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2015年01月01日

高齢者が先導する新たな共同体!~シリーズ6 地域共同体構想の実現基盤と実現手法 その2~未知収束

未知収束TOP

新年明けましておめでとうございます。
本年も「実現の年」として、これまで以上に追求を深めて行きたいと思います。
応援・コメントをよろしくお願いします。

「お上の暴走」→秩序崩壊を感取した人々の本源回帰の潮流は、3.11を契機として一段と勢いを増し、遂に「何かやりたい」という実現期待が、学生・主婦・老人の間から広範に生起してきています。自給自足のイメージに近い、自給志向(自分で賄う)や自考志向(自分で答えを出す)等の追求に向かう根幹には、潜在思念が未知の外圧を感取しているからだと考えられます。

その様な未知の外圧に対して可能性に向う潮流は、どのようにして生起するのでしょうか?今回は未知収束回路の構造を解明して、皆の追求活力を生み出し、地域や社会を牽引していく手がかりを掴みたいと思います。

早速、「未知収束」の全貌を解明していきましょう!!

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◆2-1未知への収束と追求(充足)の構造

まず、未知の外圧→可能性に収束する潮流は、どのようにして生起するか触れてみます。 自給志向・自考志向をはじめとする、現在生起している未知収束事例は、未知の外圧に対する先端収束にあたります。

これらの収束事例の発端は、市場縮小・私権の衰弱→バブル崩壊に始まり、不正選挙や原発事故などのお上とマスコミの暴走です。もうお上には頼れないという現実と、これからは自分たちで社会をつくっていかなければいけないという未知なる外圧の突破口として、人々の未知収束回路が作動し始めています。

未知収束回路は、人を「これからどうする?」という追求に向かわせます。現実を捨象・否定し、平等や自由を要求する民主主義的な価値観とは正反対の関係にあり、これに陥っていては未知収束回路は作動せず、一向に追求には向かえません。 自分たちの手で自分たちの社会をつくっていく地域共同体にとって、追求力は大きな推進力となります。

「家族を守りたい」、「社会の役に立ちたい」、「パートナーを勝たせたい」といった、追求共認こそが追求充足を生み出す源泉になります。

ここで未知収束が活力源となった背景をおさえておきましょう。

未知収束が活力源になったのはなぜか?   リンクはこちら

全ての生物にとって、世界の状況を把握する機能=外圧認識機能は、生存していくために不可欠の機能であり最先端機能となります。そして、外圧を認識した生物は外圧に適応するために本能を発達させます。一度、本能で外圧に適応すれば、適応態である生物にとってその本能と外圧は整合しており、世界は本能で単純に対応すればよい対象であり未知なものではなくなります。

しかし、猿と人類は本能で外圧に対応できなくなったことが他の生物と大きく違います。猿は樹上という最高の生産力と防衛力を持つ第三の世界を獲得したことで、本能では対応できない集団での同類闘争という外圧にさらされ、本能を超えた共認機能を獲得します。(詳細は実現論参照)

そして、人類は木に登れなくなったカタワの猿であり、最高の生産力も防衛力も失い、本能でも共認機能でも適応できない極限状態にさらされます。人類は本能で外圧に適応できない不適応体なのです。従って人類にとって外圧は「いつ何が起こるかわからない」未知の世界であり、当然、未知なる物の把握が最先端課題となったのです。

この未知収束回路はDNAに深く刻印されています。だからこそ未知なる物(当時は自然)の追求が第一義課題となりその結果、追求共認→追求充足の回路が形成されたことによって一段と追求力を上昇させ、ついに未知なる外圧の中心に精霊を見る(観念回路を形成する)に至ったのです。

この未知収束こそ追求充足と観念機能を生み出した源泉なのです。
すでに追求回路が作動している最先端層では、保育・介護・環境等の事業に取り組んでいる層もいますが、それぞれが専門領域の枠組みに留まっており、追求力不足、理論不足なのが現状です。

追求力をフルに発揮させるには、皆が感じていることを言葉化し、追求共認を図っていけるか。全ては潜在思念の未知収束をどれだけ言葉化できるかにかかっていると言えるでしょう。
以上の未知収束と追求(充足)の構造を図解にして固定しておきます。
未知収束と追求

◆2-2未知収束回路は生存圧力発

次に未知収束回路をどうやって生起させるかを解明していきます。
未知収束回路が作動して、「これからどうなる?」と考える時は、いつ何が起こるかわからない、将来像が見えない、社会はこれから先どうなる?と言った生存の危機を感じたとき、すなわち生存圧力を感じた時なのです。

私権が終焉したのをきっかけに、お上は暴走を始め、マスコミは偏向報道を繰り返し、社会が何かおかしい。さらに自分自身といえば、目先の会社の経営で頭がいっぱい・・・。 未知なる外圧に対して、全うな人間であれば、そこできっと目の前の現実を直視するでしょう。現実否定に走らず、現実を直視すれば、「どうにかしなければ」「どうする?」「どうやって家族・地域を守る?」と可能性探索に向かはずです。

つまり未知収束回路は、生存圧力をきっかけとした、可能性探索回路でもあるのです。

未知収束回路は生存圧力発

これについては、皆さんも日々実感しておられると思いますが、なぜ私たちは生存の危機を感じると未知収束⇒可能性探索に向かうのでしょうか?生物史に遡り、過去人類がどうやって生存の危機を突破してきたのかを掘り下げて確認します。

求のススメ1.未知なる世界への収束と追求(3)  リンクはこちら

足の指が先祖返りして、それ以前の獣たちがそうであるように、足の指で枝を掴むことが出来なくなったカタワのサル=人類は、樹上に棲めるという本能上の武器を失った結果、想像を絶する様な過酷な自然圧力に直面した。とうてい外敵に対応できない原始人類は、洞窟に隠れ棲むしかなかったが、彼らは恒常的に飢えに苛まれていた。

(中略) 彼らは常に生存の危機に晒されており、当然「どうする?」⇒「世界(自然)はどうなっている?」という未知への収束と追求回路に全面的に先端収束する。そして、人類は、直面する未知なる世界=不整合な自然世界を「なんとしても掴もう」と、自然を凝視し続けた。それは、生命の根源をなす適応本能(整合本能)と共認機能を深く結びつけることになった。そのようにして、みんなで毎日毎日追求し続ける、その中で、追求共認⇒追求充足の回路が、共認回路の奥深くに形成され、その共認充足が更に強く皆を追求に向かわせていった。

そして遂に、未知なる自然(例えば、一本一本の木)の背後に、整合する世界=精霊を措定する(=見る)。人類が万物の背後に見たこの精霊こそ、人類最初の観念であり、人類固有の観念機能の原点である。直面する未知なる世界(例えば自然)の背後に精霊を見るのも、物理法則を見るのも、基本的には全く同じ認識回路であり、従って精霊信仰こそ事実認識=科学認識の原点なのである。

このように、人類は、その最先端の観念内容を組み換えることによって、極限的な生存圧力に適応してきたのである。

 

◆まとめ

以上から、
★皆で現実直視(家族、職場、地域、社会)→現代社会における生存の危機を感取・共認することで、未知収束回路を作動させることが出来る

★新しい社会をつくっていくために、未知収束回路⇒可能性探索に向かうには、皆の潜在思念をどれだけ言葉化し顕在化出来るかにかかっている。

新しい地域共同体のあり方を追求していく上で、地域統合のための理論化は必要不可欠です。次はシリーズ7「先端の意識潮流」に焦点をあて、追求していきます。
シリーズ7へ続く

 

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