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2020年10月16日

日本人の性意識はどうなっているのか? -2

前回は、日本人の性意識がどうなっているのか、その調査事例を紹介した。すべての活力に比例するかのように性意識の衰弱が見て取れた。しかし、かつてのイメージの延長では性行為に至らないだけであり、本来的な親和充足と和合意識の芽生えも、小学生の調査事例からうかがえた。もはやロマンチック(恋愛)というのは憧れでもなんでもないことがばれてしまったようだ。

今回は、かつての性意識がどん底に落ちた分析を湯山玲子氏、二村ヒトシ氏が対談されているので紹介したい。

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以下の対談では、性関係の中で、お互いが嫌悪感、諦観を強めていったことに限定されているが、現実は様々な面でその意識が増大されてきたと思われる。その主犯が男女同権という勘違いであり、そこから派生した様々な制度や装置に疲れ果てたことも大きい。それを親、学校、メディアなどから浴びせ続けられれば、本来の基軸本能である性でさえ発現しなくなってしまうという構造が浮かび上がる。

 

■日本に蔓延するセックスへの絶望

恋愛にもセックスにもメリットがなくなった

湯山 まず、二村さんとは、セックスに対する絶望について話したいですね。好きモノのふたりが対談するならば、セックス礼賛となりそうなんだけど、これが違うんだなぁ(笑)。いくらAVが会話に出てきても恥ずかしくない程度に一般的になり、セックスレス、童貞率の増加を憂いながらも、世の中全体は「セックスは、無理して自分の人生に取り入れなくてもいいんじゃないか」とあきらめの傾向にあると思う。実際、この国は長い間、女性は、子を産んで、いい母になることが望ましい近代家族制度のもと、セックスの楽しみはなくてもいい、「お勤め」ぐらいに捉えていたほうが、いろんな“間違い”がなくて安全かつ安心とされてきましたしね。

二村 僕は、どちらかというと、みんながセックスも含めた「恋愛」に絶望しかけているか、恋愛に伴う「面倒くささ」にお腹がいっぱいになってるんだと思います。女と男というのは理解し合えない、それぞれにとっての都合が異なるというのは昔から定説でしたが、その「理解できなさ」や「都合」を超えるような「恋愛することのメリット」もかつてはあった。そこを超えることが「大人になること」でもあった。でも今や、女側にも男側にも、そのメリットが薄くなっている。確かに古くからの家父長制は、家の中にいる女にも、家の外にいる女にも、固定された役割を課しますよね。日本では、家の中にいる女、つまり「母」や「妻」や「娘」に、そもそもセックスを楽しむというイメージがない。

湯山 もちろん、「妻」はセックスを楽しんでもいいんだけど、夫のほうはだんだん性欲に自覚的になっていく妻に応えてあげる能力も気もありませんからね。夫は子どものお母さんになってしまった「妻」と、妻のほうもお父さんになってしまった「夫」と、セックスする動機が見つからない。キリスト教圏ではそこのところを「結婚の義務」としてモラルで乗り切っているけれども、イエの論理だと、女は自分の中の性は煩わしいもの、面倒くさいものとしておいたほうが、何かと便利。逆に目覚めてしまって不倫などのタブー行動を起こしたら、今の風潮では、家庭を崩壊させる大原因になる。

二村 世間はどんどん不倫に厳しくなってますからね。

湯山 今、少子化の危惧から、家庭や家族という血縁がまたクローズアップされていますが、かといって、夫と妻が男と女として強力に身も心もパートナーシップを作り上げる、という理想的な、でもとっても面倒くさい正論にはいかず、明治時代の女学生たちが宝塚に入れ込んだように、生身の夫ではなく、ファンタジーにエロスを投影させて我慢すればいい、となっている。その流れが、より強くなってきている気がするんだよね。

二村 男性の草食化、一般男子のオタク化はずいぶん前から言われてますが、女性の側も、韓流やジャニーズにハマる奥様、エロゲーまで嗜(たしな)む女の子たちが増えている。それでリビドー(性的衝動)が発散できているなら、ヤリチンにひっかかるよりは全然いいとは思うけど……。コンテンツ愛が充実した人にとっては、現実のセックスや恋愛のほうが貧しく、わざわざする価値なく感じられてしまうというのは男女ともにありますね。

湯山 そうなんです。セックスはどうしても自分の肉体というコンプレックスの温床をさらけ出しちゃうからね。それは、美少女と肉体美だらけのAVの影響は無視できない。「私メにはとっても、セックスなんてやれそうにもありません」という諦観を今は、10代のころから持ってしまう傾向にありますよね。

二村 自己受容感の低い人は、比べなくていいものと自分を比べてしまう。

湯山 一方、バーチャルの性コンテンツは、そんな現実に満たされない性欲エネルギーが、すべてファンタジー化したものだから、微に入り細に入りだし、強度も豊かさもハンパない。

二村 AV監督である僕が言うのもどうかと思いますが、AVは男性のファンタジーを強固にしているだけで、少年たちのための性の教科書になり得ていないのは間違いありません。

湯山 女子に備わっているミソジニー(女性や女性らしさに対する憎しみ)も、子どものままで楽で得したい、という幼児化の風潮を受けて、より強くなっている気がします。日本女性たちのほとんどは、思春期になって勝手におっぱいが大きくなるのを、「女になって、これからガンガン女性性を謳歌できるのよ」と肯定的には捉えることができない。イタリアやフランスの映画なんかを見ると、そういう空気が社会の中に自然とあることに驚かされますが、日本はそうではない。それよりも、男たちから性的な目で見られることの暴力に身構えなければならなくて、その不自由さから自分の女性性を憎むようになるんですよ。

