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2008年5月3日

2008年05月03日

南インド ドラヴィド人:ナーヤルの母系社会~ヒンドゥー父系社会の中の母系社会

『南インド ドラヴィド人:ナーヤルの母系社会~南インドの巨石文化』に続き、いよいよナーヤルの母系社会に迫っています。
ナヤールの土地、ケーララは、南インドの西海岸、東を山脈によって他のインドから切り離された、南北に長くのびた土地で、おおよそ現在のケーララに該当すします。
India-kerala-labelled-green-grey.png
そのケーララにアーリア人:ナンブーディリ・ブラーミン(バラモン)が本格的に定住しはじめたのが6世紀頃。それ以前には、ナーヤルの多くはすでに王族または戦士として社会の上層部を占めていましたが、ケーララ全体の統一する勢力はなく、複数の部族からなる部族連合が乱立していたようです。
そこにナンブーディリは、ヒンドゥーの教義のみならず、先進的な農業技術や学術全般、そして新しい社会秩序(ナンブーディリを頂点とする身分制度、私権社会)を次第に広めていきました。王権の観念も転換し、古代的身分秩序であるヴァルナ制も導入され、グブタ朝支配下に成立した『ヒンドゥー教的社会秩序』が見られるようになっています。この北インドからの新しい統治技術の導入によって、6世紀以降の南インドの国家はそれまでの部族的編成を脱して大きく変わっています。
(ただし、新しいジャーティが数多く形成されてジャーティ制が成立し、領主制が全面的に展開するのは、13世紀初頭から15世紀中葉にいたる長い動乱期であり、その時期をへてはじめて南インドに中世社会が成立することになる)
ナンブーディリは、侵略に際してドラヴィダ人:ナヤールの<母系社会>を巧みに制度の中に組み入れた支配体制を確立していきます。ケーララ社会全体としてはナンブーディリを序列の頂点とする<父系社会>、その中でドラヴィダ人:ナヤールはそれまでの<母系社会>を維持し続けるという、<父系社会>と<母系社会>が共存する社会が形成されます。
婚姻様式においても、ナーヤルの伝統的な婚姻様式サンバダン婚(妻問い婚)により、ナンブーディリ<父系私有婚>とナーヤル<母系集団婚>の間に密接な関係を作り上げ両者が共存することになります。
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