2011年08月15日
歴史に学ぶ男女関係2 ~古代の対偶婚(2)~
前回の歴史に学ぶ男女関係1 ~古代の対偶婚(1)~に続き、今回は日本古代の性関係・婚姻のあり方を具体的に見ていこうと思います。今日も、関口裕子・服藤早苗・長島淳子・早川紀代・浅野富美枝著『家族と結婚の歴史』(1998年)より紹介します。
その前に古代の性関係・婚姻のあり方の基礎をなす、対偶婚について再度簡単に触れておきます。
対偶婚とは 、現在私たちはおこなっている婚姻形態である単婚(一夫一婦制)より一段階前の婚姻形態で、一応一人の夫に対して一人の妻という一対の夫婦関係では成立しているが、(1)それは必ずしも夫以外の男性との性関係は妨げず、(2)その関係は長続きしないというものである。
この対遇婚の特徴は学術用語でいうと、①排他的同棲の欠如と、②当事者の気の向いている間だけ継続する結婚ということができます。
では、対偶婚のこの二大特徴が古代の恋愛や結婚のあり方を規定している点を、具体的にみていこうと思います。
続きに行く前に応援の方、よろしくお願いします。
1、古代の恋愛の特徴
<第一の特徴>
『古事記』には、初めて家を訪ねたアシハラシコヲノミコトに対して、スセリビメは一目見ただけで(気に入り)すぐに性関係を持ち夫と妻の関係になったという話があります。このような関係は、現代の若者の「恋愛」にも少し似ていますね。
古代では恋愛、性関係、結婚の三者がわかちがたい形で存在していたことがわかります。このことは、古代では恋愛と結婚の境目が明確ではなく、長続きした恋愛がいつの間にか結婚に移行していることを意味しています。
古代の結婚は相思相愛の男女の関係が、いつの間にか本人同士の間で結婚と意識されるものであった。そして、その関係がやがて妻の両親をはじめとする、周囲の人たちにも認められたのであるようです。支配者層では婿の接待がおこなわれているようなので、一般庶民層でも共同体により何らかの簡単な儀式がおこなわれたと推測されます。
<第二の特徴>
古代では男女の性関係は決して恥ずかしいもの、汚らわしいものではなく、肉体的官能が素朴でおおらかな純粋さと結びついていたようです。
それは、『万葉集』の相聞歌が「まばゆいばかりの性への賛歌」であった点に示されています。
<第三の特徴>
恋愛相手に対する好みの広さと、それがあまり長続きしない点です。『古事記』には会ったこともない相手に恋してしまう場合が記されています。ヤチホコノカミが、賢く美しい女性であるとうわさを聞いただけで求婚をしに出かけています。
そして、気の向いている間だけ続く(好きになったら一緒になり、いやになったら別れる)という当時の対偶婚の特徴と関連している点が見受けられます。
以上が日本古代の恋愛=性関係=結婚の実情のようです。
しかし、近世になると女性の性関係は家父長の管理下におかれるようになり、愛し合っている男女間の性関係でも、家父長の許可がないと法的処罰の対象になる時代が訪れます。
2、女性による自分の結婚・・・性関係決定権・求婚権・離婚権の保持
古代の結婚が対偶婚段階にあり、その特徴の一つが、気のむく間のみ続く結婚という点にあったことが、お分かりいただけたと思います。
そしてこの特徴は、男女ともに、好きになれば結婚し、嫌になれば離婚できることを意味します。当時の男女は、ともに自分の結婚=性関係を自分で決めることができ、離婚することもできたようです。
この有り方は現在の状況にも似ており、一見当たり前のような気もしますが、中国・インド・ギリシャ・ローマのような古代社会では、すでに女性の結婚の決定は家父長の権限に属し、女性は家父長である父の許可のない限り、自分の好きな相手と結婚することができず、またどんなに夫が嫌でも、新たな家父長である夫の許可のない限り、自分から離婚できなかったことを考えると、日本古代のこのようなあり方は、特異なものである点がわかると思います。
また、古代の女性は自分から積極的に好きな男性に働きかけるという、結婚=性関係決定権とともに、求愛・求婚権、離婚権を保持していた点が、『丹後国風土記』や『日本霊異記』に見受けられます。
3、女性の合意を前提にする性結合慣行・・・強姦の不在
当時の性の結合は、男女双方の合意の上でおこなわれた事を意味するはずです。このことは別の言い方をすれば、古代では女性の意向を無視した性結合=強姦は、集団の中に存在しなかったということです。
そのことは第一の根拠として、9世紀初頭成立の『日本霊異記』では一切存在しないが、12世紀初頭成立の『今昔物語集』では強姦例が何例か見られる。また第二の根拠として、女性が自分の意向に反する性結合を否定している資料が『播磨国風土記』などに多く見られる。
但し外国との武力衝突の際には、女性の意向に反した性結合が見られたようです。その例外的な場合の突破口として、次の時代に強姦があらわれはじめます。
4、必ずしも閉ざされていない人妻の性・・・姦通の不在
単婚以前の婚姻である対偶婚のもつ一つの特徴は、排他的同棲の欠如ですが、これは、配偶者がお互いに相手以外の異性と性関係を持つことをさまたげないことを意味します。
人妻に夫以外の男性が通っていることは例えば『伊勢物語』にむかし、みちの国にてなでうことなき(平凡な)人の妻に通ひけるに」とあり、『大和物語』では平貞文と藤原国経妻が「あひちぎる(男女の交わりをする)ことありけり」とある。
当時は姦通が存在しなかったようですが、『今昔物語集』では、人妻と関係した相手を「盗人法師」とされており、夫の所有物たる妻の性を盗んだと意識されており、処罰が行われるのである。
つまり所有権を侵害した人間への処罰がおこなわれるように変わっていくのです。
- posted by yidaki at : 2011年08月15日 | コメント (5件)| トラックバック (0)
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comments
「変成男子」を以って、男性原理と断じるのは早計ではないでしょうか?
というのも、「変成男子」は数ある経典の中で、法華経提婆達多品に一度出てくるだけです。
すなわち、この経典が編まれた当時はどのような状況だったのか?を鑑みる必要があると思います。
当時は女性の地位が極端に低く、扱いも家畜以下、夫が死ぬと、その死骸とともに生きたまま焼き殺されるというようなことも普通に行なわれていました。
そんな社会でしたから、仏教の説く平等思想は、階級制度を否定し、社会秩序を混乱させるものとして、ヒンドゥー教側から激しい非難を浴びていました。
そんな中で「女性も成仏できる」と言ったら、まさに火に油を注ぐようなもので、大変危険なことになります。それはちょうど戦時中の日本で「庶民も天皇も同じだ」と言うようなもので、そんな状況で、現実的な妥協策として説かれたのが、この「変成男子」の説です。
まぁたしかに、「変成男子」の説は未熟な平等説です。ですから、後には、「変成男子」という手続きをとらずに、直接「女人成仏」を説く『勝鬘経』のような経典も現われてきます。
それ以前にも、釈迦は男女の別なく、悟りに至れると説いており、この経典が編まれた時代が特殊だったとも言えるかもしれません。
様々ある経典の中のある部分だけを以って、「こうだ」と言ってしまうのは、少々乱暴ではないでしょうか。
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