そもそも、これだけロリコン系の性的事件が多い現在は、成長期以前から、女の体で生まれてきたことが、そもそもダメだ、ぐらいに自己嫌悪せざるを得ない。私が教えている日本大学藝術学部の女性たちにミソジニーについてテキストを書かせると、かなりの高率で「女の体が鬱陶しい」という意見が出てきます。というように、もともと女は女の体であることを乗りこなせない下地があるんだけども、さらにセックスとなると、そこに肯定感やお得感が見いだせない。なぜなら、他人である男が自分の体を受け入れてくれ、愛してくれる保証はどこにもないから。

二村 自分の体へのミソジニーというのは、そもそも母親が女の子に性を禁じたり、女性として成長してきた体を父親や世間の男が性的な目で見たりして、まあ多くの女の子が普通に持たされてしまうわけですよね。女性性嫌悪を持たされずに育ち、セックスを楽しめる大人に成長できる女の子は幸せで、それは日本では圧倒的に少数です。その呪いを解くのが、要するに童話でいう王子様のキスだった。好きになった男から「僕はキミが好きだ! キミとセックスしたい!」、つまり「キミの肉体には(僕にとっての)価値がある!」と言われることで、自分の体をなんとか肯定できていた。

ところが、現代の恋愛事情下では、女の子が好きになるようなイケメンは、最初からモテてしまっているから「自分から女を愛する技術」の練習ができていない。性欲は足りていて礼節を知らない相手ですから、ろくなセックスができないわけで、女性はますます自分の体を好きになれない。体を一瞬は肯定してくれるヤリチンからは、セックスするだけで恋人にはしてもらえない。いわゆる非モテ男子からはモテたってうれしくない、だから、ますます自分の女性性が憎くなって、そういう女性たちが、セックス嫌いになったり、恋愛嫌いになったり、ヤラせないことで男心を弄(もてあそ)ぶサークルクラッシャーになったり、セックス依存なのにオーガズムを感じられないヤリマンになったりする。

そこまでいかなくとも、世の中に流布している“美しい女”や“エロい女”や“モテる女”のイメージと自分とを比べてしまって自分の女性性がイヤになり、「どうせ私なんかに男が欲情するわけがない」「私なんかで申し訳ない」と最初から萎縮している女性たちも多いです。

湯山 女のミソジニーは根深いですよ。でも、男性もセックスに相当、絶望しているんじゃないかな。前戯があって挿入して果てて終わりという一連の行為自体に、何か疑問や迷いがよぎっている人たちといいますかね。よく、男性は行為の後、ベッドでタバコを吸いながら「あんなに熱心にこの女を落としたんだけど、ヤッたらこんなものか」というニヒリズムに陥ったものだけれど、それが今どきはヤル前からその境地、と聞く(笑)。

セックスしたら、次もふたりで工夫してもっと深めてみようという作法が私たちの世代ではあったんだけど、今はあまり気持ちよくなかったら、もう相性の問題として次の人に行っちゃう傾向がある。「一回こっきり」で終わって、男性お得意の「数の競争」にハマる男が多いんじゃないかな。

二村 男の側のミソジニーも強くなってますね。セックスできる男と、できない男の二極化が進んでいるけど、セックスできている男の中にも、女性への興味じゃなくて「セックスできる自分は男として偉い」という気持ちを維持したくて、数を稼ぐことを目標にしてしまっている愚かで不幸な男が多い。そういう男は、自分にひっかかる女性を心の底で見下しているというか……。

愛を約束し合わなくてもいいけど、関係した相手の中に異性への軽蔑や憎しみを感じとっちゃったら、そりゃあ「二回目したい」「また会いたい」という気にならないですよね。周囲から祝福された恋人でも夫婦でも、道ならぬ浮気の関係であっても、どちらにせよセックスをすることは「共犯関係」であるはずなんだけど、そうではないケースが増えているのだと思います。

湯山 セックスが「共犯関係」とは、面白い。それはよくわかる。共犯というのならば、どちらも「アナタとしたくてやった」という責任を共有するのだけど、それが嫌なんでしょうね。たまたま、とか、ノリで、とか、本気じゃない言い訳を必ず作る。「セックスしても、信頼を受け渡さない」という防衛本能ですね。信頼しても、裏切られることがある、というのは、大人の男女の性愛作法なんだけど、そこに耐えることができない、おこちゃまなハートばっかり、という。

二村 その言い訳は、ナンパ師やヤリチンを自称する男たちも同じ。それと、真面目に付き合っているふたりでも早い時期にセックスレスになっちゃうケースも多い。恋愛にしてもセックスにしても、できている男たちにとっては、「あらかじめ結果がわかっちゃっていて、感動がない」ということなんですかね。

湯山 そうそう、セックスがわかっちゃった気。これ、深いな。今さ、ほとんどの人が、自分の人生についても「あらかじめ結果がわかっちゃっている」モードに入っていて、努力の前に思考停止しますからね。

二村 わかった気になっているから、ヤリチンは、ますます数の勝負になる。相手の女性がエロい状態になっていても、それは本当に気持ちいいからではなく、ポルノをなぞっているように見えるんじゃないですか。実際に、男性を喜ばせるために、あるいは、そうしないと終わってくれないから“イッたふりをする”という女性が、とても多いですよね。そうなると男性は「ああ、これもうAVで見たわ」となっちゃう。

(略)

(構成:安楽由紀子)

 

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