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2020年12月03日

日本人の性意識はどうなっているのか? -9

前回は、性の本質をポリネシアの人々の事例から、生命エネルギーの交流が“性の充足”の原点だと捉えていることを探った。現代人は、この感覚、認識と程遠いことを自覚する必要があるようだ。

今回は、そういうポリネシアをはじめ、もともと人類にとって性の場でもある集団の在り方を探ってみたい。大きくいえば、母系か父系かに分けられるが、母系集団はライオンや狼、ハイエナなどの哺乳動物や人類の起源である霊長類でもオランウータンなどに見られる一般的な形態である。始原人類の過酷な状況はここでは触れないが、集団の在り様も洞窟に隠れ住むぐらいの外圧状況で、その後弓矢などの武器を持つ段階でようやく母系集団という形態に立ち戻れたのではないだろうか?

現代でも、母方の実家に寄り添うほうが、円満な家庭多いといわれる所以がもともとの母系集団であることの名残であることからくる。女性が安定するという意味でも、母系集団は理にかなっている。そこに立ち返ることが性の意識を転換していくカギを握っているのではないだろうか?

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日本においても、母系社会の名残があった記事の紹介。

「入婿」は日本特有の母系文化だった!!

日本は母系文化社会だった。
そして、明治時代まで庶民は(武士社会は除く)母系文化の中にいた。
だから、江戸時代まで日本では地域特性や生産様式によって、多彩な婚姻様式を持っていた。
その一つが、「入婿」の婚姻制度である。
他の血が混ざる「入婿」など許されない儒教文化や、家族構成は神が創るものなので「入婿」など許されないキリスト文化。
それに比べて、生産手段を持った共同体が機能しやすいように、多彩に婚姻形態を適応させていた日本。

ウキペディア「入婿」の内容が面白いので紹介します。
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『入婿』(ウキペディアより)リンク

入婿(入り婿、いりむこ)は、男性が配偶者側の家名あるいは家督を継承すること、またその男性。婿養子とも言うが、そちらでは明治時代に制定された民法における旧規定を説明し、本記事ではそれ以前の歴史的な事柄を対象とする。

主に日本における風習であり、本来何の関係も持たない男性(傍系血族の場合もある)が、名実ともに配偶者である女性の実家の一族に組み込まれるという風習は、他国ではあまりない。

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養子という義理の関係が実子と同等に見なされるのは中華文明圏の風習で、ヨーロッパなどにはない
(キリスト教では神以外の者が親子関係を勝手に作るのは冒涜と考えられた。キリスト教化以前の古代ローマではそうした形の養子が行われている)。

一方、中華文明圏では宗族の概念が強く、他姓の者を養子にすることは少ない。

母系制社会であったとされる日本など、少数の民族のみが持つ風習である。

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◆家制度、家督の概念ができると、養子の一形態として行われるようになった。
戦国時代には立花宗茂や小早川隆景など多くの例があり、江戸時代においては武家のみならず商家、農家においても一般的に行われた。

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■入婿の事例と背景
ごく最近まで入婿が頻繁に行われていたのは、三重県沿岸地帯の海女集落や、岐阜県白川郷の養蚕家、江戸時代の大坂の商業街船場に住む大商人たちであったとされている。

特に商家の入婿は近世文学の世界ではかなり頻繁に登場する存在で、上方で発展した人形浄瑠璃や和事を中心とした歌舞伎にその生活が描かれている。
彼らの家に男子が出生しなかった場合(あるいは後継者として不適格な男子であった場合)、当主は多くの使用人のうちから人格、素行、能力などの優れた若者を選んで娘との縁談を持ちかけ、2人の承諾を得たら長女の配偶者として自分の一族に彼を迎え入れ、優秀な後継者を得ていた。

また、男子のいない家の場合は長女が選んだ男性をそのまま入婿として迎えることもあった(そのような場合、保険として次女以下に優秀な男性を配偶者として迎え、支店を任せた例も散見される)。
当主が次々と他家から入ってくるため、大阪の旧家には「女紋」といって女系で継承する家紋を持つ家もある。
・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・

海女集落や養蚕集落の場合、一家の主な働き手は女性であり、娘を嫁に出すと貴重な働き手が引き抜かれてしまうため、慣習的な入婿制度が必要とされたと思われる。
・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・・

一般的に行われていた時代、入婿は人格・能力ともに優れた男性、または魅力ある男性というイメージが強く、格下の出身から豊かな家を継ぐため「男の夢」と見られていたが、「米糠(こぬか)3合あれば養子に行くな」という格言があるように、養家では肩身のせまい存在になることも多かった。これは、女性の嫁入りが「女の夢」とされたものの、嫁ぎ先で立場が弱くなることも多かった事実と類似している。

一方で、岩手県、宮城県、秋田県など東北地方を中心に、男女の別を問わずに第一子が家産を相続する慣行が見られたことが、中川善之助により紹介されている。この場合、第一子が女子で弟が後で産まれても、長子である女子が家督を相続し(姉家督)、迎えた入婿が戸籍上の戸主となった。弟は分家を新たに立てるか、他家へ養子にいくこととなる。明治時代中期までは多くの事例が確認できたが、以後は姿を消した。
・・・・・・・・・・・・・以降 省略・・・・・・・・・・・
<以上 引用>

