2020年09月17日
これからの共同体社会はどのように創られていくのか-15
前回、かつての共同体においていかに重層的な人間関係が形成されるかを紹介し、学びとは知識だけではなく、現実の人間関係はどうあるべきか、自分たちが生きている世界をどうとらえるかという根底的なものであることを述べた。
現代の欠陥として挙げられる人間関係の忌避は、そもそも闘争忌避という問題に置き換えられる。つまり、共に闘わなければならない状況にあることに気づいていない、考えていないに等しい。かろうじて、生産課題として、企業などの集団での闘争がある程度である。今回は、この闘争課題という次元でこれからの共同体社会をとらえていきたい。
いま、時代の転換期において、食い扶持としての生産課題にとどまっていては何も変わらない。闘争という次元がますます高まっていき、地球規模の諸問題をどう解決するのかという課題を突き付けられている。つまり闘争とは、皆が安心して生きるための課題であると捉え返すことができる。であれば、皆が共有し、皆が取り組むべき課題である。専門家に任せておしまいというわけにはならない。これまでの私権をめぐる競争原理という次元を超えた難問であるともいえるし、だれでも担えるという可能性のある闘争ともいえる。
その為には、共同体という集団をベースに闘争課題を昇華させていかなければ、分断された個人では胡散霧消となってしまう。例えば、健康という課題にたいしても善良な医師が個人レベルで提唱しても、巨大な製薬利権の前には治療法など一蹴されてしまうような事例は枚挙にいとまがない。私権をめぐる闘争課題を超えて、自然の摂理や生命原理に即した回答が求められる以上、人類の起源から適応してきた共同体という集団が必要である必然性はそこにある。
■生命原理における闘争と生殖
現代からみれば、職場と家庭というような分断されてしまった形態の異常さが見えにくいが、生命原理として、闘争と生殖は一体的な場として「縄張り」を形成してきた。歴史的な変遷をまとめた記事を以下に紹介。
全ての生き物は闘争も生殖も全てを包摂した集団の中で育まれ、進化してきた
<絶対的な自然外圧に適応すべく集団適応(性も集団内に包摂)>
○ 全ての生き物は闘争も生殖も全てを包摂した集団の中で育まれ、進化
○ 人類も闘争・仲間親和・男女和合が包摂された集団の中で進化
↓
<約1万年前、弓矢の発明で外圧が低下→集団収束力低下>
○ 6千年前、遊牧部族の中から、禁を破って性闘争が発生し、掠奪闘争の幕が切って落とされた。
○ 本源集団は悉く解体されて、武力支配の巨大国家の下にバラバラの個体として組み込まれていった。
↓
<無政府的な性闘争を秩序化すべく私婚制度⇒私権統合国家(が成立)>
○ 性闘争⇒私婚制のもとでは、私有要求が強くなり、私有権が共認されてゆく。
○ 私権の共認は、否も応もない私権の強制圧力を生み出し、誰もが私権闘争に駆り立てられる。
○ 個体も、集団も、国家も、全てが私権の獲得に収束⇒統合された私権統合社会(が成立)
↓
<私婚制度からの脱却=性の自由欠乏→性市場→商品市場が拡大>
○ 国家に集積された富を消費する宮廷サロン=性市場を核に、「恋愛至上」に導かれて、商品市場が拡大
○ 先進国の人々は豊かさを手に入れると同時に、環境破壊、肉体破壊、精神破壊(が引き起こされた)
=私婚→私権による統合の崩壊このように歴史を大きく俯瞰するならば、
1. 個体間闘争へと発展する性闘争は集団動物にとって極めてやっかいな本能である。しかしながら自然の摂理の下では性は集団の下に包摂され、進化してきた。(しかも人類においてそれは集団適応のための活力源として機能してきた)
2. 自然外圧低下の下、私婚制度によって性闘争にタガをはめる歴史的試みは失敗に終わった。
※私婚制度は「集団規範」という側面を持つとはいえ、その原点が男の自我=私的な独占欲にあるため「性は集団に包摂されたもの」という原理を根本において逸脱しており失敗作であったと総括すべきではないか?
3. そう考えると、性の自由欠乏に始まる私婚制度・私権制度の解体の流れは、表面だけを見ると「集団規範」解体の流れだったともいえるが、と同時に「集団原理」に反した「私婚制度・私権統合」の持つ制度的欺瞞性を突き崩す過程であったともいえる。
4. 実際、1970年以降の「私婚制度・私権統合」解体の果てに、現在進行中の現象は「親元収束」であり「(性闘争を封鎖したともいうべき)まったりした男女関係」である。解体の時代は終わった。
■外圧に適応することを集団原理に取り戻す
これからの共同体として、かつてそうであったように外圧に適応することが求められる。そのための闘争課題の質は変われど、適応していく生命原理は普遍的なもの。社会的な存在であれそこは外せない。
家業複合型企業が社会で評価を得ていく過程は、「集団として外圧に適応していく」生命の営みそのものを実践していく過程に重なります。
そのように考えれば、家業複合型企業の枠組みがもう少し鮮明になります。
①社会の期待に応えていく事を共通の外圧として課題共認している集団
※「お客さんに喜んでもらうこと」や「地域を元気にする活力再生事業のモデルを示していくこと」、そのことをそれぞれの協働家業主たち全員の共通課題として認識できていることがスタート地点になります。②外圧が末端まで行き届いた集団
※特に外部の労働力を入れる場合には、他の家業体の必要な労働力や経理情報までをふくめた全情報を公開して、とにかく全員が等しく外圧に貫かれた状況を作り出していかなければ、活力を生み出していけない=統合でき無いでしょう。③常に外圧の変化に柔軟に対応できる集団
※変化する社会状況に対して常に適応していく為には、「既存家業という安定基盤」の他に「新事業・複合事業という変異基盤」を持ち続けることが不可欠になります。変異の源泉である異業種の「組み合わせ」を内在している家業複合型企業は、新たな可能性を生み出す絶好の実現基盤を持っているといえるかもしれません。一度「これでいける」となったら、労働力や資本を集中させて一気に突破していく為にも、改めてグループ内の風通しのよさが不可欠だという事にもなりそうです。このようにまるで一つの生命体のようにふるまう組織が実現できれば、厳しい共認闘争の中でも十分に「勝っていける」んだと思います。
- posted by KIDA-G at : 2020年09月17日 | コメント (0件)| トラックバック (0)
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