2007年07月21日
ヘヤー・インディアンにおける「いのち」~共同体社会の生命観
多くの伝統的な共同体社会では、「守護霊崇拝」や「生まれかわり信仰」が人々の間で共有されていました。そう聞くと、私たちは何か迷信のようなものかと思いがちですが、そうではないようです。現実の生活や周りの自然環境とも密接に結びついたものです。
そこには、“「いのち」は個体の枠を超えて他の個体とは無限に関連していて、「いちの」は決して個体に閉じ込められるものではない”という生命観が息づいているようです。
「守護霊崇拝」や「生まれかわり信仰」が、どのように現実の生活と結びつき、集団内で共有され継承されてきたのか、その事例を紹介します。
ヘヤー・インディアンにおける「いのち」
(『いのちの文化人類学』(波平恵美子:著)から抜粋・要約)
ヘヤー・インディアンは、カナダ西部の北極圏で生きる人々です。「ヘヤー」とはウサギのことで、この人々がウサギに強く依存して生きていることからそのように呼ばれるようになった言われます。
彼らは食料として不安定なウサギに依存しているために、時には餓死者も出るといった苛酷な状況の中で暮らしていて、日本の本州の4分の1弱の面積にわずか300人~500人がようやく生きていけるだけの食料しかなく、乏しい食料を求めて小さなグループに分かれて常に移動しながら生きている人々です。
ヘヤー・インディアンは男も女も守護霊を持っていて、彼らの守護霊はビーバーやテンやクズリ(イタチ科の晴乳動物で体長一メートルくらいになる)などの動物です。動物を守護霊とするということは、自分たちと周囲の野生動物との間に「いのちの交流」を認めているということです。
自分たちの生存の糧となる獲物は、単にたまたま目の前に現れた動物ではなく、それらの動物は個々の人の生命の源泉であり、ヘヤー・インディアン全体の生命の根源的存在です。人間と動物との間の「いのち」の交流という認識を、個々の人間とその守護霊との関係で捉えています。
また、動物の守護霊は、かつて生きていた誰かある人の守護霊でもあり、「生まれかわった」その人がかつて生きていた人の守護霊を継承するのだと信じています。
ヘヤー・インディアンは、産みの両親や育てた人の持つ能力やその性格が、子供に受け継がれてゆくとは考えないようです。むしろ、すでに亡くなった人々の中で、いつまでも語り伝えられている伝説上の人物の誰かが子供として再生したと考えます。
彼らの結婚の関係が緩やかで、母親が離婚再婚を繰返すために子供は何度も新しい父親に育てられることがあるし、自然環境が厳しく、子供が幼いうちに父母が亡くなることもあり、そのときには周囲の誰かによって幼い子供は育てられることになります。
「ここにいる子は私の先祖の△△の生まれかわりだ」と考えてくれる人が、実父母以外にその集団に存在することは、極寒の厳しい環境の中で、幼くて大人に頼る以外生存できないヘヤー・インディアンの子供には、極めて重要です。
私たちの目から見ると、「守護霊崇拝」や「生まれかわり信仰」は、非科学的・非現実的なものに映ってしまいます。しかし、ヘヤー・インディアンにとっては現実そのもので、仲間を繋ぐ絆であり、過酷な自然環境を生き抜く知恵です。それが日々の生活や生産活動の中に埋め込まれているようです。
「自然保護」や「地域で子育て」といったことを特別に考えるまでもなく、生活の中で当たり前のようにそれを実践している彼らに感心してしまいます。同じように“「いのち」は個体の枠を超えて他の個体とは無限に関連していて、「いちの」は決して個体に閉じ込められるものではない”という生命観を共有する仲間の存在がその基盤となっているのだと思います。
伝統的な共同体社会から、学ばなければならいことが沢山ありそうです。(@さいこう)
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- posted by sachiare at : 2007年07月21日 | コメント (4件)| トラックバック (0)
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comments
門限見たいなものがあったとは驚きでした。町人が夜遅く遊んで帰ってきた時などは、どのようにして長屋の中に入ってきたのでしょうね?
コメントありがとうございます。
木戸番の近くには自身番がいて二重のセキュリティーがかかっていた様ですが、顔見知りを「門限過ぎたから・・・入れないよ!」という事ではなかったようです。
見ず知らずの者(不審者)は入れない・・・程度だと想像できます。(例外は役人と産婆)
>木戸は夜の四ツ時(午後10時)頃に閉鎖され、以降は左右の潜戸から通行させた。その際には必ず拍子木を打って、次の木戸に通行人が向かうことを知らせた(これを送り拍子という)。つまり江戸の町では、身元の知れた者でない限り、夜歩きなど出来なかったのである。
http://www.e-sampo.co.jp/column-suginami4.htm
良かったら見て下さい。
なるほど、納得です。ただの”怖い寮長”ではなく、”安心できる”木戸番だったんですね。
共同体社会と人類婚姻史 | 江戸の自治組織「木戸番」ってどんな人?
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