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2008年11月02日

初期人類の置かれた自然外圧(1)~現在のアフリカの自然環境から

シリーズ『初期人類は骨を食べていた!vol.1vol.11』、『洞窟に隠れ住んでいた初期人類たち(1)(2)』、そして新シリーズ『【逆境⇒進化】初期人類の逆境 vol.1』などで初期人類がどんな外圧状況に直面し、どのように適応してきたのかを追求中ですが、今日は人類誕生の地と呼ばれるアフリカ大陸の自然環境を紹介します。
↓アフリカ大陸の衛星写真(『ウィキペディア(Wikipedia)』より)クリックで拡大!
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『洞窟に隠れ住んでいた初期人類たち(2)』できっちょうむさんが触れているように「初期人類はどこに住んでいたのか?」に対する答えとしては、「洞窟に隠れ住んでいた」と考えることが現在もっとも論理整合する仮説だと考えますが、さらに遺跡証拠や当時の外圧状況などから検証が必要です。そこで、まずアフリカの自然環境を追求してみます。
2回に分け、第1回では現在のアフリカ大陸全般の気候・植生についての基礎知識、第2回では初期人類が暮らしていたころ(700万~500万年前)のアフリカの自然環境に迫ってみたいと思います。

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■アフリカの植生
(以下、水野一晴編「アフリカの自然学」古今書院より文章を一部引用、写真は除く)
アフリカ大陸は赤道をはさんで北緯37度から南緯35度の問、グリニッジ子午線をはさんで西経18度から東経51度の間に位置する.気候帯は熱帯、亜熱帯、温帯(暖温帯)を含むが、中・高緯度地域に現れる冷温帯、亜寒帯、寒帯は分布しない.こうした気候分布を反映し、アフリカ大陸の植生は地球全体の陸上植生分布とは異なった特徴をもっている。
↓アフリカ大陸の植生図(「アフリカの自然学」:アフリカ大陸の植生分布図より作成)クリックで拡大!
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1:熱帯林(EquatorialForest)
周辺部に森林-サバンナ混生帯(Forest-and-SaVannaMosaic)を含む
2:亜熱帯疎林(SubtropicalWoodland)
3:サバンナ(Tree-and-ShrubSavanna)
4:砂漠(Desert)
5:地中海植生(Mediterranean)
6:草原(Grassland)
7:山岳植生(Montane)
C:ケープ植物界.大陸最南端喜望峰周辺の太線で囲まれた地域
※図中の赤丸が、『洞窟に隠れ住んでいた初期人類たち(1)(2)』で紹介されたスタークフォンテン洞窟の場所です。
赤道を中心とした多雨地域には熱帯林が分布する。この地域の年降水量は通常2000mmから時に4000mm以上にもなる。年間を通じて乾季はほとんど訪れない。大陸東部を南北に縦断する大地溝帯より東では赤道付近でも熱帯林の分布がとぎれる。これは、降水量が東に向かって減少し、大地溝帯以東では1000mmを割り込むためである。熱帯林の北、あるいは南に向かっても降水量が減少し、植生もそれに対応して変化する。
熱帯林から北へ向けての変化をみると、北緯20度付近までサバンナが広がる。ここでの降水量は700mm以下で、4-8カ月の乾季が訪れる。その北はサハラの砂漠植生になる。降水はきわめて少なく、年間数mm程度で、年間を通じて乾燥が著しい。大陸の西北端、地中海沿岸の狭い地域には地中海型植生が現れる。ここは典型的な冬雨気候で、夏季は乾燥するが、冬季は湿潤冷涼である。
熱帯林から南へ向けての変化をみると、南緯20度付近まで亜熱帯疎林が分布する。ここでの年降水量は熱帯林分布域に次いで多く、700mmから1200mm程度である。高標高地に位置するため夏季(10月から3月にかけて)の気温は比較的低く、この時期に水不足になることはない。熱帯林の北で亜熱帯疎林が欠けるのは、赤道から北に向けての降水の減少が急激で、亜熱帯疎林が成立する地域がごく限られてしまうためである。亜熱帯疎林の南はサバンナ植生になる。ナミビアの大西洋沿岸には南北に細長くナミブ砂漠が分布する。大陸南東端には草原植生がみられる。ここは年間を通じて比較的冷涼で、降水は700mm前後である。山岳植生は大地溝帯以東の高山に現れる。
◆熱帯林
↓カメルーンの熱帯雨林(湯元貴和著「熱帯雨林」岩波新書より)
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熱帯林は年間を通じて温暖で十分な降水がある地域に成立する。アフリカ大陸では、しかし、ときには年降水量1200mm程度でも成立する。降水が十分な地域にあるものは最大樹高が70mにも達し、樹木が何層にも重なり合って生育して、複雑な森林構造を形づくっている。
世界の熱帯林は中・南米、東南アジア、アフリカ大陸の3カ所に大きなまとまりがある。アフリカ大陸の熱帯林は中・南米や東南アジアのものと比べて植物多様性が低いと思われていた。しかし、年降水量1600-2000mmの地域について0.1ha当たりの植物種数を比べると、中・南米の熱帯林が平均105種であるのに対して、アフリカ大陸の熱帯林は平均127種で、むしろやや高い値を示す。

