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2011年06月04日

中華の性文化変遷】~②宋の時代以降~金~元~清~アヘン戦争(宋ではなぜ性の抑圧に逆転したのか?)

中国史を通じて、宋はそれまでの中華文化とは文化の断絶(?)が見られます。
具体的には、宋以前の時代において性は一定の規範を持ちつつも開放的、肯定視の歴史であったが、宋代を境に性は抑圧へと転換します。
古代文化の精神的背景にあったのは、道教であり、儒教であった。特に儒教は、とかく規範性が高く男尊女卑の印象が強いが、古代においては儒教も性に対してはそれほどの厳しい礼儀を求めてはおらず、子孫繁栄のために性を肯定視していました。
それが一転して、宋の時代になると、礼儀と道徳性はより厳格化され、特に女性に対しては拘束性が高まりました。
宋の前後で、一体何があったのでしょうか
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ウィキペディア)より
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「改革開放以降の中国人の性意識の変容およびその形成要因についての考察」(王輝)からの引用です。

(2)宋の時代からアヘン戦争まで― 性の保守化への転換
宋の時代になると、性を抑圧する礼儀はいっそう厳しくなり、性禁忌主義が主流となった。宋の時代に儒・仏・道の三教の理論を混合させ形成した「理学」という新しい思想体系は支配的な地位に置かれた。理学とは、新儒教とも呼ばれ、儒教思想をあらためて整理、解釈し、なお、仏教・道教の思想、学説の中から必要な部分を抜き出し、統治者にとって庶民・大衆をより治めやすい思想体系である(胡・島崎,1992)。
「理学」が強調された結果、儒教の中で唱えられた「父母之命媒酌之言」(父母の命令、仲人の紹介)の婚姻制度が踏襲されたばかりではなく、貞操思想、男尊女卑の思想などを強調する風潮が根付いた。性の抑圧を象徴する纏足も宋の時代から一般化され、性を規定するさまざまな社会的制約が女性の境遇を著しく変えてしまった。陳(2002)はこの時期の中国社会の婚姻は次の三つの特質を持つと指摘した。
第一は、「父母之命媒酌之言」と「門当戸対」(結婚相手の双方の家庭の社会的地位、経済的条件が相当であること)の原則である。これらの原則は結婚しようとする男女の絶対的に守る条件である。婚姻は男女当人のためではなく、家のためであり、家本位の婚姻であった。
第二は、婚姻は親のためであり、親こそ婚姻締結の当事者であるということ。
第三は、婚姻は男性(夫)を中心として考えられていた。婚姻関係の形式としては一夫多妻制であったし、婚姻は女を娶る形式をとり、婚姻の儀式も男性側を中心に行われ、婚姻生活も男性側で営まれる。宋の時代以降、「男尊女卑」の思想が強く、男性に比べて女性の拘束感はより強くなった。女性は離婚する権利がなく、離婚することも、男性側が一方的に決めることであり、「休妻」と呼ばれた。さらに、「餓死事小、失節事大」(女性は自分の貞節を命より大事にし、貞節を失ったら命を絶つべきである)、「貞女不嫁二男」(貞女は二夫をふまえず)の貞操思想の影響によって、女性の再婚も不可能であった。
上述したように、宋の時代から、中国人の性意識は保守化しつつあり、礼儀と道徳が強調され、特に女性に対して強く束縛し、人間性を抑圧することになった。

ここで、唐から宋に代わるまでの時代の変遷をまとめてみたいと思います。
「世界史講義録」より要約。)
◆漢以降の帝国の復活
隋・唐を通じて租庸調と農民の徴兵によって農業帝国としての体制を整えた。
以降、門閥貴族階級が成立する。
◆唐の滅亡過程 
均田制崩壊と農民の没落
   ↓     ↓
 佃戸制と   募兵制と
 貴族の荘園  節度使の台頭
   ↓     ↓
  ・・・黄巣の乱・・・
      ↓
   門閥貴族が消滅
      ↓
    唐の滅亡
   ↓     ↓
  新興地主  節度使や藩鎮
  形成戸   が王を自称
    五代十国
     ↓↓
    宋の建国
   
