2007年09月13日
「人類=カタワのサル」再考
サル⇒人類誕生時、地上生活が始まる要因について、専門家vsるいネットでは180度見解が異なっています。
【専門家;地上に進出した】vs【るいネット;樹上に住めなくなった】
専門家たちの見解には色々あって‘定説’にまで至っていないようですが、主流とされているのはおおよそ以下のような見方のようです。
「人類の肢指の形が変わったのは、地上生活に順応するため」
「直立2足歩行~足親指が他の指と同方向に動いた方がより早く歩ける」
「地上で生活するようになってから後に、足親指が対向して動かないかたちになった」
これらは大雑把に『地上生活順応説』という呼び方で括れると思います。
すなわち、本能(肉体)的にも、猿より高等(適応的)に進化したという見解です。
これに対し、るいネットでは『実現論‐第1部前史‐ヘ.人類:極限時代の観念機能』で
「足の指が先祖返りして、それ以前の獣たちと同様、足で枝を掴むことが出来なくなったカタワのサル=人類は、樹上に棲めるという本能上の武器を失った結果、想像を絶する様な過酷な自然圧力・外敵圧力に直面した。」としています。
本能(肉体)的には猿→小型哺乳類レベルに逆戻り(退化?)した という見解です。
はて、どちらが事実なのか?↓追究前にポチッとお願いします。
←シンエイFootLabより
←チンパンジー足指の「母趾対向性」
木があるのに積極的に地上に出て行く。そのためには木の上に代わる防衛力を身につける必要があります。しかし、初期人類の化石からはサルを上回る肉体的な防衛力を手に入れたような痕跡は見られません。脳の容量が増えるのも地上に降りてからです。
にもかかわらず、「樹上⇒地上に進出した」とする専門家の見方には
“進化”という先入観があるように思われます。
たしかに「進化」と言うと『より適応的に変異する』ことをイメージしがちです。
中でも「種の進化」というのは、従前種には無いなんらかの‘新たな適応原理を開発or発見する’方向に変異したことに違いありません。
しかし「種として進化する=爆発的に個体数が増え、数世代以上その種として安定・継続できるようになる」までの間は、360度あらゆる方向への突然変異の試行錯誤があって然るべきだと思います。
この探索過程を抜きにして「現在の適応形態に一直線に進化した」とか、「全ての進化はより高等な方向に進むはず」「人類の種としての優越性」というような先入観で物を考えるのは危険だと思います。
以上より、個別現象事実間の整合性が高い=事実の成立構造に肉薄しているのは『実現論』です。
以下、地上生活順応説への主だった反証を引用しておきます。
『肢の指の退化=適応説への反論』
おそらくこのような疑問の背後には現在の人類学者に見られる、地上に降りたこと或いは直立したことが、あたかも素晴らしいことであると言う思い込み(その背後にある人類の種としての優越性という錯覚)があるような気がします。
木の枝を肢の指で掴めなくなった、つまり樹上で暮らせなくなった、ことが如何に決定的に生存にとって不利な状況であったかをリアルに想像してみる必要があるのではないのでしょうか?人類は鋭い爪も牙も力も走力も他の哺乳類に比して圧倒的に劣ります。つまり樹上を追われたサルは到底適応できる存在ではありません。
また地上で暮らすようになったから、その必要性が無くなった、というのも矛盾です。実際ニホンザルなどは地上での生活時間のほうが長いのですが、相変わらず樹上で暮らす機能は退化していません。言うまでもなく、いざと言うときに樹上に逃避できることは大きな武器だからです。
またサルは実際ある程度の時間直立歩行することが可能です。そして直立に必要なのは主に腰骨の機能であって、それさえ変化させれば、肢の指の形状を変えなくても直立歩行は可能です。つまりどこから考えても、肢の指で木を掴める機能を退化させる積極的必要性はどこにもありません。
かつこの肢の指の変化は突然変異と言っても、新しい機能が生まれたわけではありません。肢の指が木の枝を掴めなくなる=指が対角線上に曲がらなくなる、という否定形の変化です。つまりある遺伝情報が発現しなくなる、というだけの変化ですから。ウィルスであれ、ホルモン物質→内分泌の変化であれ、遺伝情報を撹乱・破壊する環境要因の変化があれば、一定の確率で、ある地域の集団内の複数の個体に充分起こり得るものだと思います。
もちろんこの変化は元々非適応的なものですから大多数のケースは絶滅したでしょう。その中で共認機能だけを頼りに奇跡的に生き延びてきたのが始原人類です。加えてあくまでも、本能でも共認でもどうにもならない事態に直面したからこそ、それを突破し得る最先端機能=観念を生み出したことも忘れてはならないと思います。
『サルからヒトへの足の指の変異:『地上生活順応説』には物証もなければ論理的反証が多すぎる』
逆に専門家が言うように、地上生活が先であったとしたら、ほとんど木に登らず地上生活を営んでいるゴリラやヒヒは、なぜその生活様式に順応した足の指になっていないのか?という疑問が浮上します。
しかも、ゴリラもヒヒも真猿類の進化系統樹上は、ヒトが原チンパンジーから枝分かれする遥か以前に登場しており(この点は最近のDNA解析の成果として証明済み)、地上生活をする霊長類としては彼らの方が先輩ですから、順応するための時間という観点からは、ゴリラやヒヒの方が有利です。ならば、人類の祖先は原チンパンジーではなく地上派のゴリラやヒヒである可能性の方が高くなるはずです。ついでに言うなら、ゴリラやヒヒから枝分かれしてヒトに進化した種がいたと言うなら、チンパンジーよりもゴリラやヒヒに近いDNAを持った人類の化石が発見されていてもいいはずです。
しかし、これらの点は最近のDNA解析という言わば物証から、人類の祖先は原チンパンジーであることがほぼ明らかになりました。つまり、地上生活に順応するために足の指の形質が変わったという認識には、物証がないだけではなく、他の多くのサルの生活様式と進化論的思考との照合からも、論理的反証が多すぎるのです。
- posted by nandeyanen at : 2007年09月13日 | コメント (2件)| トラックバック (0)
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