RANKING
にほんブログ村 歴史ブログへ
NEW ENTRIES
RECENT COMMENTS
RECENT TRACKBACK

2020年09月29日

私たちは性行為の方法とイメージの両方を塗り替える必要がある。

一般社団法人「性・愛・命の学び舎」代表理事を務め、真実の性の語り部と称する夏目祭子氏。著作の『あなたが目覚める愛と性のギフト~至福の男女関係をつくる〔6つの封印解除]』を紹介します。

【プロローグ】
・性の感覚は、美しくて豊かなもの。私たちの内側にはある「資源」が眠っている。それは、誰かと親密な愛情を交わしあうことから生まれる豊かな力。その価値あるものとは私たちの「性」のこと。恋愛、結婚の悩みの裏には「性の問題」が隠れている。今や多くの人たちが、「自分の性を心の底から肯定して、愛する人と本能的な喜びを分かち合う体験」から遠ざけられている。

・聖なる性が下劣なものに転落した原因。私たちの世界では、性を下劣なものと思い込ませる、歪んだマインドコントロールが働き続けている体と言えます。元をたどれば数千年も時代をさかのぼる、古代から始まっていた、根深い歴史があるのです。簡単にいうと、男女が一つに結ばれることから生まれる大きな力が、「下品で恥ずかしいこと」として制限されたために、私たちはその力を十分に発揮できなくなった。さらにそんな下品な行為へと男を誘い込む女は「卑しい人種」だと貶められたからこそ、女たちは自分を無力な存在だと誤解するようになった。世界各地で一握りの権力者たちが、大勢の庶民の力を弱めて、支配しやすくするために作り上げた、大がかりな迷信の数々と言えます。

☆私たちは性行為の方法とイメージの両方を塗り替える必要があるのです

【第1の封印解除】:性の営みの本質はエネルギー交流
・「性行為は女性が男性の肉欲の餌食になる苦行である」これは、今をさかのぼること数千年の昔、それまで世界の価値観が「調和的な女性性優位」だったものから「競争的な男性性優位」へと大きく方向転換した後に、「男性が女性と子供を所有する社会」となったために刷り込まれた考え方。さらに宗教組織の権力者たちが「子作り目的以外の性行為は、卑しい欲望に堕ちるものだ」と戒める教えを作ったものだから、いつしか性の営みは、女性にとっては屈辱的な苦行として、男性にとってもどこか気恥かしいコンプレックスを伴うものとしてのイメージが刷り込まれたのでした。

性の営みとは、お互いの全身全霊を一つに溶け合わせようとする行為なのです。自然が美しいのと同じように、性も美しい。私たちの性は、自然界との調和の中にあるのだと。

・実は性エネルギーというのは、性行為のためだけにつかわれるものではありません。ここから湧き出したエネルギーは、私たちの体を縦に貫くように、頭のてっぺんまで上昇していく性質を持っています。ヨガの教えでは、性エネルギーのことを「クンダリーニ」とよび、会陰から尾てい骨にかけての生殖器ゾーンに、2匹の蛇がとぐろを巻いたような姿で収まっているといいます。このクンダリーニが体の中心軸に沿って上昇していくとき、中心軸上に並んでいる7箇所のチャクラと呼ばれる、私たちのエネルギー体にあるパワースポットを活性化していきます。

・下半身をうずうずさせる性エネルギーが体内を昇り始めると、それは小さならせん形をくるくる描きながら、まさしく蛇が立ち上がるような動きで昇っていくのがわかります。それが全身を貫いて脳まで上昇すると、私たちは日常意識を超えた「変性意識状態(トランス状態)」を体験するわけです。それは別の言葉で表現すれば、恍惚感、エクスタシーということ。この性エネルギーのエクスタシーは、必ずしも相手のある性行為をしなくても、自分の体を愛撫するマスターベーションでも味わえます。また、セクシャルな行為ではなくても、チャクラを刺激する瞑想呼吸や、ダンス、水浴び、自然散策などの五感を刺激する活動の最中に、不意に湧き起こることもあるのです。

・人間は、背骨に沿って体を貫く「性エネルギーの上昇経路」を通して、空と大地のエネルギーをつなぐ働きをしているのだ、と私は考えます。では、日本人はもともと、セックスのことをなんと言っていたのでしょう。漢字が使われ始める以前の時代から今に伝わる「大和言葉」には「まぐわい」という言葉が残っています。後から当てられた漢字では「目合い」と表現されました。ただでさえ、エネルギーの動きに敏感だった縄文人にとっては、目と目を強く合わせた時からすでに、二人のエネルギーの絡み合いは始まって、近寄るほどに混ざり合うのが全身でひしひしと感じられたことでしょう。初めにエネルギーが溶け合い、次に体も一つに合わせていく。そうして男女は互いを結び合ったのです。

・性器ももともとはいくつかの美しい大和言葉で呼ばれていました。膣を表す代表的な言葉は「ほと」。漢字では「火処」と当てられました。その意味は、火のある処、つまり「かまど」のこと。それに対する男根は「ほこ」と言います。その意味は「矛」つまり武器である剣のこと。男女のまぐ合いとは、熱せられたかまどの中に、ひんやりした硬い剣を差し入れて、あたかも鉄が火の中で鍛えられるように、硬かった剣が燃えさかる熱の中で溶かされ、また明日も元気に働くぞという活力になるような新たなエネルギーを吹き込まれる、そんな意味をもつ行為だと。思考の束縛をはずして、本能が宿す生命エネルギーの動きに体を明け渡す時、人は高らかに日常レベルの意識を超えた領域に昇ることができるのです。

【第2の封印解除】:女性から男性へと流れ込むエネルギー

・誰もが男女両性の要素を持っている。本来、男女がともにいるだけで元気になるように、私たちは造られています。それは男女の体の電気的な性質が反対になっていることから生まれる効果です。人は自然界から細胞が元気になるマイナスイオンの電子エネルギーをもらっている、実はそのエネルギーを効率よく吸収できるのは女性だけ。女性の体と触れ合うことで、男性の体は「充電」されたように元気になるというわけ。男性にとってすべての女性は、「癒される自然界の一部」だということ。

すべての女性には、居ながらにして男性を元気で幸せにする力が、もともと備わっています。女性は見えないもの、男性は見えるもの担当。女性性の真骨頂は「感じる力」、男性性の真骨頂は「見る力」。女性は、まだ形にならないものを直感として受け取って、言葉にすることに長けています。一方、男性は、それを現実世界で形にすること、つまり構造化してプロジェクトに仕立てたり、組織化して広めたりする行動が、女性より素早くできる人が多い。

・女は円環、男は直線。男性性は、目的を目指してまっすぐ突き進む、一本の直線。それに対して女性性は、まろやかな曲線が似つかわしい。・すべての人の中に住む、水のように受容する女性性と、火のように貫く男性性が、仲良く手を結べば、男女がお互いを尊重しあえる関係を育てることができるのです。男女が互いのやわらかな「命の器」を差し出し合う行為は、心の最もやわらかい部分を通わせあって、誰よりも深くつながる絆を結ぼうとする営みなのかもしれません。

> List 

trackbacks

trackbackURL:

comment form
comment form