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2008年05月18日

「死と再生」~共同体社会の死生観

naotoさんの『わたしの死』に引き続き、日本人の死生観を考えてみます。
西洋のキリスト教文化圏では、死は個人が生きた歴史の消滅として捉えられ、その人が生きた証しを保障するのは唯一全知全能の神として考えられているようです。
一方日本では、少なくとも江戸時代から第二次世界大戦まで「個人が死んでもその人が生きている間に残した足跡が次の世代に受け継がれていけば、その個人がこの世に生きた証しとなる」と考えられたようです。
現在において『わたしの死』が不安とともに意識される背景には、かつての村落共同体や「家」の解体が背景にあるのは確かだと思われます。
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かつてさまざまな社会で「再生信仰」や「生れ変り信仰」が人々の間で共有されていました。
日本人の「祖霊信仰」もこの再生観念の一つです。これらの信仰は、けっして漠然とした死後のイメージではなく、現実の世界に生きているという事実を背景にした現実に即した認識だった思います。現実に生きているからこそ、次の世に生れ変ることが出来るのであり、再生を信じうるからこそ、生きた証しがあるかどうかに思い悩むこともなく、日々の現実の課題に取り組むことが出来ます。
ただし、その再生は、ある人間が別の人間へ直接時間を隔てて生れ変るというような個人から個人への再生ではなく、漠然とした「祖先」という集団から、同じく漠然とした「子孫」という集団への生れ変りのようです。
かつては、多くの人が、同じ地域に生まれた後もずっと住み続け、そしてそこで死に、その子孫もまた、同じように生きて死んでいきました。「生きた証し」は田畑や植林された山林や、共同体・「家」の後継者たちなど、具体的なものでした。
そして、葬式などの死者儀礼は、個人の死がけっして共同体や「家」の断絶につながらないこと、そして個人の生前の営みが次の世代の人々によって受け継がれることを確約することを示すために行われていたといえます。
その背景には、遠い先祖からまだ見ぬ子孫にまで受け継がれるべき、確固とした共通の価値観や集団規範が存在していたのだと思います。死者によって正者は生かされて、正者と死者とは、連続した価値で結ばれているというような再生の観念だったのではないでしょうか。
しかし、現在では、多くの日本人は転々と住む場所を変え、その度に異なる人々と人間関係を結ぶという根無し草のような状況です。『わたしの死』とは、死んだ後、自分のことを語り継ぎ、記憶し続けてくれる人も少なく、死によって自分のすべてが断絶してしまうのではないかという不安ともいえます。
共同体や「家」の解体とともに、「自分の生きた証し」や「自分の生きてきた意味」の基盤も失い、現在は一人一人が個人として、生と死の意味や「いのち」とは何かといことを考えざるを得ない状況に追い込まれているといえるのかも知れません。(さいこう)
参考文献:波平恵美子著「いのちの文化人類学」

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