをやってしまい、みんなで爆笑したとか結構楽しそうでした
hermes bag yellow 共同体社会と人類婚姻史 | 何で「夜這い婚」は衰退したの?①
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