2009年09月05日
日本の女たち
日本女性の理想像と言えば『大和撫子』に代表される、
清楚で、慎ましく、一歩引いて男性を立て、男性に尽くすといった女性像
を思い浮かべますが、実体はどうだったのでしょうか?
上流階級はさておき、大多数を占める一般庶民の日本人女性像を、探ってみます。
宮本常一氏著 『忘れられた日本人』には、農村の女性のあっけらかんとした性や、そんな性に関するおしゃべりを通して充足し活力を得ていた日本の女性像が浮かび上がってきます。
以下紹介するのは戦後まもなく、山口県周防大島の農村の風景です。
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田を植えつつ老女の一人がこう話してくれた、田植のような労働が大きな痛苦として考えられはじめたのは事実である。それには女の生き方もかわって来たのであろう。やはり早乙女話の1つに、
「この頃は面白い女も少うなったのう・・・」
「ほんに、もとには面白い女が多かった。男をかもうたり、冗談言うたり・・・ああ言う事が今はなくなった」
「そう言えば観音様(隣村にいた女)はおもしろい女じゃった」
「ありゃ、どうして観音様って言うんじゃろうか」
「あんたそれを知らんので」
「知らんよ……。観音様でもまつってあったんじゃろうか」
「何が仏様をまつるようなもんじゃろうか。一人身で生涯通したような女じゃけえ、神様も仏様もいらだった」
「なして観音様ったんじゃろうか」
「観音様ってあれの事よ」
「あれって?」
「あんたも持っちょろうが!」
「いやど、そうの……」
「あれでもう三十すぎのころじゃったろうか。観音様が腰巻一つでつくのうじょって(うずくまって)いたんといの。昔の事じゃけのう。ズロースはしておらんし、モンペもはいておらんから、自分は腰巻していると思うても、つくなめば前から丸見えじゃろうが・・・-」
「いやど、そがいな話の……」
「そうよ、それを近所の若い者が、前へまたつくなんで、話しながら、チラチラ下を見るげな。「あんたどこを見ちょるんの」って観音様が例の調子でどなりつけたら、若いのが「観音様が開帳しているで、拝ましてもろうちょるのよ」と言ったげな。そしたら「観音様がそがいに拝みたいなら、サァ拝みんされ」って前をまくって男の鼻さきへつきつけたげな、男にとって何ぽええもんでも鼻の先へつきつけられたら弱ってのう、とんでにげたんといの。それからあんた、観音様って言うようになったんといの。それからあんた、若い者でも遊びにでも行こうものなら「あんた観音様が拝みたいか」って追いかえしたげな」
中略
これも田を植えながらの早乙女たちの話である。植縄をひいて正条植をするようになって田植歌が止んだ.田植歌が止んだからと言ってだまって植えるわけではない。たえずしゃべっている。その話のほとんどがこんな話である。
「この頃は田の神様も面白うなかろうのう」「なしてや・・・」「みんなモンペをはいて田植するようになったで」「へえ?」「田植ちうもんはシンキなもんで、なかなかハカが行きはせんので、田の神様を喜ばして、田植を手伝うてもろうたもんじゃちうに」「そうじゃろうか?」「そうといの、モンペをはかずにへこ(腰巻)だけじゃと下から丸見えじゃろうが田の神さまがニンマリニンマリして・・・」「手がつくまいにのう(仕事にならないだろ)」「誰のがええ彼のがええって見ていなさるちうに」「ほんとじゃろうか」「ほんとといの。やっぱり、きりょうのよしあしがあって、顔のきりょうのよしあしとはちがうげな」「そりゃそうじゃろうのう、ぶきりょうでも男にかわいがられるもんがあるけえ・・・」
「顔のよしあしはすぐわかるが、観音様のよしあしはちょいとわからんで・・・」
「それじゃからいうじゃないの、馬にはのって見いって」
こうした話が際限もなくつづく。
「見んされ、つい一まち〔一枚〕うえてしもたろうが」「はやかったの」「そりゃあんた神さまがお喜びじゃで・・・」「わしもいんで(帰って)亭主を喜ばそうっと」
女たちのこうした話は田植えの時にとく多い。田植歌の中にもセックスをうたったものがまた多かった。
中略
私は毎年の田植をたのしみにしているのである。そこで話される話は去年の話のくりかえされる事もあるが、そうでない話の方が多い、声をひそめてはなさねばならぬような事もあるが、隣合った二入でひそひそはなしていると「ひそひそ話は罪つくり」と誰かが言う、エロ話も公然と話されるものでないとこうしたところでは話されない。それだけに話そのものは健康である。そのなかには自分の体験もまじっている。
このような話は戦前も戦後もかわりなくはなされている。性の話が禁断であった時代にも農民のとくに女たちの世界ではこのような話もごく自然にはなされていた。そしてそれは田植ばかりでなく、その外の女たちだけの作業の間にもしきりにはなされる。近頃はミカンの選果場がそのよい話の場になっている。全く機智があふれており、それがまた仕事をはかどらせるようである、
無論、性の話がここまで来るには長い歴史があった、そしてこうした話を通して男への批判力を獲得したのである、エロ話の上手な女の多くが愛夫家であるのもおもしろい。女たちのエロばなしの明るい世界は女たちが幸福である事を意味している。したがって女たちのすべてのエロ話がこのようにあるというのではない。
女たちのはなしをきいていてエロ話がいけないのではなく、エロ話をゆがめている何ものかがいけないのだとしみじみ思うのである。
田植えは元々女の仕事と決まっていたそうです。
歌を歌い、エロ話に花を咲かせ、田植えは楽しみで待たれたものだったという。
当時は性が実際、みんなの労働の活力源となっていたので、そこでの性は決して現代的な下品なのもではなかったでのしょう。
それが現代、効率化が進み、おしゃべりも次第に減ると、逆に田植えは大きな苦痛と捉えられだしたのだそうです。
- posted by kichom at : 2009年09月05日 | コメント (6件)| トラックバック (0)
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comments
婚姻制度において、遊牧生活に転換することは、大きなターニングポイントになっているんですね。わかりやすくまとめてあって勉強になりました。
次回の他の集団を掠奪する流れ!非常に楽しみです。
マニマックさん、コメントありがとうございます。
人類にとって男女関係=婚姻制は、集団の価値観・規範の最基底部に存在します。
母系(女原理)から父系(男原理)への大転換は、古来からもっていた女たちの役割(=直観で可能性を看取し、集団のいくべき道を照らし出す)を奪い去ってしまったのかもしれません。
新しい秩序を形成するにあたり、父系転換の持つ問題性は徹底的に洗い出さなければならないようです。
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