◆亜熱帯疎林
↓ミオンボ林(Digital Library of the Commons  より)
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この植生は熱帯林の南、南緯5度から20度、標高800-1800mに分布する。小型、肉厚、暗緑色で常緑、半常緑性の葉をもつ高木、低木が優占する.樹高は10mから20mに達するが、樹木の樹冠巾は狭く、細長い樹冠形を呈する。高木、低木樹木は疎生して分布し、全体として疎林の植生景観となる。Knapp(1973)ではミオンボ林と呼ばれるものである。ミオンボとは優占構成種であるBrachystegma属樹木(Caesalpinoideaeジヤツイバラ亜科)のアフリカでの呼び名である。
この植生は、高木疎林と草本植生の組み合わせから、サバンナの一タイプとする見方もある。植物区系地理地域でも、亜熱帯疎林は、熱帯林が属するギニアーコンゴ区系区を取り巻いて分布する旧熱帯植物界中の、スーダンーザンベジ区系区に属する。この区系区にはサバンナ植生分布域のほぼ全域も含まれる。そのため、亜熱帯疎林は植物相的にもサバンナとの共通性が高い。

◆サバンナ
↓植生がまばらなサバナ(南部アフリカ:ボツワナ、「Microsoft エンカルタ」より)
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サバンナは、半乾燥の熱帯、亜熱帯地域に分布する、地表が草本に被われ、その上に高木や低木が疎生する植生である。森林と砂漠との間に現れる.アフリカ大陸でも、亜熱帯疎林もサバンナの一タイプと捉えると、熱帯林を取り巻くように、その北と南に現れる。アフリカ大陸ではサバンナは45%を占め、最も広がりが大きい.アフリカを代表する植生といえる。
アフリカのサバンナは、分布面積が広いことを反映して、さまざまなタイプのものが分化している.大陸南部には、落葉低木が疎生するNama karooや多肉植物の分布量が増えるSucculent karoo、火事によって維持されているFynbos(多肉小葉の高木や低木、草本植生のモザイク状混生植生)がある。

◆砂漠
↓サハラ砂漠(「Microsoft エンカルタ」より)
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砂漠は、樹木を欠き、地表の植被もごく疎らな植生である。きわめて乾燥が強い地域に現れる.アフリカ大陸の29%を被い、サバンナに次ぐ代表植生である。北部のサハラ砂漠と南西部大西洋沿岸のナミブ砂漠が主なものである。ナミビブ砂漠の東には通称カラハリ砂漠が広がるが、植生的には低木や草本が卓越するサバンナで、真の砂漠ではない。
サハラ砂漠は全北区植物界のサハラーアラビア区系区に属する。この区系区はサハラ砂漠からアラビア半島、ユーラシア大陸中央部の乾燥地城を被っている。すなわち、サハラ砂漠の植物は、それ以南のアフリカ大陸(旧熱帯植物界、ケープ植物界)とあまり共通性をもたず、むしろ、ユーラシア大陸中央部とのつながりが深い。このことは、サハラ砂漠の植物相が、第三紀から第四紀を通じてユーラシア大陸中央部からアフリカ大陸北部にかけて乾燥地城が分化した過程と関連して成立したことを示す。

↓ナミブ砂漠(「Microsoft エンカルタ」より)
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いっほう、ナミブ砂漠は旧熱帯植物界のカローーナミブ区系区に属する。すなわち、植生景観や分布環境は極似通っているものの、植物の構成や生い立ちではナミブ砂漠とサハラ砂漠は全く異なっている。ナミブ砂漠はサハラ砂漠と比べて約200倍もの植物種が分布し、植物多様性がきわめて高い。これは、ナミブ砂漠が8000万年以前に遡る、きわめて古い起源をもつことが関係していると考えられている。そのために、系統が不明確な裸子植物ウエルウィッチアWelwitschia mirabilisiなど、多くの固有種が分布する。

◆地中海植生
↓南アフリカ共和国の地中海性気候の低木林(「Microsoft エンカルタ」より)
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地中海植生は大陸最北西端、地中海沿岸に東西に細長く広がる。常緑広葉樹主体の森林植生で、アフリカでは唯一、まとまった温帯性の森林植生である。植物区系地理地域は全北区植物界の地中海区系区に属す。この区系区は地中海沿岸全域の海岸沿いに広がる。そのため、この植生の植物相は、アフリカ大陸よりもむしろヨーロッパ南部とのつながりが強い。植生景観的にも、小形硬葉の低木、亜高木樹木が優占する点で、ヨーロッパ南部のものと共通性が高い。なお、相観的に類似の常緑広葉樹林が、大陸最南端、喜望峰近くにもごく小面積分布する。

