2022年05月20日
赤ちゃんの適応力を弱くすることで、結果的に種の適応力を強くした人類
前回は、主体の喪失の不全を解消するために、全面受容に収束したことを扱いました。赤ちゃんは全面受容が必要な状態で生まれてきます。「無」=主体の喪失を起点として、人類固有の特性や意識構造が形成されていくとしたら、赤ちゃんが全面受容で生まれてくることにも関連していそうですよね。
当然ですが、強い赤ちゃんを産む方が生存確率は上がります。しかしヒトの赤ちゃんは適応力が弱く、助けがなければ生きられません。つまり生命原理に反しているのです。事実、昭和初期においても多くの子どもが出産後死んでいます。原始時代においてはかなりの子どもが出産後一年以内に死んでいると思われます。これまで弱く生まれてくる理由が良く分からなかったのですが、全面受容における充足がヒトにとって不可欠だとするとどうでしょう。
全面受容にしろ一体化回路にしろ観念回路にしろ本能にはセットされていません。生まれてから後天的に脳回路をつなぎ形成していく必用があります。ですから赤ちゃんが全面受容で生まれてくるのは、足が先祖返りしたサルが全面受容に収束して以降、観念を獲得していくまでの過程を再現することが回路形成のうえで必要だからではないか、というのが仮説です。
前回の記事でも扱った「人類は同類なしで生きていけない」ことをこの時期を通じて獲得しているのだと考えると整合します。ですから、ヒトとして生きていくうえで、この時期の母子間の充足は決定的に重要なのだと思います。
※発達障害の急増が、親の愛情(密着)不足に原因があると言われるのも納得ではないでしょうか。共同体崩壊やスマホの普及も大きな影響を与えています。
未熟な赤ちゃんにメスはつきっきりになるので、より生殖役割へ、オスはエサの獲得や集団の防衛を主とした闘争へと分化していきます。赤ちゃんをおとなの男女や親族など集団が助け合って育てる共同養育に変化したことも、相手発の全面受容があれば可能となります。赤ちゃんの適応力を弱くすることで、結果的に種の適応力を強くすることにつながったのではないでしょうか。
次回は、全面受容以降の肉体的、機能的な変化はどうなったのか、どのように同類と一体化(シンクロ)できるようになったのか、を追求する予定です。
- posted by sai-nao at : 2022年05月20日 | コメント (0件)| トラックバック (0)
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