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2021年01月20日

支配から自主管理へ

今週は、アメリカ大統領の就任式において、歴史的な動きがありそうな動静が伝わってくる。これに先立って現大統領のトランプは、メッセージを発していた。かいつまんで言うと、これまでの国際金融資本が牛耳る資本第一の社会が終焉し、真に人民が主権を取り戻す社会が到来するということだ。これは人民を支配する時代が終わり、自主管理で生きる時代に移行するということとなる。

これまで、共同体の再生についてこのブログにおいても述べてきたが、こういう展開で実現していく道筋が開かれようとしている。

とはいえ、時代の転換点においては統一から混乱に至り、これまでのような個人主義のような幻想では太刀打ちできない。これからの時代は現実の状況をつぶさに捉え、進むべき道を探っていくことが求められそうだ。

その道しるべとして、歴史貫通的な存在意義や生命原理、そして自然階の摂理に迄さかのぼって見つめなおすことかと思われる。そうすると人類の普遍的な在り様としての共同体というものが、いかに合理的、必然的であるかが浮かんでくる。

来るべき混乱の事態に対しては、極限的な環境を生き延びてきた人類の進化に照らしてみれば動じることはない、改めて畏敬の念がわく。
そういった偉大な人類史の一端を紹介したい。

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本気度が問われる時代。今何を成すべきか1~「極限時代」自然外圧に五感が反応⇒成員の誰もが「畏敬・感謝の念」で外圧と向き合っていた

ここで言う極限時代とは、生活圏が樹上→陸上へと転換した500万年前から約1.5万年前までの時期を指します。

●実現論 ヘ.人類:極限時代の観念機能 より

足の指が先祖返りして、それ以前の獣たちと同様、足で枝を掴むことが出来なくなったカタワのサル=人類は、樹上に棲めるという本能上の武器を失った結果、想像を絶する様な過酷な自然圧力・外敵圧力に直面した。

足の指の先祖返りから「樹上で生活できなくなった」ことで、陸上生活を余儀なくされた人類。それがおよそ500万年前。
驚くべきことにそれ以来、約1.5万年前まで(およそ499万年間も)洞窟に隠れ住んでいたことが、大量の遺跡から明らかになっています。(参考記事)。特に、少なくとも中期頃までは地下270mだったり、断崖絶壁だったり、(他の動物に狙われないような)より劣悪な洞窟を拠点としていたようです。

この事実からも、当時の人類にとって、樹上→陸上への転換がいかに過酷なものであったかを窺い知ることができます。

また、生活スタイルは専ら「夜行性」。他の動物と戦う術を全く持ち合わせていなかったことから、日没後に(おそらく他の動物が休息している間に)洞窟を出て、食料確保をしていました。主な食料は、動物の食べ残した死肉のカス、骨の髄や脳みそ、木の根っこなど。多くの人がイメージする狩猟・採集とは程遠い世界です。
(このような食料であったため、当時の遺跡は歯がことごとくボロボロで、骨が細っている=骨粗鬆症なのだそうです)
集団規模としては、20~30人程の単一小集団で細々と生活していました。(他の集団との接触はほぼ皆無)

これが、極限時代の「極限」たる所以です。

では、このような外圧状況にどう立ち向かったのでしょうか。

●実現論 ヘ.人類:極限時代の観念機能 より
極限状況の中で、人類は直面する現実対象=自分たちを遥かに超えた超越存在たる自然を畏れ敬い、現実対象=自然に対して自分たちの生存(=危機からの脱出)への期待を込め、自然が応望してくれる事を切実に願った。つまり、人類は直面する過酷な現実対象=自然を凝視し続ける中で、元来は同類を対象とする共認機能を自然に対して作動させ、自然との期待・応望=共認を試みたのである。
そして遂に、感覚に映る自然(ex. 一本一本の木)の奥に、応望すべき相手=期待に応えてくれる相手=精霊を措定する(=見る)。人類が万物の背後に見たこの精霊こそ、人類最初の観念であり、人類固有の観念機能の原点である。
直面する現実対象(例えば自然)の背後に精霊を見るのも、物理法則を見るのも、基本的には全く同じ認識回路であり、従って精霊信仰こそ科学認識=事実認識(何なら、事実信仰と呼んでも良い)の原点なのである。

超越存在たる自然に対する「畏敬の念」、その対象を直視しまず「自ら応望」する姿勢、そして自然に生かされている(自然が応望してくれる)ことへの「感謝の念」。
このゆるぎない想いが、自然との期待・応望=共認を可能にし、その後の観念機能(精霊信仰)獲得に繋がって行きます。

思い通りにならない自然を相手に、ただひたすら「畏敬の念」「期待応望」「感謝の念」をもって向き合い続けたのでしょう。誰もが本気で(必死で)現実と向き合い、生きていた時代です。

まさにゼロからの発想が求められそうだ。

 

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