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2008年07月17日

日本の婚姻制度は、どのように変遷してきたのか?(江戸~明治~大正~昭和~平成)

江戸時代の大衆・農民は、若衆宿や娘宿があり夜這い婚による総偶婚だった。
が、明治からどのようにして現在の結婚様式に成ってきたのか?知っていますか?
意外と分かっていないので、仲間と話合ってみました。
今回を始めとして、数回のシリーズ予定で順を追って,追求してみたいと思います。
ご期待ください。
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最初は江戸時代の婚姻制度です。江戸時代は、テレビの時代劇で放映されているので、現代と同じだと思いがちですが、本当は全く違っています。どう違っていたのでしょうか。
江戸時代は、士農工商の身分制度です。各層で婚姻制度が違っています。
武士層(≒支配者層) 武士は厳格な一対婚です。儒教の影響を強く受けて、「藩主」に仕えて「家」を守る事を旨とした。結婚は、許婚や親が決めた相手と結婚します。家を継いでいく血族を大切する為にも、貞操観念も強くもっていた。
農民層(≒比率としては殆どの日本人) 地方ごとに変化はありますが、若者・娘は褌(ふんどし)祝、鉄漿(おはぐろ)の年頃になると、若衆宿や、娘宿に集まって男女が交流した。
夜這いも含めて決められたルールの中で、恋愛、性、そして結婚相手を決めるそして、その相手の承認は若衆宿が行い大人も追認する。結婚前の恋愛時代があり、貞操観念はほとんど無かった。
結婚は恋愛感情よりも現実生活であった。嫁は集団から働き手として貴重な労働力として期待され、将来の労働力・跡継ぎとなる子供を生んでくれる事も期待されて結婚した。
工商層(≒都市住民)元々は地方の田舎出身。ですから、田舎の夜這い文化を引き継いでる。(貞操観念は弱い)長屋の住民は大家の管理下で共同生活して、見合いや恋愛で結婚していた。
女性も職業を持っていて男と同等の権利を所有し、離婚の結構多かった。貞操観念は少ない。
しかし、金持ち商人は武家社会文化(一対婚、貞操観念)を高級文化として志向し、娘を武家に働きに出したりのした。
俯瞰すると江戸時代の婚姻制度は、
儒教文化からの一対婚(支配者層)と  夜這い~総偶婚(大衆)の二重構造であったようです。
その後、開放的な性文化(夜這い、若衆宿、娘宿)は,欧米人から非文化的であると非難されました。
近代化を目指した明治政府は、慌ててこの大衆の婚姻制度【夜這い~総偶婚】を消し去ろうとします。
次回に つづく

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