2007年12月13日
元服
成人式のお話。。。
古にいう元服の儀式です。
現代では新成人のお祝いとして、ある種のイベント化していますが、
古来の元服には、 「性・婚姻」といった面でも「一人前」とされる儀式だったようです。
古来、男子は15歳になると元服します。
氏神の社前で大人の服に改め、髪型を改めて大人の髪(冠下の髻(かんむりしたのもとどり))を結い、烏帽子親により冠をつけます。
「冠婚葬祭」の「冠」とは、この成人式の事を差します。
武家の子息であれば、元服を迎えると神社で武運長久を祈願しました。
さて、主に貴族や武家の儀式であった「元服」
これが室町時代以降、民間にも普及します。
民間には、褌親(へこおや)の元で初めてふんどしを付け、性に関する知識を授かる褌祝(ふんどしいわい)と呼ばれる儀式があったのだそうです。
以下、ウィキペディアより抜粋。
男児が成人男性に達したことを祝う、古来の私的祭事で、庶民階級の元服に相当した。褌は下着として陰部を覆うことから、生殖能力を備えたことを祝う象徴として用いられた。女児の初潮を迎える時期に行われる腰巻き祝や結髪、厚化粧と同様の、祭事として扱われる通過儀礼である。この儀式で、近親縁者を招き、宴席を設けるところもあった。
褌は母方の伯母、叔母か、いない場合、父方の伯母、叔母から贈られることを基本としている。父方の伯母、叔母もいない場合は、母親か姉妹と、血族の女性から贈るものとされ、「オバクレフンドシ」と呼ばれていた。
成年に達した男児は、布1反と米か、或いは、餅か酒を女性宅に持参し、その1反の布を女性が褌(六尺褌)に仕立てて、男児を裸にし、褌の締め方や使い方を教え伝えて、祝の杯を交わす儀式であると言われる。一部の地方では、この褌祝の祭事は、子に性技の作法を伝える、性教育の儀式でもあったと言われる。
母系家族の代表である母親が、男児が成長し、生殖能力を備えたことを祝い、その幸福と成功を祝う儀式として、母方の家系の姉妹が男児の最初の性行為、初交、童貞喪失の相手として選ばれた。それ以前では、母親が直接の相方となっていたようだが、近親相姦のタブーが広まったことから、母方の姉妹、血族以外の女性と変遷したようだ。(引用終わり)
また女性にも、平安時代から安土桃山時代にかけて
「裳着(もぎ)」と呼ばれる元服に相当する儀式がありました。
これは成人した女子に初めて裳を着せるもので、概ね12~16歳だったそうです。
この儀式は、「一人前の女性である=結婚させることが出来る」という親の意思表示という意味合いが強かったようです。
故に年齢も、戦国時代においては政略結婚に備えて8~10歳に繰り上がったのだそうです。
今も昔も、元服・成人式が、一人前の大人になったことを周囲に示し、祝福して貰う儀式である、ということに変わりはありません。
しかし、古来の元服には、「性・婚姻」といった要素も含めて「一人前」と見なされていたことが分かります。
ここは現代の成人式との大きな違いではないでしょうか。
ご静聴有難うございました!!
- posted by yama33 at : 2007年12月13日 | コメント (3件)| トラックバック (0)
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突然訪問します失礼しました。あなたのブログはとてもすばらしいです、本当に感心しました!
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