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2009年09月01日

村落共同体と講について 松原市での事例  1/2

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松原市は、大阪府のほぼ中央に位置し、 大阪市や堺市、羽曳野市、藤井寺市に接しています。
昭和30年、人口約3万6000人の田園都市として発足し、ベッドタウンとして昭和40年代に急激に人口が増加し、現在では約13万3000人の住宅都市に変貌しています。

その松原市の戦前ごろの村落共同体の実態を、事例豊かに紹介しているサイトがありましたので、紹介したいと思います。
大都市近傍に、つい最近までこのような共同体気質が息づいていたことに驚かされます。

松原市のHPの中、「松原の人々の一生」、大阪府文化財愛護推進委員  加藤 孜子(あつこ) さんによる記事です。
村落共同体参入と講1

村落共同体参入と講2

村落共同体参入と講3 


2回に分けてお送りします。

先ずは応援お願いします。

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(以下引用)
今回から松原で生まれ育ち、また近郊から松原へ嫁いで来た明治、大正生まれの女性を中心にして民話、伝承の聞き取りの中で聞いたお話です。中には俗信や生活習慣からくる非科学的や非文化的な行動など諸々の部分に、こんな事があったのかと笑える部分もあり、残念ながら笑えない部分もあり不適切な事項が、多々あると思いますが、生活習慣風土が作った民俗のなせるわざとしてご理解くださいますようお願いいたします。その上で、松原の人々の生活慣習を通して人の一生の中で行われる通過儀礼がどのように行われていたのか、人々のおもいやかかわりを交差させながら松原の人々の一生とその周辺を紹介します。


■村落共同体参入と講1

松原の人々と講

男子十三まいり「山上まいり」の項目の中で「講」に参入している者のみが十三まいりへ行くことが出来る。それ以外は十五歳、又は徴兵検査辺りの年齢となると書きましたが、この年齢は体力からの成人年齢のみでなく、生家の経済からみた成人年齢ともいえます。十三まいりの場合は親が「講」の掛け金を支払っている家庭の者で、大抵はその家の家督を相続する長男であるのに対して、一方の十五歳以後になって「山上まいり」をする者達の場合は幼くして奉公(就職)へ出たさきから、現在で言う福利厚生費で「講」を掛けてもらう方法など、自分の労働から捻出され、自分の意思で掛け金を支払った者が一般であったと思われます。
現在の日本経済から想像するには難しいことですが、戦前生まれの人達の十五歳は家庭の貧富による違いはあるものの、りっぱに親の家計を助ける事が出来たようです。親も子供の家計援助をあてにしている時代でしたのでこうした例は特別な例ではなかったようです。
「講」にはいると言うことは村落共同体の中で一人前の男として秩序を守り善悪をわきまえ自己責任がとれる人間として村落共同体の中で生きていく証でもあるようです。また十五歳に満たない子供達は出席出来るが、講儀礼を司ることはなく親(所帯主)を保証人とした形態、親の代理などの位置にあっと思われます。
講とは
本来の「講」とは仏教の教義、経典を教え広めるために、講を説き唱える集会を「講」と呼んだと聞いていましたが、私の採集ではもっと広い意味を持ち、本来の「講を説き唱える」を逸し、土着に根づいた村落独自の団結の持って複雑多様化されて、松原に根付いた講の説明に戸惑いました。そこで民俗学研究書編著、民俗学事典を開いてみると『宗教上の目的達成のために信仰を同じくする者が寄り集まって結成している信仰集団で、大きく二つに分類できる。一つは寺院神社宗派の教祖達が教団拡張のため氏子、信者達を組織し講の名を付けている。浄土真宗の報恩講、大社教の大社講。もう一つは村落の地域集団単位ごとに成立した地縁性の濃厚なもの庚申講、伊勢講。近畿地方を中心に関西に分布している宮座は神祇崇拝のため宗教集団であるが講と呼ばれている宮座講、春日講』とありました。これが「講」本来の形態であろうが、その土地の風俗慣習行事として土着化して根づく過程において、時代と共に生活環境をともなって変遷されていったと思われます。
ところで松原で拾い集めた「講」部分の採集を開いてみますと、端的に申しますと神仏信仰で結ばれた関係の講の他に、生活を補い合う経済互助から精神や体力のレクリエーション的要素をもつものまで色々あるが、土着の地縁性と団結の強さは、時代が古いほど強く、地縁の中で生きることはどのような事かを感じとれる複雑さと、どのように紹介すべきか迷い「講」の部分を入れる事自体に戸惑いがありましたが、自己判断で書きました。採集したものを出来るだけ、隠さず忠実に書いておりますので、心を傷つけるような事がありましたら、こうした時代があったとご理解いただき、広い意味で読んでいただきますようお願い致します。何度も申しますが、明治大正生まれの人達から採集したものが中心であることもご理解下さい。表現力が乏しいので使用を慎む言葉が入りますが、言葉以上に心の受け止がある単語と思います。ご理解下さい。この事例は消え去る心として紹介します。

