2020年09月17日
学校は『百害あって一利なし』
学校は『百害あって一利なし』
明治以降の学校教育の歴史を総括すれば、そのように断言できるのではないかと思います。
このように言うと、「えっ、百害ってどんな害?」「一利か二利くらいはあるのでは?」「友達もできるし」と反論の声が聞こえてきそうですね。何故学校は『百害あって一利なし』と断言できるか。
大きく3点の事実があります。
1つ目は、学校で教える教科の中身が漢字と加減乗除を除き、全く役に立たないから。
この事は社会に出た後の多くの大人が実感するところではないでしょうか。漢字や加減乗除は概ね小学校に終りますが、中学・高校・大学とその後に学ぶことは殆ど実社会で使いません。つまり、10年近くは無駄ということです。
「いやいや全て役に立っているとは言わないけど、中高大で学んだことは、少しは今の仕事の土台になっているものもありますよ。」
そういう声も聞こえてきそうですね。確かに“学校ありき”で考えるとそのように思うでしょう。でも、もし学校に行かずに中卒で社会に出て仕事をすればどうなるでしょうか。仕事に直結する必要な知識や技術は、仕事のなかで学んでいくことになり、そこには無駄な知識や使えない固定観念を植え付けられることはありません。
現に中卒(16歳)の子どもが大卒年齢(22歳)になるまでの6年間、仕事を通じて学んだ姿と、学校に通い社会人になる大卒新人を比べたら、とてつもない能力の開きが出ています。それは知識や技術だけではありません。人間関係力や言語能力、危機察知力、創造力など仕事に必要な多様な力が身についています。
また、時代遅れの使えない知識を植え付けられることで、実際に社会に出て全く通用しないばかりか、固定観念が邪魔をして現実が直視できず、その後の成長の妨げになることも多い。役に立つどころか弊害でしかないというのが正直なところでしょう。故に、中・高・大の教育は全く役に立たないと断言するのです。
(参考)
突破口は仕事を大々的にカリキュラムに組み込むこと
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=348857
不登校から大人になったら…その後の人生は驚くほど逞しい
http://web.kansya.jp.net/blog/2020/09/7743.html
2つ目は、学校により遊びが奪われることです。
遊びのなかには、子どもの成長に欠かせないものが詰まっています。子ども達は遊びを通じて、自分達でどうすれば楽しめるかを考え見つけ出し、未知なることにも危険なことにもチャレンジしたり、時には友達と喧嘩もしながら人間関係力を身につけていきます。この遊びを通じて成長するのは、現代人だけではなく人類史や哺乳類にも普遍的にみられる現象です。昔の日本の遊びを見ても、未開部族を調査しても、子どもの遊びというのは、大人の仕事の真似事となっています。幼児期のごっこ遊びも典型ですよね。子ども達は遊びを通じて、大人になったときに必要な能力を獲得しているのです。
この子ども達の成長に欠かせない遊びを学校が奪っているということです。子ども達の内発的な遊び欠乏に蓋をし勉強を強いることで、成長の機会を奪うばかりでなく、内発的な意欲活力をも奪っていきます。
ちなみに誤解されないよう、ゲームや遊園地、旅行等は、遊びとは全く別物です。これらは、大人が用意した与えられるものであり、遊びではなく娯楽です。遊びとは、与えられたものではなく、子ども達自身の内発から生み出され、自分達で作りかえていくものです。
(参考)
子どもにとって、「遊び」は最大の学習課題
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=219377
”遊び”と機能発達
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=222800
子供の「ごっこ遊び」は、とんでもなく脳にいい
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=323690
遊びが学びに欠かせないわけ~異年齢混合が子どもの力を伸ばす
http://blog.livedoor.jp/iiotokoiionna/archives/52277449.html#more
そして3つ目が、言語能力、追求力の衰弱、意欲・活力の衰弱です。
これは現代の子ども達だけでなく大人も同じ。2017年の世界調査によると、熱意溢れる社員の割合は6%しかおらず、139カ国中132位と最下位クラスにまで落ち込んでいます。また、別の新社会人の意識調査によると、「人並みで十分」が6割(過去最高)、「楽しい生活をしたい」約4割(過去最高)で、「自分の能力を試す」は1割と過去最低にまで落ち込んでいます。今や日本人の意欲・活力はドン底です。
また、意欲活力だけでなく、何事にも無関心な若者がこの数十年増加してきました。精神破壊、環境破壊、経済破壊など、人類的課題は山積しておりこのままでは滅亡してもおかしくない状況ですが、そのような問題は「どうでもいい。自分とは関係ない」ものとして思考停止しているのが現状です。全ての生物は外圧に適応するため内発的な本能群が形成されていますが、外圧を捨象すれば当然本能群は働かず、追求力も言語能力も衰弱していきます。
明治に学制を布いて以降、学校教育約150年を総括すれば、今の意欲・活力ドン底、追求力・言語能力ドン底の現実を見れば、失敗であったと大きく総括すべきであろうと考えます。「本当に学校は必要なのか」「そもそも学校は何故作られたのか」 少なくともそのような追求が沸き起こってもおかしくありませんが、そのような声も追求も全く行われない位、思考停止していることも、学校教育の弊害を表しています。
(参考)
「熱意ある社員」6%のみ 日本132位、米ギャラップ調査
https://www.nikkei.com/article/DGXLZO16873820W7A520C1TJ1000/
2017「新入社員 働くことの意識」調査
https://www.jpc-net.jp/research/list/new_recruit.html
外圧捨象(→活力ドン底) と 人類の再生
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=353556
『百害あって一利なし』の学校が何故無くならないのか。
誰も考えた事がないこの問題を次回記事にします。
- posted by KIDA-G at : 2020年09月17日 | コメント (0件)| トラックバック (0)
trackbacks
trackbackURL:
comment form