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2009年09月03日

中山太郎の「日本婚姻史」から~団体婚~☆4☆「おかあさ~ん。。」と言うのは何で?

p_izanagi.jpg9月に入ってすっかり秋めいてきましたね
さて、前回に引き続き、母権制度と団体婚との関係について、「言葉」から考察した部分をご紹介します。
ではでは続きを読む前に、今日も応援をよろしくお願いします

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言語から見る母権制度の痕跡

 わが国古語では、男女の両性を連称する場合には、概して女性を先にし男性を後にするのを習いとしている。例えば諾冊二尊(だくさつにそん、イザナギ・イザナミのこと)が国土を生む條にも『ここに陰陽始めて遘合夫婦となす』と言い、さらに諾冊二尊を『妹背二柱』とも言っている。
さらに人の代に降っても両親というべき場合に『母父(おもちち)』と称して女性を先にし、舅姑というべきを特に『姑舅(いもせ)』と逆にいう。夫婦というべきを『女夫(めおと)』と男性を後にするなど、その例は決して乏しくない。

 かく女性に重く男性に軽い言語の生じたのは、すなわちこの言語の生じた時代が母権時代であったためである。琉球本島では現に夫婦のことを『とうじみーと』と言っているが、これは刀自・夫婦の意であるから重言にはなっているものの、ここでも女性が先になって男性が後になっているのである。

 「めおと」は、現代では「夫婦」と書きますが、元々は「女夫」だったんですね 男女どちらが先かなんてあまり深く考えたことはなかったですが、「はっきり分かるのは母親だけ」という状態ですから、母親が中心=先になるのも頷けます。
引き続きご紹介します。

 なお奥里将建氏はこれに関し、その著『琉球人の見たる古事記と万葉』において、大体下記の如く論じている。
オモは元来乳を与えて養育するものだと諸学者は言っているが、沖縄ではオモそのままあるいはアモーアムーと単に母のことを言っている地方もある。
琉球の標準語としてはアンマーと言っているが、アモの転訛した語であろう(中略)。首里の士流ではアンマーとは言わずにアヤーと言っているが、これはオヤの転訛であろう。オヤと言う語は母親一人を呼んだ語で、決して後代のごとく父親も併せてオヤと言うことはなかったらしい。オヤと言う語が母性中心時代の古代の社会の面影を偲ばしめるごとく、琉球語のアヤーと言う語も古代の母性中心時代の社会組織を説明して余りある語であろう(中略)。
琉球で男性と女性とを併せ呼ぶ場合に、ライナグヰキガ(女男)、ミームンヲームン(雌雄)、ミート(婦夫)等と、きっと、男性よりも女性を先にして呼ぶようになっている。これ等も女性中心時代の社会の状態を雄弁に語るものであろう云々。
琉球人が物に吃驚した場合には、いかなる大人でもアンマーヨーと大声を発してまず母親を呼び、決して父親を呼ぶことをしない。これも太古の子供が、専ら母性の手一つで養育せられていたことを語るに足りる資料であろう云々。

この論旨は直ちにわが内地の古語のそれにも適用されるのであって、これ等の古語の存在はわが国においても大昔に母系制度の行なわれていたことを示唆するものである。

 確かに、日本人は、困ったとき・追い詰められたときに、「おかあさ~ん 」って言いますね(西洋人は「神様~ 」って言うようですが…)。「おとうさ~ん」って言う話はあんまりきかないです。
「女が先で男が後」というよりは、性や子育ての過程においては、女が主導権を握っていたということの証という気がしますね
次回は、「巫女さんの相続法」という、ちょっと珍しいテーマについてご紹介したいと思います。今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございます

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comments

性が減退していくのは、大問題です。その原因を少し考えて見ました。
人類の性は、3層構造  ①本能 ⇒ ②感情(=共認)⇒ ③観念
です。
そして近代の私権競争を激化させる社会によって、人類の「性」は自己中心である「自我」充足させる「性」として観念化~幻想化が進んだ。
つまり、<観念化⇒幻想化⇒自己中心的な性幻想の充足 >である。そして、いつの間にか「性」は非常に自己中心的な行為と成ってしまった。
本来の性は、オープンハートで心が一体となり、お互いが理解し合える喜び=和合充足だったはずである。
それに比べて、現代の自我幻想化された「性」は相手を分ろうとせずに幻想化した「女」(「男」)とのSEXであり、分かり合えるどころか、お互いが相手を見ていない(?)から和合充足を感じれるはずがない。
つまり、観念化~幻想化により「性」を自我に染めてしまった。そして、自我を否定すれば同時に「性」も否定してしまう事になってしまった。
仲間の共認充足に収束し始めた若者たちに、セックスレス現象が急速に進んでいるのはその為なのでしょう。
日本が存続して行く為にも、「性」をもう一度、和合充足として観念プラス化できる社会に変えていく事が必要なのだと思います。

  • 猪飼野
  • 2009年12月14日 09:13

「性欲さえそれどころではない」!!。衝撃的な響きです!
マスコミなどでは、少子化の原因を景気や経済不安のみで分析していますが、社会のもっともっと深い所にその原因があるように思いました。
逆に言えば、支援金のばらまきなどは解決策になり得ないと言う事だと思います。
もっと深く、人々の意識や既存の社会制度の矛盾点などを追求して行かなければ答えは見えてこないのだと思います。

  • yama33
  • 2009年12月15日 12:13

結婚に対する価値観の多様化も、経済不安だから子供持てないも、根っこは同じ不全からのように思います。
>現在は、秩序が崩壊or消滅しようとしているにもかかわらず、新しい秩序は登場してこない。
この社会秩序が崩壊してゆく感覚、しかも新しい秩序が見えない(分からない)不安と焦りが、性欲さえ「それどころではない」と脇に押しやるほどの強い力を持った得体の知れない不安と焦りの正体である。<(るいネットより)
そこまでの深い不全に晒されているからこそ、従来の結婚に対する価値観に従って実践しても充足できる可能性は見出せないから多様化しているとも言えるし、そのような中で目先の経済不安が仕事を続けられなくなる不安へとつながり、子供を生むことに対し消極的にさせているのだと思います。

  • サハル
  • 2009年12月15日 21:31

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