(中略)

女性の講
講には色々ありますが、事例のように「女性だからわかる」そうした「言わず語り」の部分を「講」と言う名の村落共同体行事の中で、癒しの部分として取り入れた女性の講の存在があります。こうした講も男性の講と同じく既婚者及び、単身者は当主に準ずる者で結成されていたようです。こうした女性の講には次のようなものがあり、 和讃講、観音講、尼講などがそれにあたると思います。友人仲間、村落の嫁仲間、村落の姑仲間、村落の嫁姑仲間などでグループを組み、持ち回りでご詠歌や観音経など講にあったものを唱えます。方法としては、夕食を終え一日の仕事を終了させて子供達を寝かしつけると、それぞれに当番の家に集まります。当番の家では仏壇の戸を開けて講の仏像や掛け軸などを出して饅頭やくだものなどを供え、講仲間のために持ち帰りが出来るように紙を敷き、その上にきりこ(あられ)、はじきまめ、菓子などを人数分用意して待ちます。夜になり仲間がだいたい集まると講に準じたものを唱え始めます。終わると出されたお菓子をみやげに持ち帰ります。講の開かれる日はそれぞれに定まっていました。

(中略)


■村落共同体参入と講2
講の種類
採集した講を、整理を容易にするために以下のように分類しました。
○ 村落の共同体で村落の神社では氏子、寺では檀家で結成されたもの。
氏子で結成されたものには「宮座講」があると思いますが、早い時期に松原では宮座は消えたようで私は採集していませんが、松原では氏子による講はあったと思われます。古くから在住する家庭に神社から下げられた提灯が氏子の家では玄関に下げられている。この集団が氏子講の集団であったと考察しています。
寺の檀家で結成されたものでは、松原の言葉に「十夜の餅をホンコで返す(かやす)」という言葉があります。これは松原のほとんどの寺が十夜講の浄土宗と報恩講の真宗です。その他に念仏講、同行講、和讃講などがあります。
○ 村落の中に信仰神社仏閣はないが、講の仲間で独自の行(ぎょう)や祭礼、行事などを行うもの。
大峰講、伊勢講、不動明講、大師講などと女性の観音講、あわしま様、庚申講、荒神講(かまどの神様三宝荒神)がこれに属すると考えます。
○ 信仰と関係なく、生活の助け合いや心を癒すための講
頼母子(たのもし)講、むじん、等が信頼関係で作られる講。心の癒しの講は信仰集団の講から発達した女性の講や日待ち講などは、嫁の位置が低い時代大きな役割を担っていたと思われます。

(中略)

 
続く

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結婚して家庭で子育て

★社会から隔離された閉塞「家庭」で仲間不全
個人で超えるには高いハードルです。
社会問題として、どうするかを追求して、根本的な男女の役割の見直しを、作って行く議論~方針が欲しいところです。

  • いちもんなし
  • 2009年12月17日 22:31

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