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2020年12月10日

日本人の性意識はどうなっているのか? -10

前回は性関係を規定している集団の在り方として伝統的な母系集団のほうが女性にとって理に適っていることを探った。それが私権をめぐる闘争の時代以降、父系集団に転換してしまい、それに比例するように女性の充足性も低下していった。つまり現代は本来の女性という太陽を失ってしまったといえる。

現代は集団意識さえ失い、男女関係は希薄であくまで自分にとって都合の良い関係でしかない。それを象徴するかのように、男女の恋活としてマッチングアプリを活用している人が増えているという。とある企業の調査によると相手に求める6割が「容姿」と「人柄」とのこと。男は「容姿」を求め、女は「人柄」であるという。ともにそれが前提としてないと続かないという倒錯した状況となっている。(マッチングアプリで異性に求める条件は?利用者の約6割が「容姿」と「人柄」を重視 )

これまで、このシリーズで伝えたかったのは、人は男女関係も仲間関係も仕事関係もすべて、本来の集団の中で深化していくものであり、活力となるもの。近代の個人主義に発する男女同権に染められていてはそこに到達できない。市場原理が終焉を迎えつつある今、時代は本来の人類の在り方に向かって大きく、深く動いていることを感じて頂きたいと切に願う。

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そういう心の在り方を問う記事を紹介して、締めくくりたい。

その関係そのものが、心が通じ合えない構造にある 

 その「唯一」を美化する様々な観念によって、私たちは、「唯一関係(=恋愛や一夫一婦婚)は素晴らしいもの」と何の疑いもなく信じてしまいました。
そして、一旦その価値を認めてしまうと、逆にそれを目的に関係を築いたり、その定義に照らして関係を調整したりするようになりました。

ところが、元々その関係は、自分以外の他者や現実を否定して初めて成り立つ関係です。自分以外を否定した上で、心が通じるはずがありません。
お互いの要求内容が一致した場合(部分)のみ手を組む取引関係なので、そこでは、自我の衝突は避けられず、その場合、力関係(社会的力関係や性格的要因や規範etc)によって、一方が我慢するという形にしかなりません。
もちろんそれも、「喧嘩するほど仲が良い。」「献身」etcの観念で正当化されたり美化されたりしています。

戦後、それらの規範が崩れた途端、「我慢」という感覚が露呈してきたのは、その関係が元々そういう構造だったからです。
みんな、必死に観念操作することで何とか自分(のその感情)に言い聞かせようとしていますが、そんな自問自答がとてもモロイものだ(すぐにまた同じような不安や迷いが生じる)という事は、本当は分かっているはずです。

 

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