◆草原
↓南アフリカ共和国の温帯草原(「Microsoft エンカルタ」より
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草原は、アフリカ大陸では最東南部にまとまった広がりをもつ。樹木を欠き、イネ科などの草本が極相植生を形成する。草原が維持される理由は今のところ明確ではないが、木本の侵入を妨げる理由としていくつかの仮設が提唱されている:古くからの人為による火事、土壌中の薄い不透水層とそれによる雨季、乾季の土壌水分の著しい違い、しばしば訪れる低温、過剰な放牧、などである。

◆山岳植生
↓ケニア山(『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
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山岳植生は、大陸東部の大地溝帯沿いに分布する高山、ラスダジャン山、バツ山、ケニア山、ルウェンゾリ山、キリマンジャロなどで垂直分布を構成する植生全体をさす。垂直分布は山岳ごとに異なるが、大陸東部に位置することから、山麓から山体中部にかけてはサバンナが分布することが多い。その上部には熱帯雨林や雲霧林などの森林が現れることもある。標高3500m以高には、多肉型のロゼット植物や球状の植物が多い、アフローアルパイン(Afro-Alpine)と呼ばれる高山植生が現れる。

◆ケープ植物界-特異な植物相ときわめて高い植物多様性
ケープ植物界は、その名の通り、南アフリカ最南部、喜望峰(ケープ)周辺の極く狭い範囲に限定して広がる、世界最小の植物界である。アフリカ大陸の大半が属する全北区植物界や旧熱帯植物界の広がりと比べるときわめて狭く、このことからもケープ植物界がいかに特異な植物界であるかがわかる。ここには合計8550種の維管束植物が分布し、そのうちの73%、6252種が固有種である。
(以上、水野一晴編「アフリカの自然学」古今書院より文章を一部引用)


人類誕生の置かれた自然外圧の第1回目として現在のアフリカの自然環境を見てみました。どうですか、多様な自然環境を持つアフリカ大陸を実感できたでしょうか?
さて、次回、いよいよ初期人類が住んでいた時代の自然環境に迫ってみたいと思います。初期人類たちはどんな自然環境で生活していたのでしょうか?かつては「人類はサバンナで進化した」と言われ、「イーストサイドストーリー説」が有名でしたが、現在では化石証拠などからかならずしもサバンナではなかったことが分かってきているようです。
初期人類が住んでいた時代の自然環境と初期人類遺跡の位置を関連付け、初期人類達が暮らしていた自然環境を推測してみたいと思います。(さいこう)

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comments

>集団のみんなが認める婚姻から、神様が認める婚姻への変化がわかります。ただ、ここではまだ、みんなが認めることと神様が認めることに、大きな差はないように思います。<
そうですね~
神様に認められるための手順を見ていると、それをきちんとこなせるか=皆の規範をきちんと守れるか、を試されているような気がします。
次回も楽しみです☆

  • yukie
  • 2009年2月6日 13:10

yukieさん、コメントありがとうございます☆
確かに、決められた手順をこなしていくところは成人のための儀式みたいですね。みなが決めたことをきちんとできて初めて一人前というのが、当時は色々なところで強かったんだと思います。
次回もご期待に添えるよう、びっくりな記事を書きますよ~。

  • まりも☆
  • 2009年2月6日 19:44

すごく難しい本を読まれていますね。
禰宜って「ねぎ」と読んで、神官のことを指すんですね。
恥ずかしい話ですが、黒字を読むことで、そういうこと書いてあるんだ!とわかる感じです。
もう少し黒字の方で、解りやすく翻訳していただけると助かります。
すごい古い文献のようですから、昔の事を紐解いていただける事には、非常に興味を覚えます。
わかりやすい解説、これからも楽しみにしています。

  • マニマック
  • 2009年2月7日 22:36

紹介の事例は、ある男女が結ばれる神事だとすれば、ここでの婚姻形態は一対婚でしょうか。そうであれば、ある程度婚姻に関して個人の選択(好き嫌い?)が介在するようになっていたのかも知れませんね。
集団としては婚姻を個人の選択にゆだねるわけにはいきません。かといって誰かが強制することも出来ない。そこで、「個人の選択」と「集団性の維持」に折り合いをつけていたのが「神様」だったのかも知れませんね。なにしろ神様にはだれも文句は言えません。
婚姻の移り変わりが読み取れて面白い事例ですね。次回も楽しみにしています。

  • さいこう
  • 2009年2月7日 23:38

マニマックさん、コメントありがとうございます☆
今回は、あまり現代語っぽくすると、原文の厳かかつ風流な感じが失われそうで、苦労したところです。次回はもう少し読みやすいように頑張ってみます^^
さいこうさん、コメントありがとうございます☆
ここに書かれている時代は、一応夫婦を決める「結婚」はあるけれど、それとは別で若衆による夜這いがあったり、性的解放の行事があったりで、現代の「一対婚」とはまた違うのが特徴です。
ですので、夫婦の子として育てているけれど父親が必ずしも旦那とは限らない等、かなりおおらか(ルーズ?)だったようです。
何百年も前ではなく、つい数十年前まではそうだったというのが興味深いですね☆

  • まりも☆
  • 2009年2月8日 01:02

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