2007年12月19日
セム系部族社会の形成調査機関
「北メソポタミア山麓地帯の南方・ジャジーラ地方から東と西に展開したセム系部族社会の形成過程を、ピシュリ山系の調査によって明らかにする。」という趣旨のもと、このブログでも何度か引用されている興味深い調査研究・発表を行なっているHPを改めて紹介したいと思います。
未だ未解明な部分の多い遊牧民族と都市成立の連関と起源ですが、その研究趣旨や活動と共に、今後のセム系部族社会の研究成果に注目です!
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「セム系部族社会の形成」http://homepage.kokushikan.ac.jp/kaonuma/tokuteiryouiki/shushi/index.html
~以下「セム系部族社会の形成」の研究趣旨より引用~
中東の歴史、特にその前半部分の歴史は、北メソポタミア山麓地帯、即ち、「肥沃な三日月地帯」を舞台に展開してきました。しかし、その歴史を詳しく紐解いてみますと、例えば、メソポタミアには、マルトゥやアムッルなどと称される遊牧民が、シリアやパレスチナには、アモリやアラムなどの遊牧民が、盛んに流入してきたことが分かります。彼らは単なる遊牧民ではなく、それそれの流入先で都市を建設し、バビロニアやアッシリアといった大国をもうち立てました。 これらセム系遊牧民の原郷と考えられているのが、 この、ビシュリ山系です。
本研究は、このビシュリ山系をフィールドに、セム系部族社会の形成過程を解明することをめざしています。本研究の意義は、古代文明でもなくイスラームでもなく、その両者を貫く「部族性」をキーワードに中東の歴史と社会を読み解くこと、にあります。 現代の中東都市も、遊牧社会に由来する「部族性」を内包しています。その意味で、本研究は現代的な課題にも有益な情報を提供するものと考えております。
本研究が着眼するのは、中東の都市には、依然として部族社会の原理と枠組みが内包されている、という事実です。都市に内包される部族性とは何か、具体的な事例を挙げて、説明しましょう。
これは現在のヨルダン南部の町、アル・フセイニーエです。
この町は遊牧民の定住化によってできた町ですが、実際に住み着いたのは、アウダート部族連合とディアバート部族の、二つです。
興味深いのは、それぞれのグループが、居住する街区を異にしているだけでなく、墓地をも違えている、という点です。一つの町の中で二つのグループが、生と死の両面において、明確に住み分けているわけです。このように、一見して一つの町のように見えても、その内実は部族の寄せ集め。ここに、中東都市の特異性があると言えます。
自衛隊がサマワ市で直面し、当惑しているのが、まさにこの問題なのです。
こういった中東の持つ特異な部族性を過去に遡り、遺跡調査など多角的な視点から、遊牧部族・セム系部族社会の形成について明らかにしようとする、本格的な調査・研究機関として要注目です 😀
- posted by kasahara at : 2007年12月19日 | コメント (4件)| トラックバック (0)
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領主裁判権について
http://www.tabiken.com/history/doc/T/T115C100.HTM
に興味深い内容が書かれています。
主体的に裁判を行っていたのは領主で、農民は完全に支配されていたことがうかがい知れます。
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