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2008年06月10日

都市化した日本における公共組織 「町内会」

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これまで、中世~近世の農村の共同体組織もしくは、共同体に準ずる組織について歴史をさかのぼりながら見てきました。
東洋と西洋 ~日本:惣村の崩壊から近世農村へ~ 
東洋と西洋 ~近世農村:「水」をめぐる共同体社会~ 
水利が育む日本の共同体性 
日本の共同体性を維持し続けた「用水組合」という仕組み 
それに引き続いて、今回は、明治時代以降のお話。開国後、近代国家として工業化や都市化を推し進めていく時代のお話です。

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・・・「町内会」。
この言葉を聞いて、皆さんはどんな印象をもつでしょう。
現在の都市部に住む方の多くにとっては、「回覧板しか見ない」とか「会費だけ払っている」など、町内会の存在は薄いものとなっているんじゃないでしょうか。
ところが、明治期から戦前くらいまで、町内会は存在感がありました。町のほとんどの人が参加し、個人では担いきれない様々な役割を担う組織として活躍していたといいます。どんな組織だったのでしょう。
「ジェトロ:アジア経済研究所の「日本の経験」を伝える」で公開されている論文「第5章:戦前期の町内会ー東京市の場合について」中村 八朗 著より引用させていただきながら見て行きます。
1.町内会の成立過程
明治期、都市人口が増えていく過程で町内会は組織され始めます。開設当初の町内会はどんなことをしていたのでしょう。
大きく分けて5つの組織として形成されたようです。
1)地主・家主組織
2)若衆組
3)氏子団体
4)衛生組合
5)睦会組織
もっとも成立動機として多かったのは、「睦会組織」。
農村という生産・生活基盤から離れ、都市に入ってきた人たちは、不安に違いありません。だって、近隣住民は、あかの他人同士。これまでのように生まれも育ちも一緒というわけではありません。
多くの場合、そんな他人同士の親睦を深めるための組織としてあったようです。
そして、もう一つ。4)衛生組合 に注目です。明治初期の東京は現在のように都市インフラが整備されていなかったため、コレラなどの疫病が流行したといいます。それを契機に町の衛生を保つために町内会が組織された事例もあります。衛生組織としての町内会は、当初は、継続はしなかったようですが、後の町内会の役割の一つになっていきます。
2.歴史的契機
ある意味、自然発生的に起こった町内会ですが、いくつかの外圧によってその意味合いを強いものとし、また、町内会の発足数自体が増えていくことになります。

町内会の成立に関しては前身組織と並んで,いくつかの歴史的契機にも注目しなければならないようであ。その主要なものとして,明治27,8年と37,8年の日清・日露戦役,大正12年の関東大震災,昭和7年の市域拡張の他にさらに大正デモクラシーがあげられる。~中略~
1)日清・日露戦役
 二つの戦役に際し,いくつかの町内では,出征兵士の歓送迎,留守家族の慰安などのため住民の組織化が図られた。~中略~
2)関東大震災
 関東大震災に見舞われた東京で,町内住民が緊急時における生活防衛の必要性,それに対処するための日頃からの住民相互の結束と組織化を痛感したことは十分推測できるところである。蒐集した資料からは大震災を契機とした町内会の結成,あるいは前身組織から町内会への転換を記す個所が枚挙にいとまのないほど数多く見出せる~中略~
昭和11年9月現在で東京市の町内会数は旧市部1,301,新市部1,721,計3,022となっており,これは市内の町数(丁目は1町として計算)にほぼ匹敵する数であった。加入者総数は105万6075世帯で当時の東京市全世帯の89%に達していた。~中略~ 実質的には町内会が東京市の全域で組織されたと見てよい状態になっていたのであった。

3.町内会の役割(事業内容)
東京(市)の全域まで拡大した町内会組織はどんな事をしていたのでしょう。

1 慶弔に関する事務
2 衛生に関する事務(下水溝渠の浚渫,便所の掃除,糞尿の処理,塵芥の処理,蚊蝿の駆除,伝染病予防注射実施,衛生講演会と衛生映画会の開催)
3 兵事に関する事務(入退営者の送迎と祝金贈呈,遺族や留守家族の慰問と援助)
4 祭事に関する事務
5 自警事務(毎夜町内の巡邏,夜警または火の番,災害予防ポスター掲示,ポンプ消火器の設置)
6 救済事務(罹災者,貧困老幼廃疾などによる困窮者の救済慰問)
7 交通補助事務(街灯設備の照明,街路撒水,居住者の地番案内掲示板設置)
8 商事に関する事務(商品売出しのための町内装飾と共通福引券発行――商店街町内会の場合)
9 官公署との交渉布達に関する事務(町内の共同利害についての官公署と交渉,官公署よりの示達を町内に伝達)
10 学校教育に関する事務(学里の通学奨励,優秀児童に賞品授与,講演会開催,町内児童遊園地管理)
11 人事の相談調停に関する事務(人事の相談と紛争の調停,中傷の防止)
12 表彰に関する事務(孝子節婦,町内功労者などの表彰)
13 金融に関する事務(頼母子講風の金融組合)
14 その他(無料代筆,医師産婆等との特約,駐在所の維持,など)

現在でも、お葬式のときに町内会の人がお手伝いに来てくれるところはありますよね。
ところが、当時は、それ以外にも多くのことを町内会がやっていました。特に、「衛生に関する事務」や「救済事務」、「交通補助事務」などは、現在においては地方自治体(行政組織)が管轄するところであり、自分たちで何とかしようとは考えません。
また、「自警事務」や「人事の相談調停に関する事務」、「金融に関する事務」などは、惣村からつながる自治的性格を残すものとして捉えられるようにも思います。
いずれにしても、都市生活のうえで重要な公共的役割(統業)を全ての住民(町内会参加は原則町内全員)が専業とは別に担っていたことになります。なかなかすごい存在感ですよね。
4.行政(地方自治体や国)から見た町内会