 

そして、母系社会の存続性が平和=安定につながることを示唆した記事を紹介。不必要な覇権闘争にあけくれた時代が終わるにあたって、この視点は注目に値する。

母系社会シリーズ~母系社会が平和への鍵になる~

では、なぜそこまで定着していた母系社会が消えていくことになったのでしょうか。ここからは私自身の推測も交えて進めていきたいと思います。

世界的にみると人々の生活習慣や社会的な仕組みに大きく影響を与えた出来事は宗教の広がりです。有史以来、世界に急速に広まった宗教には女性を蔑視する内容がとても多いことに気が付きます。キリスト教・ユダヤ教・イスラム教・仏教にいたるあらゆる主な宗教で経典の中に明確に女性蔑視を記述しており、表向きは平等と教えながら本質的に男性から劣っている存在であると位置づけていることから、とても矛盾をはらんでいます。神道についても穢(けが)れという考え方があり、例えば相撲の本場所の土俵には女性が立ち入ると穢れるという理由から厳しく禁じています。  もちろん宗教もその時代とともに内容の解釈や記述が変えられてきているので理解は様々です。宗教の発祥初期からそのような教えがあったかは定かではありません。ただし、世界的に共通していることは、みな同じように男女の関係性に抑圧的な厳しい戒律を設けて、女性の位置づけを低く保ち、同時に善悪の概念を強力に植え付けてきたと言えるでしょう。

日本も平安時代以降、本格的に仏教が普及してきたところから、明らかに父系社会への転換が起こりました。それが直接的な要因と断言できませんが、やがて戦国時代へと移り変わっていきます。

ではなぜ、そもそも多くの宗教が女性を蔑視してきたのでしょうか? ここは大いに想像力を膨らませる必要がありますが、それは主な宗教が常に権力と結びついてきたという経緯があります。  歴史上、常に政治が宗教を利用して、逆に宗教も政治を利用してきました。時の権力者たちは民衆をコントロールするのに宗教を使い、宗教にも様々な便宜を図ることで関係性を強固にして、必要であれば教義を書き換えてでも目的を達成させようとしてきました。当然ながら権力者やそれを取り巻く者たちは、その体制に反対する人々を物理的・政治的に抑圧しました。  しかし、どうしてもコントロール下に置けない勢力がありました。それが女性だったのです。まだ母系社会が色濃く残る社会であっても政治的には優位な立場になっていた男性が、すでに社会全体に浸透していた女性の影響力を弱めることが出来ないため、宗教の力を使って存在そのものを低く劣ったものとして定義しました。つまり権力者はそれほど女性の力を恐れました。

中世のヨーロッパを中心に起こった魔女狩りはまさにそれを象徴する出来事であったといえます。人並み外れた霊的能力や知識をもった女性を魔女や悪魔の使いとして仕立て上げ、社会を惑わすものとして民衆の恐怖を煽り、社会的に影響力のある女性を抹殺してきたのです。  ここまで読んだ方は、「では父系社会というのはそんなに悪い仕組みなのか?」と思われるかもしれません。実はそうではなくて、現代社会の中で父系社会を形成する男性性の要素が強くなり過ぎたということです。古代では母系社会と父系社会が共存していた形跡が多くみられており、中には双方が混ざった習慣を持つ民族もあります。

近代では、その男性性の特徴である論理的・競争心・実力主義・結果重視などの傾向が過剰になり、社会の中で常にその条件に合うように生き方を要求されます。更に付け加えると、宗教の普及とともに貨幣経済が強力に広がり、社会を構成する要素として最も大きな影響力を持つことになったため、なおさら男性性を増長させることになりました。戦争や民族的な争いが絶えないことも、男性性の過剰という問題が根底にあるからではないでしょうか。

女性への差別や蔑視や抑圧的な行為は、明らかに男性性過剰の結果であり、逆に言えば女性性の欠如の現れです。これは生物学的な男と女の違いの問題ではありません。どちらにも男性性、女性性の両方が備わっているからです。  長い歴史の様々な場面で女性(性)が犠牲となってきた事実があります。犠牲とは、その犠牲の下に社会が成り立ってきたという意味です。さて、それを犠牲にして得てきたものは何でしょうか。国家の軍事的な強さでしょうか? 経済的な強さでしょうか?  かつて男性性優位と見られる帝国が数多く誕生しましたが、ことごとく衰退・滅亡していきました。その一方で目立たないながらも女性性を大切にする平和な国家も存在していました。歴史の年表にはまったく出てこない史実ですが、帝国の栄枯盛衰を学ぶより、なぜ平和な国が存続していたかを学ぶことに価値があると思います。そうすれば、かつて理想的な母系社会を築いていた日本が、世界に先駆けて出来ることが自ずと見えてくると思います。

 

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