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2007年12月12日

日本は子育上手の先進国だった

かつての日本は、と言わざるを得ないかもしれませんが、子育て上手の先進国であったようです。しかもそれは外国人からそのような評価をもらっていたようですね。
その秘密はどこにあったのでしょうか?
いろいろ調べてみると、やはり

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幕末のころ、日本で二年間暮したロシア海軍士官ゴローニンは書いている。
日本は子育て上手の先進国であり、日本人は子供に読み書きや法律・歴史等を上手に教えるが、最も大切な点は、幼いころから子供に忍耐・質素、礼儀を極めて巧みに教えることである。
日本が子育て先進国として高く評価された秘密は、次の事実の中にある。
一人の子供に、たくさんの親がいた。
当時の子供はこの世に生まれて以来、産婆さんの「取り上げ親」,生後乳を飲ませてくれる「乳付け親」、教会や寺へ連れて行く「抱き親」、病弱な子の後見役の「拾い親」、子守をする「守親」、成人式立会人の「褌親」、男子の前髪を落とす「前髪親」、元服の「烏帽子親」や「具足親」、七歳の帯解きの「帯親」、女子が成人するときの「お歯黒親」や「毛抜親」、婚礼の「杯親」などのたくさんの親をもっていた。

これらの親は、その子と一生関係を続け、ある時は実の親に代わって厳しく教育し、またある時は遠くから優しく見守り続けた。
一人の子供に対して、大勢の親による網の目のような重層的教育システムができあがっていたのである。

これは新潟小学校のHPの乗せられていた校長先生の記事からの引用です。(リンク)
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(「褌の故事・由来」HPより(リンク
外国にはこのように、生みの親以外にその子と一生関係を続ける親のような存在の大人と言うのはないのかもしれませんね。
しかもこの”親”は何人もの子供の親でもあり、また一人の子供から見ると複数の親がいるという、非常に複層し多重的な関係が結ばれています。
一方の大人にしてみれば自分の役割がいくつもあるわけで、、しかもいろんな子供の面倒を見なくてはならず、当然そこには分け隔てなどが介在する余地はありません。
またいろんな大人が見るわけですから、一人の偏った考え方に洗脳されてゆくこともありませんね。
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彼らが”親”役となるのは、ほとんどが子供の成長に合わせて行う儀礼の際の”世話役”のようです。上記の事例にあるように、初めは生まれた時の産婆から始まり、七五三~元服等の儀式に登場します。
その儀式のたびに”後見人”が増え、彼らの後押しを受けて成長していくわけですから期待に応えないわけにはいかないですね。
一人の”親”や”先生”が子育てするのでなく、地域のいろんな人たちが共同で子育てするからこそ、子供も早く一人前になり、社会の役に立っていたのではないでしょうか。
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「義経元服物語」より(リンク
最近の”親任せ””学校任せ””よその家庭のことには口を出さない”といった傾向と正反対の事実があったわけです。
このような慣習がなぜなくなっていったのか、いろいろなことを考えさせられますね。
今後の子育てのヒントになったという方は、ポチッと応援をよろしくお願いします。

最後まで読んでくれて、ありがとうございます♪ 😀

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