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2009年02月19日

歴博による弥生の実年代と新たな課題

国立歴史民俗博物館の放射性炭素14を使った年代研究によると、弥生の始まり(水田稲作の開始時期)は、以下。
九州北部=紀元前10世紀後半
九州東部~西部瀬戸内=前700~前650年
近畿=前7世紀後半
北陸=前6世紀ごろ
東海=前6世紀中ごろ~前5世紀末ごろ
東北=前400年前後
関東=前3世紀後半
☆従来は「わずか100年で畿内や東海に一気に伝播していった」とされたが、近畿に到達するまで300年前後、東海には400~500年もかかっている!
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稲作拡散図(括弧内は従来の年代観) 歴博よりお借りしました。
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九州北部では遅くとも前945年~前915年ごろに始まっていた灌漑式水田稲作が、50年以内で環濠集落を出現させ、戦いを顕在化させた。そして120年で板付Ⅰ式が成立する。遅くとも150年以内に土佐まで灌漑式水田稲作が伝わった。
韓国南部では前13世紀頃には本格的な畑作農耕が、前10世紀には灌漑式水田稲作が始まっていた。九州北部に伝わるのはそれから100年以内である。
新しい年代および存続期間と、従来のそれとを比較すると以下。( )内が従来。
縄文晩期の始まりは前13世紀(前1000年)へ、 存続期間は270年(500年)
弥生早期の始まりは前930年(前400年)へ、     〃   120年(100年)
前期は前810年(前300年)へ、              〃   460年(100年)
中期は前350年(前200年)へ、        中期初頭~前半300年(150年)
☆前期の大幅な間延びが最大の特徴!
**以上、『弥生時代の実年代』藤尾慎一郎「韓国・九州・四国の実年代」より**
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              ↑クリックすると大きくなります。
表 炭素14年代の較正年代にもとづく縄文~弥生時代の実年代(*は年代を測定した土器型式) 歴博よりお借りしました。
表のAラインは、九州北部に前10世紀後半頃に弥生文化が入り弥生時代が始まったライン。Bラインは、他の地域に弥生文化が入った年代で、四国の高知では前9世紀末、岡山や近畿では前7世紀末、南関東は前3世紀。AとBに囲まれた青い部分は縄文系文化である。
新しい年代を採用すれば、
弥生早期は、西周(前1050年頃~前771年)
弥生前期は、春秋~戦国(前770年~前453年頃)
弥生中期は、戦国~前漢(前453年頃~後8年)
弥生後期は、新・後漢~三国時代
とほぼ併行する。
★新たな課題
1.弥生時代早期が前10世紀後半までさかのぼり西周前期とすると、弥生前期の始まりも西周後期となる。縄文晩期~弥生早・前期の人と文物の動きの歴史的背景として、西周の政治的・社会的変化に伴う召氏一族の移動と殷的な祭儀・イデオロギーの拡散に注目する必要がでてきたといえる。
2.弥生早期には高顔・高身長を特徴とする渡来系の人骨の発見がなく、福岡県志摩町新町、佐賀県呼子町大友遺跡で知られている限り、低顔・低身長を特徴とする縄文系である。抜歯の型式もまた、上顎犬歯と下顎全切歯を抜く縄文系である。
そして弥生前期になって初めて高顔・高身長の渡来系の人骨が、福岡市雀居、金隈、山口県豊浦町中ノ浜、豊北町土井ヶ浜遺跡などで発掘されている。抜歯の型式も、雀居は縄文系だが、土井ヶ浜などには上顎側切歯を抜く大陸系が登場する。
従って、現在見つかっている人骨から判断すると、弥生早期には文物だけが伝来し弥生前期には大陸系の人が渡来したことになる。
3.土井ヶ浜など渡来系弥生人のルーツは、人骨資料が少なかった頃は朝鮮半島だけを想定していた。しかし、最近では山東省、江蘇省、河南省、青海省など中国各地で発掘された人骨との共通性が指摘されており、現在では広い視野にたった検討が要請されている。
同じことが抜歯の風習についてもいえる。弥生前期に現れる、上顎側切歯を抜く大陸系の型式は朝鮮半島ではいまなお見つかっていない一方、中国では江蘇省梁王城遺跡に春秋末期、前6~5世紀という例が報告されている。しかし、この風習は既に衰退しつつあることをうかがわせ、中国の東海岸では抜歯の風習は春秋時代までかろうじて残っていたことになる。弥生前期が前8~前5世紀までさかのぼるのであれば、中国からの伝播をスムーズに説明できることになる。
豚の下顎骨を加工して作った掻器の場合も同様である。この掻器は中国の陝西・山西・河南・河北省の中原地方から内蒙古・遼寧地方で、夏代から西周代にかけて用いられた独特の骨製品だが、佐賀県唐津市宇木汲田遺跡の弥生早期の層から発掘されている。弥生早期の年代が西周代までさかのぼれば、これも容易に理解できることになる。
4.北部九州では、青銅器は弥生前期初めにわずかばかり現れ、前期末・中期初めから普及する。弥生時代の研究者は、青銅器を媒介にして中国、朝鮮半島との年代関係を追究してきた。新しい年代観から再編成が迫られている。
5.新しい年代観によれば、北部九州で前10世紀後半(前930年ころ)に始まった水田稲作が中部瀬戸内を経由して前7世紀ごろに近畿に伝わるまで300年前後かかったことになる。そこに何か必然的な理由があったことを想定しなければならない。
6.遺跡の規模、出土遺物の量からすると、弥生前期の間に人口が爆発的に増加している。その間に、形質も縄文系から渡来系へと転換している。新しい年代によれば、弥生前期の時間幅はこれまでの約150~200年間から2倍以上に長くなる。その間の人口増加率の見直しも必要であるし、大陸からの人の渡来も朝鮮半島だけに限定せず、中国東海岸も含めたさまざまの要因を考えてみるべきであろう。
7.さらに近畿・中国の弥生前期は従来の約150年間から約300年間に引き延ばされる結果、遠賀川式と突帯文系の長原式の並存期間は200年以上に及ぶことになる。長原式土器を在来系の人々が製作・使用し、遠賀川式土器を外来系の人々が製作・使用したと理解するならば、系譜を異にする人々の融合には長い期間が必要であった。在来系を象徴する土偶・石棒・畑稲作外来系を象徴する水田稲作・環濠集落並存とそれぞれの果たした社会的役割については、新たな評価を行う必要がある。
8.弥生前・中期の期間が6百数十年間に達する結果、その間の社会発展の速さについても再考しなければならなくなってきた。
**『弥生時代の実年代』春成秀爾「弥生時代の実年代-過去・現在・未来」より**

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