大都市の小地域には部分的町内的事項であるとはいえ,それなりの各種の問題が生じるものであり,それを都市行政ですべてカバーすることは不可能である以上,その解決は町内会のような町内住民の組織によらねばならぬと指摘されている。さらに,行政が専門化し,かつ政治と住民との距離が拡大した大都市にあって,住民の間に住民自治の意識を涵養するには,町内会が極めて適切な組織であると述べられている。>
<つまり国の法制による自治体である東京市が膨大な人口の流入による自治体としての実質を次第に失おうとしている時,その実質を少しでも維持しようとして,多年に亘る実社会の必要の生んだ町内会に依存しようというのである。

これは、前回の記事にあった「用水組合」に通じるものがあります。
つまり、行政(地方自治体や国)が、強権を発動して無理矢理 住民達を押し込めて支配するやり方は得策ではない、と考えた点です。自ら労するより、既存の当事者間で構成される組織の働きや調整能力に「委ねる」ことで統合を図ろうとしたわけですね。
ということで、いかがでしたか?
この「町内会」という組織。実は、日本独自のものなのだそうです。
一般人が自ら公共的役割を担い、それを行政が認めて統合を委ねる関係は、長く続いた日本ならではの慣習。広く見れば、日本人ならではの統合様式なんだろうと思えてきました。

<補足>
平行して、西洋には町内会に相当する組織はあったのかをざっと調べてみたんです。似たような概念として、西洋には「コミュニティ」とか「アソシエーション」という組織はあるのですが、何か違う。
西洋は、どうも、行政(支配者)側は強権発動で「完全支配」を尊ぶ傾向があるように思われました。また、一般人(平民)は、そのような強権的な支配者から自治権を「勝ち取る」(=革命)を尊ぶ傾向があるように思われました。なんだか、日本とは180度違いそう。このあたりの詳細を調べてみると、面白そうです。

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洞窟といってもぼんやりしたイメージしかなかったのですが、かなり鮮明になりました。面白かったです。
想像以上に広く迷路風で子どもの遊び場や探検場にぴったりな感じですね。
地底湖に一番惹かれました。水があれば籠城状態になっても生き延びられそう。ただ一方で、他の動物も水を求めてやってきたのでは?実際はどうだったんだろう。そのとき人類とは食い食われの関係にならなかったんだろうか、などいろいろ想像が広がってきますね。
これからも楽しみにしています。

  • 台高
  • 2008年9月7日 20:41

洞窟ですか!これも興味深いですね。
でもこれだけ広いと、他もハイエナとか猛獣類も入ってきそうな気もしますが、洞窟って安全地帯といえるのでしょうか?
樹上は木に登れないとその領域に侵入できませんが、洞窟なら侵入可能な気もします。
そのあたりどうなのでしょうか?

  • マニマック
  • 2008年9月8日 12:30

台高 さん、こんにちは。
洞窟って何か惹かれるところがありますよね。太古の記憶なのでしょうか?
人類と他の動物との関係など気になります。人類の生活痕跡などが残る洞窟については、kichomさんが調査してくれてますのでお楽しみに!

  • さいこう
  • 2008年9月8日 19:54

マニマックさん、こんにちは。
確かに洞窟って安全地帯?と思ってしまいますね。実際に外敵に食べられたと思われる人類化石も発掘されているようです。
でも、木に登れない「カタワのサル」である人類の祖先は仕方なく洞窟に隠れ住むしかなかった、のかも知れません。引き続き追求してみたいですね。

  • さいこう
  • 2008年9月8日 20:03

もう一点気になることがありました。
平面図で入口と出口が図示されている点で、その逆ではないと言い切っている根拠は何なのでしょうか?
外敵から防衛するには出入り口が決定的に重要になると思われるので(ex.出入り口を木などで塞げば大型獣は侵入できない)、どんな構造になっているのか、是非知りたいところです♭

  • 台高
  • 2008年9月9日 01:37

少し質問させてもらっていいですか?
原猿は夜行性が多いですが、真猿や人類は昼行性が多いように思います。こんな深い洞窟だと人の目だとほとんど見えないように思いますが、どうやってこんな深い洞窟で生活できたのでしょう?
yidakiさんが書かれているように人類が昼間に骨をとっていたのなら夜目は利かないように思ってしまいます。、
そして大型獣など夜行性のものがかなりいるし、臭覚も発達しているし、一端洞窟に侵入されるとひとたまりもないようにも思ってしまいます。
そのあたりの生活イメージ、お解かりになるようでしたら、このシリーズで教えていただけるとありがたいです。

  • ストラクチャー
  • 2008年9月9日 15:35

台高 さん、こんにちは。
平面図での入口と出口は、現在の観光コースの入口と出口のようです。世界遺産に登録されから観光客がたくさん訪れているようです。
長い時間を経て洞窟の姿も次第に変化しているように思われます。今の洞窟は写真で見ると入口がたくさんあるようですが、元は違っていたのかも知れません。洞窟の形成過程や経年変化など調べる必要があるかも知れませんね。

  • さいこう
  • 2008年9月9日 20:11

ストラクチャー さん、こんにちは。
真っ暗な洞窟でどうやって生活していたのか?外敵が侵入してきたら逃げ場がないのでは?
これについては同じく疑問に思っているところです。是非、解明したいですね。
遺跡以外にも、当時のサバンナの環境(気候・地形・植生など)、外敵の状況なども知りたいところです。

  • さいこう
  • 2008年9月9日 20:27

洞窟に隠れ住んでいた初期人類たち(2)~スタークフォンテン洞窟、当時の状況は

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