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2019年08月23日

日本語を話す弥生人はどこから来たか(2)

日本語を話す弥生人は何処から来たのか?
丸地三郎氏の『「試論」日本人の起源』(リンク)を紹介します。

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●長江(揚子江)の流域で稲の水田耕作農業を確立した倭人は、長江の流域とその近接地域にその領域を広げた。

●その一部は、長江の上流域、最上流地域に広がり、
→更に横断山脈の150Kmの狭い領域を流れる長江(金沙江)、メコン河、タルウィン川、エイヤワディ川、プラマプトラ川の源流地帯から、ベトナム・タイ・ミャンマー・インドに下りた。
→インドでは、水田に適したプラマプトラ川・インダス川の流域からアーリア人に追われ、南下し、最南端とスリランカの一部で、民族と分化・言語を残した。

●秦の始皇帝による中国統一により倭人の国は、ほぼ壊滅に陥った。

●徐福とその一行、
→長江下流域北、徐州の徐福は秦の始皇帝に語らい、不老不死の秘薬を持ち帰るためと称し、倭人の若者・子供3000人と五穀、農業技術者、工人、軍隊を引き連れ、船群を率い、出帆した。(BC219年。)
→黒潮に沿って、九州各地、瀬戸内海沿岸各地、太平洋沿岸・高知、和歌山、愛知、静岡、神奈川、日本海側・京都、秋田、青森、更に韓国南部・海南島、済州島などに分かれて到着。
→その地にいた縄文人を圧倒し支配した。中国統一を果した秦の始皇帝軍の、最強の武器青銅製・鉄製)を持った戦闘経験豊かな倭人と、二世代前の「石器」を使用していた縄文人では戦いにもならなかったのではと想像する。
→水田を開き、稲作を行い、その豊かな収穫で、爆発的に人口を増やし、その領土、領域を広げた。
→倭人の言語が日本の標準言語となった。(縄文の言葉は駆逐された。)

●200年~300年経ち、土地を争い、クニとクニの戦いを続けた。

●AC238年卑弥呼が使節を「魏」に送るまでに至る。

●日本人の起源は、縄文人と長江から渡来した倭人、徐福の一行。
→倭人が縄文人と混血し弥生人となり、現代につながる。
→倭人の使っていた言語が日本語となった。
→倭人の文明・文化が日本人・日本文明となった。

●徐福一行の一部は韓国南部で、同様に支配を行い、馬韓・弁韓・辰韓の
ちの百済・伽耶・任那となり、日本列島の倭人と協力関係を保った。

●インド大陸のタミル人は、日本人と同じ倭人の末裔で、同じ起源の言語
と文明を担う。

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