NEW ENTRIES
LINKS
RECENT COMMENTS
RECENT TRACKBACK

2008年11月01日

DNAでたどる日本人の成り立ち5 琉球民族

DNAでたどる日本人の成り立ち3 アイヌ民族に続いて、まだ十分調査が行われておらず、結論的なことはいえない段階のようですが、琉球民族についてのDNA分析を紹介します。崎谷満著『DNAでたどる日本人10万年の旅』より。
DNAでたどる日本人の成り立ち1から構成比を再録すると以下。

                沖縄  九州  四国  東海  関東  東北  北海道
               南  北      徳島  静岡  東京  青森  アイヌ
C3(旧石器シベリア)   0  0   8   3    2    2   0    13
C1(縄文期貝文文化) あり あり  4   10    5    1   8    0
D2(縄文文化)      4  39  26  26   33   40   39    88
N(ウラル系)        0   0   4    7    2    0   8    0
O2b(長江文明)     67  30  32  33   36   34   31    0
O3(華北)         あり 16  26   21   20   23  15    0

琉球諸島は南北でヒト集団の構成に差が見られます。ここで北琉球は奄美諸島と沖縄諸島、南琉球は宮古諸島、八重山諸島、与那国島をさす。

応援よろしく m030  by岡
ブログランキング・人気ブログランキングへ  にほんブログ村 歴史ブログへ

(クリックすると大きくなります。↓)
okinawa.gif

まず琉球全体の特徴は、北方シベリア系のC3系統および同じ北方系の系統が認められない。それに対して南方から流入してきたC1系統は北琉球・沖縄で4%確認されている。

琉球の南北を分ける大きな特徴は系統(D2系統と想定される)の有無の違いで、北琉球では九州・四国・本州と同様に39%とかなりの比率で確認されるのに対し、南琉球では4%確認されるのみである。
もう一つの差異はO2b系統の比率の差で、北琉球で30%と九州・四国・本州とほぼ同程度であるのに対し、南琉球では67%と世界的に見てももっとも高い頻度で認められる。
なおO3系統については沖縄本島で16%で、日本列島中間部と大きな差異はない。

このように琉球のDNA多型分析によれば、日本列島中間部(特に西九州、南九州)との関わりはあるものの、独自の成立史を考える必要がありそう。ましてやアイヌ民族とは相違が大きく、異なるヒト集団であることを支持する。

琉球諸島の概略史
先史時代
北琉球の先史時代は約7000年前から始まる貝塚文化に代表される。これに対して、南琉球は本質的に異なる先島(サキシマ)先史文化が約4000年前から興ってくる。

542d254c06ff6861e42a4c6a6a7aa182.jpg約6300年前の鬼界カルデラの噴火によって南九州の貝文文化が滅亡した後、北部九州の曾畑式土器などの縄文文化が南九州へ広がっていったが、その流れが一部北琉球まで及んだようだ。しかし北琉球は本質的に縄文文化とは異なり、漁撈を中心とする貝塚文化が続くことになった。この貝塚文化についてはまだはっきりしたことが分らないが、北琉球で4%確認されるC1系統(南九州で貝文文化を起こしたヒト集団)の可能性が考えられる。ただ両文化の違いや時代の相違など、まだ不確実な点が残る。
(写真は沖縄県石川市の古我地原貝塚から出土した貝製小玉。沖縄の歴史・文化とは!よりお借りしました。)

南琉球の先島先史文化については、台湾やフィリピンなどのオーストロネシア系文化の影響下にあったことが推定されているので、O1系統もその可能性が高い。実際、オーストロネシア系文化(O1系統)が台湾に出現するのが約5500年前、フィリピンには約4500年前と推定されている。そして南琉球に4000年前に及んだことが推定される。現在でもオーストロネシア系文化が先島諸島に色濃く残っていることはその可能性の高さを示しているが、先島諸島におけるO1系統の分析がまだ行われていないので、現時点では推定に止まる。また貝文文化人(C1系統)が先島先史文化にも関係していた可能性も想定できる。

下図は、琉球弧の考古学 -南西諸島におけるヒト・モノの交流史-よりお借りしました。

f005.gif


グスコ時代
250px-GusukuWall.jpg紀元後11世紀~12世紀ごろから共通するグスコ時代へと移っていき、南北琉球を含む琉球諸島全体がひとつの文化圏へと統合されていった。(引用者注:グスコとは城郭遺跡群のこと。写真はWikipediaよりお借りしました。)

状況はグスコ時代の到来とともに様変わりする。グスコ時代の琉球諸島のヒト集団は日本列島中間部の集団とあまり相違しないという報告があり、先史時代とグスコ時代とでは琉球諸島においてヒト集団の大きな交替が起きていることが形質人類学の立場から指摘されている。DNA多型分析からも支持され、北琉球において、先史時代のC1系統から、グスコ時代以降のD2系統、O2b系統へと、主なヒト集団の交替があったことが推定される。

kamui.jpg西九州・長崎産の石鍋が北琉球および南琉球の全域で流通するようになり、加えて徳之島に亀焼(カムィヤキ)窯が設置され、石鍋とともに亀焼が流通する経済圏が琉球諸島全体で形成されるようになった。琉球内部の発展というよりも、九州からの人の流れが決定的な役割を果たした。それと同時に、先史時代の非琉球語から、九州よりもたらされた日本語系の琉球語への転換も引き起こされた。また縄文文化および弥生文化を欠いたまま、農耕文化も開始された。
(写真はカムィヤキ窯跡。鹿児島県上野原縄文の森よりお借りしました。)

三山時代から琉球王朝へ
3zan.jpgその後14世紀から沖縄本島に三つの政治勢力(北山、中山、南山)が起こり対立した後、1429年に統一王朝へと移っていった。

そして1879年の明治政府による琉球王朝廃絶(琉球処分)までの約500年の間、日本国家とは別の国家としての歴史を歩む。独自に中国との外交関係を築き、また東南アジアや韓国などとも広範な交易関係を結んで、多くの海外文化を独自に取り入れてきた。琉球語や琉球文化は独自の発展をみせ、狭義の日本語や日本文化とは異なるアイデンティティーをもつに至ったことが想定される。

(上図は林子平が幕府に献上した三山時代の沖縄本島地図。下の写真は統一王朝の首里城正殿。国府物語よりお借りしました。交易地図も載っており参考になります。)

aP1120927.jpg

trackbacks

trackbackURL:

comments

沖縄の人とアイヌの人は同じ系統という説もありますが、どうやら違う系統から来た人々のようですね。

私も古代琉球について少し調べてみましたが、土器が発掘されている時代より後に、無土器の時代が続いたり、土器の年代が本州や他の島と合わなかったり、謎の多い島です(><)

今後、発掘が進めば、新しい事実がわかるかもしれませんね。

  • まりも☆
  • 2008年11月04日 23:10

沖縄は日本列島中間部ともアイヌとも全く別、という視点が重要なようです。

土器については、新石器時代後期(約2200~1000年前)の南琉球で、今まで使用していた土器を忘れ「無土器文化」になってしまったようです。こうした現象はオセアニア地域の一部(ポリネシア)にも認められるが、他に例を見ない珍しい現象とのことです。
遺跡は海岸砂丘に立地することが多く、サンゴ礁の海から得られる豊富な食糧資源に支えられて人口は頂点に達していた時期。土器の代わりに、「ストーンボイリング」と呼ばれる調理用の石蒸し遺構を多用したようです。

  • 2008年11月05日 21:21
comment form
comment form