◆唐の滅亡要因
①土地制度の崩壊
相次ぐ北方民族の侵入に土地を離れて逃げる農民が相次ぎ、定着農民が大幅に減ることにより均田制が崩壊してゆく。同時に徴兵制が成り立たなくなり、募兵制となる。結果、兵士の質が低下してゆく。そんな兵士を抑える役目も含めて相対的に節度使が勢力を付けてゆくことになる。
②楊貴妃に溺れた玄宗皇帝
宮廷では、玄宗皇帝が寵愛した楊貴妃の一族を要職に登用(情実に溺れた人材登用)したことで政治の腐敗を招き、内部的な不満の高まりを招いた。
これはその後の安史の乱を招く直接的な原因となる。
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 (玄宗皇帝)                  (楊貴妃)       (右の2枚は中国百科事典(中国人物)から) 
③黄巣の乱で、門閥貴族階級は消滅。
◆文化の断絶:宋は北方系文化を取り入れたのだろうか
・宋の建国者、趙匡胤は漢民族ではない?
⇒趙氏の出自(ウィキペディア)
中国文学研究者の加藤徹は、趙匡胤の父は突厥人の国家である後唐の近衛軍の将官であり、世襲軍人だった趙氏一族に突厥人の血が混ざっていた可能性は高いと述べている。岡田英弘もまた、趙氏が漢民族であったどうかに疑義を呈している。
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(趙匡胤:ウキペチディアより)
これまでも漢民族以外の民族が征服したことはあったが、みな中国化して行った。
しかし、趙匡胤は中国化せず、それまでの中華文化とは違う文化を取り入れて行ったということではないか。
◆つまり、
唐の滅亡要因のひとつ=情実に溺れた人材登用 ⇒父権原理を強める ⇒性抑圧
土地制度崩壊+徴兵制崩壊→募兵制の傭兵→兵士の質が落ちる→略奪・暴行⇒規範の強化⇒理学
門閥貴族が消滅→軍人出身の節度使による覇権争い ⇒文治政治
宋の時代は、それまでの貴族の性文化(≒中華文化)と決別し、父権原理を強める必要性から北方民族の文化(≒性の抑圧)を取り入れ、一方で武官の勢力を押さえ込む必要から貴族に代わる新たな高級官僚の採用基準として理学を用い、規範の厳格化の道を選んだのではないだろうか。
その意味で、中国の性文化史において、貴族の性文化から北方民族の性文化への一大ターニングポイントといえるのではないでしょうか。
以降、金~元~清~アヘン戦争まで、概ね北方民族による支配が続きこの文化が続くことになる。
その後唯一漢民族の帝国を回復した「明」の時代に、金瓶梅が発行されるなど、再び性の開放へと向かう兆しが見られるのも、やはり民族特質なのだろうか。
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(画像はこちらよりお借りしました)

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comments

>中国の侵略部族の統治は、融合型ではなく、「破壊型」であった。殷は周に滅ぼされるのだが、セム族系の周は金属精錬を得意とせず、その技術はとうてい殷に及びませんでした。つまり、全て破壊してしまって征服してしまう文化だったようです。その結果、多部族の守護神を組み込んで神話で観念統合する統治を必要としなかった。
のところは少し疑問です。遊牧=侵略部族である支配階級どうしは攻め合いでしょうが、農耕民は土着民を使ったものと思います。ですから否定したのは支配階級相互の神話であって
、民間信仰まで否定することはなかったと思います。
そうした支配階級同士の戦いの果てに、勝てば官軍=天命の論理がうまれたのではないでしょうか。

  • yama3nande
  • 2012年6月5日 13:49

yama3nandeさん、コメントありがとうございます。
ご指摘の
>遊牧=侵略部族である支配階級どうしは攻め合いでしょうが、農耕民は土着民を使ったものと思います。ですから否定したのは支配階級相互の神話であって、民間信仰まで否定することはなかったと思います。
に関して、私の言葉足らずでした。
◆指摘のように、中国の支配者層は、(多くは)漢民族以外の遊牧民族により時代ごとに入れ替わります。しかし、儒教による官僚体制は、そのままで支配者層だけの交代です。庶民はそのまま統治されます。
◆しかしこれが確立して行くのは、国家規模が大きくなり儒教と官僚支配体制が確立した秦~漢の時代以降のことです。
それ以前の夏、商、周、春秋戦国時代までは、遊牧民族の「破壊型」支配だったようです。つまり「武力」を持ってはいても支配するだけの「文化」は持ち合わせていなかったようです。
◆秦~漢の時代に、中央集権国家の規模が大きくなり官僚による儒教支配による統合形式が確立しました。以降に何度も交代する新たな武力勝者は、この巨大な支配システムに乗っかるしか支配手法が無かったのです。(つぶして、新たな支配体制を作るだけの高度な文化を持ち合わせていなかった) その結果、新たな支配者なのに、漢民族に編入されると言う特異な支配文化となっています。
◆しかし、ご指摘のように、庶民文化は「儒教」では無く「道教」を継承し続けていたようです。
◆この儒教による「官僚支配文化」は、首相が入れ替わりながらも霞ヶ関官僚は、継続し続ける(=外圧適応して変化しない)現代日本に、どうしても重なって見えてしまいます。

  • 匿名
  • 2012年6月7日 10:13

返信ありがとうございます
>それ以前の夏、商、周、春秋戦国時代までは、遊牧民族の「破壊型」支配だったようです。つまり「武力」を持ってはいても支配するだけの「文化」は持ち合わせていなかったようです。
ここの事実の固定ですよね。たとえば商は夏の家臣(配下の豪族)が夏を倒してできた政権ではなかったでしょうか。そうすると基本的には農民は継続していると思いますがどうでしょうか。遊牧部族+農耕民のセットでえ縄張り争いをしたのか。農民はそのままで支配階級どうしがやりあったのか。是非、仔細名追求の継続を期待します。(私も折を見て調べてみたいと思います)
これからも追求期待しています!

  • yama3nande
  • 2012年6月10日 13:18

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